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耳元で響く、小さな機械音。
皮膚が引きつれていく。
チリチリと焼き付くような痛みを伴いながら、小さな龍はオレの身体に静かに舞い降りていった。
innocent world -another storys-
Yuki Mitani as『dragons' dance』
誰もいない部室に響く、ギターの音色。
窓から差し込む夕日がドラムのシンバルに反射して強い光を放つ。
オレは目を細めながらその光を見つめて、再びギターを鳴らす。
──目映い程の、強い光。
その光を見つめながら、オレはアイツの瞳の色を思い出す。
今から約3ヶ月程前の冬の日のこと。
オレは4年前、中学時代に中途半端な想いを残したまま別れてしまったアイツと再会した。
会うつもりなんてなかった。
ブラウン管の向こうや捲る雑誌の中でオレがアイツの姿を見て思い出すことはあっても、アイツがオレのことを思い出すことなんてないだろうと思っていたから。
あんな、僅か数ヶ月の部活動で一緒だっただけのオレのことなんか。
もうこの先、アイツとオレの歩む人生が交わることも、一生会うことすらないだろうなんて思っていた。
そう思う度に、オレの心の中には何とも言えない澱のようなものが堪っていって──いつの間にかオレは、息をすることすら面倒だと感じてしまうような、そんなつまらないヤツになってしまっていたんだ。
何もかもがつまらなかった。毎日が退屈で仕方がなかったんだ。
「塔矢を追いかける」と決めて──別の道を選んでオレの前からお前が走って行ってしまったあの日から。
なんとなく高校にいって、なんとなく大学に進んで。やりたいことも特にない。
自分が何をしたいのかさえわからない。「自分の将来」だとか、そんなことをいちいち考えるのも面倒だった。
だけどこんなオレでもギターだけは好きで、大学で入った軽音楽のサークルで毎日ギターばかりを弾いていた。
よく弾いていたのは、オレが敬愛する「Sex Pistoles」のナンバー。
ただただ、誰に伝えるワケでもなく──オレのギターの音色は誰もいない部室に響いていった。
そうしてオレのつまらない日常はダラダラと過ぎていたのだ。
そんな、ある日。
3ヶ月前の2007年1月。
オレはひょんなことから葉瀬中学の同級生達と再会した。
同じ囲碁部だった、金子正子、津田久美子、夏目、小池。そしてアイツと幼馴染みである藤崎あかり。
そいつらに、「アイツに会いに行かないか」と誘われたのだ。
一生会うこともないだろう、そう思っていたアイツに。
オレはどうしたらいいのかわからなかった。
自分の中に何層にもなって堪ってしまっているこのグチャグチャの気持ちが、アイツに会うことによってどうなってしまうかわからなかったから。
もしかしてアイツを傷つけてしまうかもしれない。勝手なオレの想いのせいで。
そう思うと足がすくんで動けなかった。
そんな迷うオレの背中を押してくれたヤツがいたんだ。
『進藤と会うだけで、進藤と話をするだけでお前は前へと進めるんじゃねーのか?』
──加賀鉄男。
中学時代の1コ上の先輩。
偶然再会したコイツもまた、心の中に様々な想いを抱えていた。
あれ程好きだった将棋を「才能がなかった」とバッサリと捨てて、それでも前を向いて立っている男。
加賀は、アイツと別れてからの4年間、一歩も前に進むことの出来なかったオレの背中を力強く押してくれたんだ。
そして、オレはアイツと再会する。
アイツは、白い部屋の、白いベッドの上にいた。
オレなど比べものにならない程の、心の痛みを、現実の痛みを抱えながら。
それでもアイツは真っ直ぐに前を向いて。
昔と変わらない、強い光を瞳に宿して。
アイツは、そこにいた。
『………三谷』
昔と変わらない、甘くて柔らかい声。
『来てくれたんだ……』
そう言って、大きな瞳からボロボロと涙を零した。
何で泣くんだよ、バーカ。
オレはお前に言いたいことがあって来ただけなんだからな。
4年もの長い間、オレのことを縛り付けやがって。
