その後もオレは病院に入院し続け、本因坊のリーグ戦がある時にだけ外出許可をもらい、棋院へと向かう生活が続いた。 入院中、病院には色々な人が見舞いに来てくれた。 母さんや父さんは元より、あかり、中学の囲碁部の時の仲間とか。 和谷や伊角さんもよく来てくれた。憎まれ口を叩きつつも、越智も来てくれたりした。 オレはかろうじて、リーグ戦全勝を保っていた。 そんなオレの戦績や棋譜を見て、和谷や伊角さんは褒めてくれた。 「スゴイじゃないか」「よく頑張ってるよ」と言って、一生懸命オレを励ましてくれた。 でもきっと二人だって感じているはずだ。 この碁は、「進藤ヒカルの碁」じゃないって。 現に、倉田さんや緒方さんも見舞いに来てくれたけど、オレの碁を褒めてくれたことはなかった。 緒方さんに至っては「早いところ何とかしろ」と冷たく言い放って帰っていった。 このままでは良くないことはわかっている。 いつかオレの碁は、佐為の碁に飲み込まれて消えてしまうかもしれない。 でも今はもう、それ以外に勝つ方法が思いつかないんだ。 それ以外に、佐為や塔矢に追いつく方法がわからないんだ。 佐為の碁に飲み込まれて消えてしまってもいい。 それで、塔矢の隣に並ぶことが出来るなら。 塔矢は名人を獲得してから絶好調で、土つかずの連勝を続けていた。 塔矢はそうして、どんどん前へと進んでいくのだ。 オレを置いて。 あの日以来、塔矢は一度もオレのところに、来ていない。 ニルヴァーナ nirvana act.12 『オレには来年なんて、来ないかもしれないのに?』 『佐為の時みたいに、オレは、オレは……!!』 彼は、saiと繋がっている。 いや、彼の中にsaiがいたと言うべきが最も正しいのだろうが──よくわからない。 そして彼は、saiを失っている。 どうしたらいいのかわからなかった。 何て答えたらいいのかわからなかった。 思わず、彼を冷たく突き放すような言葉を吐いてしまった。 とても彼の顔を見ていることが出来なくなって、病室を飛び出してしまった。 その後、僕は一度も彼の元を訪れていない。 あんな冷たい言葉を投げつけてしまったのに、どんな顔をして会えば良いのかわからなかった。何て言葉をかければ良いのかわからなかった。 そうして悶々としているうちに時間は流れて、本因坊挑戦者リーグも大詰めの第5局を迎えていた。 相変わらず進藤はsaiのような碁を打ち続けて、連勝を続けていた。 だが棋院で進藤を見かける度に、顔色が悪く身体が小さくなっているのを感じた。 必死に棋院まで来て、必死に自分を奮い立たせて、必死にsaiになりきろうとしているかのようだった。 そんなことを続けていて、彼が大丈夫なはずがないのはわかっていた。 では、どうすれば良いのだろう。 「もう打つのをやめろ」とでも言うのか? 「saiのことなんて忘れろ」とでも言うのか? そんなことを彼が聞くはずがないし、言うことは無意味だった。 どうするのが良いのだろう。僕は、彼のために何が出来るのだろう。 必死になって考えた。でも答えは見つからなかった。ただ、焦燥感のようなものだけが心の隅でくすぶっていた。 こんな気持ちには、覚えがあった。 遠い昔──そう、彼が過去に「もう囲碁を打たない」と言い出した時のことだった。 彼はプロ棋士になってすぐに、突然囲碁を打たなくなったことがあった。僕は必死に説得を試みたが、すべて突っぱねられてしまった。 あの時も、彼自身は囲碁を──彼自身の碁を打つことを強く望んでいるのに、それを拒否しているように見えた。 結局僕はどうしようもなくて、ただただ、目の前の自分の碁を打つことしか出来なかった。 だがそうしているうちに、それでいいと思うようになっていった。 僕が出来ること──それはただ、前を向いて囲碁を打つしかないのだ。 そうして囲碁を打ち続けていれば、彼はきっとまた、僕の前に帰ってきてくれる。 絶対に。 そう信じるしかないのだ。 進藤。 後生だ。後生だから。 僕を、追ってこい。
|