仕事を終えて棋院を出ると、外は既に暗闇に包まれていた。


──当たり前か、時計の針はすでに19時半を指している。
フウと溜息ともつかぬ息を吐くと、その息は白い塊となって夜空に消えていった。
随分と冷え込んでいる。それも当たり前か、今年も残すところあと10日程しかないのだ。
そんなことを思いながら僕はコートの前を深く合わせて、道を急ぐ。進藤のいる病院へと急ぐ。
道を急ぎながら再び白い息を吐き、ふと夜空を見上げる。






綺麗に晴れた夜空には、星がキラキラと光って見えた。










進藤が倒れて入院してから、5日程が経過していた。


彼が入院してしまってからのこの5日間というのは本当にバタバタとしていて、僕は落ち着かない日々を送っていた。
彼の担当医である矢部先生から彼の病気の話を聞き、彼の母親と言葉を交わし、そしてベッドに横たわる彼と向き合い──そうして5日が過ぎた今でも時折、これが本当に現実なのかどうなのかわからなくなってくる時がある。

もしかして夢なのではないか。
夢から覚めれば──いつものように元気な彼が笑顔で僕の傍にいてくれるのではないか。
そんなことばかりが頭の中をグルグルと回り続けた。

そう考えながらいつも家に帰って扉を開けて──目の前に広がる、真っ暗な部屋。

キミのいなくなった部屋。

そんな風にして僕は、部屋の扉を開ける度に絶望へと叩き落とされる。毎日毎日、その繰り返しだった。




──キミのいない部屋。
キミがいなくなってしまったこの部屋は、こんなにも静かで広いよ。
僕はこの先もずっと一人で──たった一人で、この部屋で過ごしていかなればならないのかな。





++++++


進藤の入院している病院へと到着する。
すでに正規の面会時間は過ぎているのだが、仕事の忙しい僕を考慮してくれた矢部先生が、僕には特別に「いつでも面会に来てもいい」という許可を出してくれた。
そのおかげでこうして仕事が遅くなった日でも、僕は進藤に会いに行くことが出来たのだ。

505室、彼の病室。
僕はその前に立ち、コンコンと扉を叩く。
すると中から「はい」という彼の小さな声が聞こえた。
僕が静かに扉を開けてそっと中に入ると──広い病室の奥に置かれたベッドの上で、彼は横たわりながら顔をこちらに向け「塔矢」と小さな掠れた声で僕の名を呼んだ。
僕は入り口でコートを脱いでソファーの上に置き、彼の傍へと近づく。
彼は横になったまま僕の姿を目で追い、僕がベッドのすぐ横に立つと、笑顔でもう一度「塔矢」と僕の名前を呼んで手を伸ばした。
僕はその伸ばされた白い手を取り、ベッドの傍にあった椅子へと腰を下ろす。
彼はそんな僕の動きを確認しながら、横になっていた身体をゆっくりと起こそうとした。



──いつもより、動きが鈍い。
もしかして。



僕は身体を起こそうとする彼を制し、長い前髪の下に隠された額に手を当てる。
すると彼はゆっくりと瞼を閉じて「お前の手、冷たくて気持ちいい」と小さな声で嬉しそうに呟いた。



──熱があるのか。……しかもかなり高い。


いつもなら多少の微熱を抱えながらも、僕が「寝ていろ!」「もう少し大人しくしたらどうだ!」とどんなに叱ってももなかなか横にはならないというのに。そんな彼が今日はこうしてグッタリと横になっているのだ。
……相当辛い状態であることに違いない。
僕は彼の額から手を離しフウと息をつく。そして熱のせいか薬のせいか、どこかトロンとした目で僕を見る彼に話しかけた。


「……熱。大丈夫か」
「うん、へーき」
「………」
「大丈夫だよ、そんな顔するなって」


そう言って彼は僕の手を握り、ケラケラと楽しそうに笑った。
そんな彼に何も言葉を返すことが出来なくなってしまった僕は、ただ黙ってその小さな手を優しく握り返す。
彼は僕を見てニッコリと笑うと、明るい声で僕に向かって口を開いた。


「仕事、忙しいか?」
「……うん、まあ…いつもの感じだよ」
「もう年末だもんな、棋院もバタバタしてるだろ」
「……そうだね」
「もうすぐ今年も終わり──クリスマスにお正月、か」
 

彼はそう言うと、僕の方に向けていた身体をゆっくりと動かし、暗い窓の外を見る。
「今日は星がよく見えたよ」と僕が言うと、彼は笑顔で「そっかあ」と答えた。
そして僅かな沈黙が流れた後、彼は突然「あーあ!」と大きな声を出した。
驚いた僕が夜空を見上げる彼の顔を覗き込むと、彼は大きな溜息をついた。


「出来なかったなー、パーティー」
「え?」
「クリスマスパーティー。今年はお前と一緒にさ、みんなを家に呼んだりして、パーッとパーティーでもやりたいなーって考えてたんだ」
「………」
「いくらなんでも、あと3日で退院は出来ないよな。あーあ」


彼はそう言ってもう一度溜息をつくと、残念そうに「自分のせいだし、仕方ないか」
と言って笑った。



窓の外に広がる夜空を見上げながらそう言って笑う彼の笑顔は、酷く寂しそうだった。












──僕は医者ではないから、キミの熱を下げることは出来ない。
──ただこうして、キミの手を握ることしか出来ない。


そう思っていた。



でも本当は──本当はもっと、キミのために僕が出来ることって、何かあるんじゃないのかな。







ねえ、進藤。

僕は今、キミに何をしてあげられる?