近衛光が姿を消して、三週間が経った。


三週間前の丑の刻の頃、都の北東の方で魔物が現れたらしいと近衛の元に連絡が入った。
その頃ちょうど彼は、僕と僕の家で逢瀬を重ねていた時だったのだ。
その連絡を聞くや否や彼はあっという間に身なりを整え、太刀を携えて夜の闇に飛び出していってしまった。

飛び出していく彼に、僕は叫ぶ。



『約束! 忘れてはいないだろうな!』
『あーわかってるって』
『近頃、魔物の妖気が強くなってきている。気をつけろ!』
『まかせとけ』



そう言って彼はいつものようにニッと笑い、大きく手を振って僕の屋敷を飛び出していった。






──今にして思えば、それが僕の見た彼の最後の姿だった。



その次の日の朝、近衛が妖魔と戦ったであろう場所には強い妖気を残したまま死んだ魔物の残骸と、おびただしい量の血が撒き散らされていた。想像を遙かに超える凄惨な現場となっていたのだ。
近衛が倒したらしい魔物の死体はある。だが、そこに近衛の姿はなかった。
内裏にある検非違使の詰め所にも戻っておらず、報告の跡もない。自宅にも戻ってはいないという。

──そう、彼は忽然と姿を消してしまったのだ。

……何があった?
あの事件の夜、彼の身に何が起きた?

残された魔物の死体、おびただしい血。
その血が魔物のものなのか近衛のものなのかは、陰陽術を持ってしても知ることは出来なかった。彼の同僚の他の検非違使達もその日の晩は皆他の事件に当たっていたため、この現場には近衛一人しかいなかったのだという。都の中心部から少し離れたそこは、人の住まいも通りもなく――目撃者すらいない。
一体何があったというのだ。
何故彼は姿を消してしまったのだ。

いくら探しても一向に見つかる気配のない彼に、内裏内では噂が流れ始める。

『検非違使の仕事が嫌になって逃げ出したのではないか』
『強力な魔物を前に怯えて逃げた可能性だってある』
『もしくは、その戦いの際に深手を負ったのではないか』
『だが、本人どころか遺体すら見つからないというではないか』








『……どのみち、もう生きてはいまい』










「そんなことがあってたまるか!!」


ダンッ!と大きな音を立てて盤を叩く。
盤の上に置かれていた石がバラバラと音を立てて床に零れた。
そんな僕の様子と大きな物音に、同室にいた者達が皆驚いた表情で僕を振り返る。
僕のすぐ横に座っていた別の陰陽師が「大丈夫ですか」と僕に声を掛け、床下に零れた石を拾ってくれた。
その声で漸く我に返った僕は、石を拾ってくれたその男に「すみません」と言って頭を下げた。

薄暗い部屋に置かれた、青く光る盤面。そこに置かれる、白と黒の石。

そう、ここは僕等陰陽師が占いをしたり術を行ったりするための部屋――「陰陽寮」。
内裏の中心に建つ、陰陽師達の所謂「仕事部屋」にあたるところだ。

……いくら近衛が心配であろうとも、職務はこなさなければならない。
かつて藤原行洋殿に個人的に召し抱えられていた頃とは違い、現在は内裏直属の陰陽師となった僕は、毎日こうして内裏にある陰陽寮に通っている。
だが今日もこうして参内したのはいいが――仕事になどなるはずもなかった。もう三週間もこの状態が続いている。

……近衛。どこに行ってしまったんだ。
僕を残して。



「近衛殿が心配なのはわかりますが」

知らず知らず深い溜息をついていた僕に、先程石を拾ってくれた──確か「白川」という名前の陰陽師が静かな声で話しかけた。彼の口から出た「近衛」という名前に僕は思わず顔を上げてしまう。するとその男はそんな僕を見つめて柔らかく笑った。

「確か、近衛殿とは懇意にされているのですよね」
「………」
「彼が行方不明になってすでに三週間――もう季節が変わってしまいますね」

そう寂しそうに言う男の言葉に、僕は拳をギュッと握りしめる。


──そう、僕等は約束したじゃないか。
あの事件があった晩。久々に逢瀬を重ねていた僕と君。
僕の腕に抱かれながら君は言ったじゃないか。





『一緒にお花見に行こうよ』──と。



近衛。
いい加減な君だけど、約束を破るような人ではない。
僕との約束、君が忘れてなんかいるはずがない。

もうすぐ桜の花が咲いてしまうよ、近衛。

だから君は戻ってこなければならないんだ。僕の元へ。

僕の元へ。 

僕の元へ。

僕の。
僕の。
僕の。




僕の。







「賀茂殿」

男の声に、僕は再び意識を戻して男を見上げる。
すると男は僕を静かに見つめた後、僅かに身を寄せて僕の耳元で低い声で呟いた。

「近衛殿が姿を消した現場に行ってごらんなさい」
「……現場に? ですがあそこはもう──」
「まだ何かが微かに残っているかもしれない。あなたならわかるはずです」
「………」
「それと、あのお方が確か今日──都へ戻られるはずです」
「──……」
「お会いしてみるといい」

そう言って白川というその男は僕から離れ、そのまま立ち上がり部屋を出ていってしまった。
残された僕は、その場に座ったまま目の前の青く光る盤を見つめる。

彼が消えた地。都の北東。
内裏を天元とするならば、そこは──右上スミ、小目。

僕はその地にパチリと音を立てて石を置いた。



絶対に見つけ出してやる。