オレはボロボロと涙を零すソイツの細い手を取りながら、オレの中に堪ってしまっていた想いを伝えた。
『………ごめんな』
4年間も心の中に溜まりに溜まってオレを縛り付けていた『想い』は、たったこの4文字の一言で、サラサラと流れて静かに溶け、消えていった。
こんなにも簡単なことだったんだ。
こんなにも簡単な言葉を伝えるのに、オレは4年もかかってしまった。
バカだよな、オレ。
遅くなっちまって、ごめんな。
ソイツは白いベッドの上で涙をボロボロと零しながらオレの腕に縋り付き、何度も何度も「ごめん」と繰り返した。
バーカ。今頃遅ぇよ。
先に謝ったのはオレだっつーの。
なあ、そんなに泣くなよ。
なあ、そんなに謝るなよ。
お前はオレの進む道と違う道を選んだ。
あそこで、オレ達の道は別れてしまった。
たったそれだけのことなんだから。
お前が謝ることなんて何もない。
何もないから、どうか。
どうかもう一度、お前が石を持てますように。
進藤。
オレはそう祈りながら、今日もこうしてギターを弾き続けている。
時計を見る。
ああ、もう17時だ。
18時からレコード会社のスタジオで練習がある。
アイツとの再会で漸く一歩前に進むことの出来たオレは、今日もギターを背負って春の夕陽が射す街中を走って行った。
++++++
「おう三谷、遅ぇぞ」
「す、すいません!」
レコード会社が所有しているスタジオに入ると、バンドのメンバーはすでに全員揃っていた。
入るなりモトミヤさんに声をかけられたオレは、慌ててジャケットを脱いでギターを抱え、走っていく。
オレがいつもの定位置につくと、ベースでリーダーであるモトミヤさんが「よし、いくか!」といつものように声を上げた。
その瞬間に叩かれるドラム。
リズムを刻み出すベース。
スタジオ中に響き渡るボーカルの声。
──そして、オレのギターの音。
コレが、オレが所属するバンド『Gods』。
……とはいっても、オレがこのバンドのメンバーになってからまだ3ヶ月しか経っていない。
歳も一番下だし、経験も一番浅い。もちろんテクニックだってオレが一番下手クソだ。
元々この『Gods』というバンドは、オレが所属している大学のサークルの先輩であるモトミヤさんが3年程前に作ったロックバンドだ。
モトミヤさんという人はこのバンドのベースでありリーダーで、地元にはすでに熱狂的なファンもいたりする。
インディーズの中でもこの『Gods』というバンドの名前は知れ渡っていて、その中でもモトミヤさんはかなりの有名人だった。
大学に入る少し前、オレは受験勉強の気晴らしにたまたま行ったライブハウスで、この『Gods』の音を始めて聞いた。
「魂」とでも言うのだろうか。
心の奥底に眠っていた「本当のオレ」ともいえる部分が、『Gods』が奏でる音によって強く揺さぶられたんだ。
こんな経験、したことがなかった。音楽でこんなにも感動することが、感動させることが出来るなんて。
一発でファンになったオレは、『Gods』のライブには欠かさず行くようになった。
ライブハウスでバイトをしたりしているウチに、モトミヤさんと知り合うことも出来た。
そしてその後、運良く一つだけ滑り込み合格をした大学のサークルに──モトミヤさんがいたのだ。
そんな風にモトミヤさんと、そしてこの『Gods』というバンドと付き合いを続けていた、ある日。
オレが進藤と再会した3ヶ月前のあの日。
進藤の入院している病院から真っ直ぐにモトミヤさんのライブ会場に行ったオレは、モトミヤさんが歌ったシド・ヴィシャスのナンバー『マイ・ウェイ』を聞いた。
まるでその時のオレの気持ちをすべて代弁してくれているような『マイ・ウェイ』の歌詞。
そしてオレの心を強く揺さぶるモトミヤさんの歌声。
耳にこびりついて離れなくなってしまった。
そのライブには、実はレコード会社からスカウトマンが来ていて、『Gods』は見事スカウトされた。
だがその時、ちょうどギターだったメンバーが抜けることになり──モトミヤさんが新しいメンバーとして誘ったのが、オレだったのだ。
以前のオレだったら「そんな、バンドでメシを食うだなんて夢みたいなこと」…なんて思って、いくら憧れのモトミヤさんが誘ってくれたとしても断っていただろう。
