あれはまだ、佐為がいたころの話。














Seasons

─Spring─ Special Edition











長い長い間、碁盤の中で眠っていた私は、ある声に導かれて目を覚ます。
「もう一度囲碁を打っても良い」と神が私をお許しになられて導かれた場所は、進藤ヒカルという少年のもとだった。

かつて、私は本因坊秀策と共にいたことがあった。
私は秀策……いいえ、虎次郎が大好きだった。だが彼は流行病に倒れて私を置いてこの世を去り──それから100年あまりの年月が経っていた。
すっかり様変わりした世界へと私を導いた少年、進藤ヒカルは「囲碁」の「碁」という文字すらも知らぬような人間だったのだ。

だが彼は私と共に過ごすうちに、次第に囲碁に惹かれてゆく。それは当然のことだと思う。誰よりも囲碁を愛する私が傍にいて、そして囲碁は誰もが惹かれる程に魅力的で素晴らしい世界なのだから。

彼が囲碁に惹かれるのと同時に、私は彼に惹かれていった。
私が教える囲碁をどんどんと吸収してゆく。
そして彼の中に眠っていた素晴らしい才能という芽が次々と花開いてゆく。


神の与えた才能と、そして輝かしい未来と。
私が得られなかった二つのものを持つヒカルが、私は羨ましくもあり恨ましくあり──そして愛しくもあったのだ。






ヒカル、私は……私はね。
でも、ヒカルに私の声は届かない。





そうしてヒカルと私は、二年余りの日々を共に過ごすことになる──














そんな──あれは、暖かい春の日のこと。




囲碁のプロ試験に見事合格し、真の碁打ちとなったヒカルはプロ棋士としての日々を送っていた。
入段式も終えてホッと一息をついたある日、ヒカルは高熱を出して倒れてしまったのだ。
私は一瞬、虎次郎と同じ流行病に倒れてしまったのではないかと驚いたけれど──でもそれはただの「風邪」という病で、安静にさえしていればすぐに治るというものだった。
ホッとした私は、ベッドの上で横になっているヒカルに文句の一つも言ってやる。当然だ、私にこんなに心配させて。熱なんて出して倒れて。私と囲碁も打てないでいて。


私にはもう、時間がないのに。


『まったくもう、ヒカルときたら』
「うるさいな〜……」
『昨晩、私があれだけ注意をしたというのに。お風呂上がりに頭も拭かずにウロウロしてるから、こんなことになるんですよ』
「わかってるよ〜……」
『わかってないです! 私が……私がもしもいなくなったら、そんなだらしのない様で、どうするんですか!』


私が顔を顰めてそう言うと、ヒカルは鬱陶しそうに眉根を寄せて「またその話題かよ」と言った。


「なんだよ、この間から消える消えるって〜…。そんなバカみたいな話」
『バカなんかじゃありません!』
「あーもうお前五月蠅い! ますます熱上がる〜!」




そう言ってヒカルが耳を塞ぎ暴れ出した時──コンコンと、部屋の扉が叩かれる音がした。




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続きは新刊にてお楽しみください。