だが、進藤と再会することが出来て、想いを伝えることが出来て。
確実に一歩前へ進むことが出来たオレは、自分を確かめたかった。
今までグレー一色だったこの世界を、鮮やかな色に染まる世界へ──自分の力で変えてみたかったんだ。
進藤のように。
そうしてオレはモトミヤさんの誘いを受けて──現在に至るのである。
オレたち『Gods』は、年内のデビューに向けて毎日練習を続けている。
好きな音だけを弾いていれば良かったインディースではなく、人から求められた音を。
自分たちが本当に伝えたい選ばれた音を。
そんな音楽を伝えることの出来るバンドを目指して、オレたちは歩き始めていた。
「よーし、休憩」
立て続けに3曲を弾き続けたオレたちは、モトミヤ先輩の声で一息をつく。
オレもフウと大きく息をついて、汗を拭きながら椅子に腰を下ろした。
……やっぱりまだまだだな。
当たり前のことだけど、オレが一番下手クソだ。
クソ、ギターが一番下手でどうするんだよ。
早く、早く上手くなりたい。
もっともっといい音を弾きたい。
そして、オレにしか弾くことの出来ない音を奏でてみせるんだ──
ギターを抱えながらそんなことを考えていたオレの横に、モトミヤさんがドカリと音を立てて腰を下ろした。
突然オレの横に座ったモトミヤさんに驚きながらも、オレは「お疲れさまです」と声をかけた。
「休憩中もギターを離さないとは、随分と練習熱心だな」
「あ、いや。……その、オレが一番下手クソだから。早く上手くなりたくて」
「そりゃそーだよな」
「す、すみません」
足を組みながらゲラゲラと笑うモトミヤさんに、オレは少し赤くなって頭を下げた。
そんなオレに、モトミヤさんは「そのせいかねぇ」と言葉を続けた。
「お前の音、どんどん良くなってるぜ」
「え」
「毎日聞く度にビックリしてる。上手くなってるよ、お前」
笑顔でそういうモトミヤさんの言葉に驚いたオレは、声を出すことが出来ず、目を見開いてモトミヤさんをジッと見つめる。
そんなオレの顔を見て、モトミヤさんは「んなビックリすることねぇだろ」と言ってまた笑った。
……だって、嬉しかったんだ。
こんな風にモトミヤさんに誉められるだなんて思っていなかったから。
あまりの嬉しさに顔が赤くなっていくのをなんとか堪えようと、オレは必死になって歯を食いしばりながら俯いた。
そんなオレに、モトミヤさんは言葉を続ける。
「なあ、三谷。お前、作曲とかはしねーの?」
「作曲……」
突然のモトミヤさんの言葉に、オレは顔を上げる。
モトミヤさんは手元に自分のベースを引き寄せながら、さらに言葉を続けた。
「1曲ぐらい、作ったことあるだろ」
「え、あ、その…遊びで…なら」
「今度聞かせろよ」
「で、でも」
しどろもどろと言葉を続けるオレにモトミヤさんはフッと笑うと、ベースを抱えて立ち上がり、バンドの配置へと戻っていく。
そんなモトミヤさんを見て、他のメンバーも各々の立ち位置へと戻っていく。
未だ呆然と座り続けるオレに向かって、モトミヤさんは言った。
「何があったか知んねーけど、今のお前、前よりずっといい音出してる」
「………」
「もうそろそろ、次の一歩を踏み出してもいい時期なんじゃねーの」
次の、一歩を。
オレだけの、音を。
「前へと進むチャンスを見逃すな」
++++++
「……作曲、か」
夜空を見上げながら、思わず口から言葉が零れる。
スタジオで練習を終えたオレは家へと帰る道すがら、モトミヤさんに言われた言葉を頭の中で何度も再生をし続けていた。
『前へと進むチャンスを見逃すな』
作曲。
オレだけの音を生み出すこと。
モトミヤさんに言った言葉は嘘じゃなかった。
実際、ギターを片手に遊び半分で作った曲は何曲もある。
だけど、とてもじゃないが人に聴かせることのできるようなものではなかった。
どこかで聴いたことのある音、ありがちなメロディー。
どれもこれも既存の曲のコピーのような気がして、とても「自分が作りました!」などと胸を張って言える代物じゃなかった。
自分だけの曲を。
自分だけの世界を。
オレに作ることが出来るだろうか。
オレはフウと息をついて夜空を見上げる。
今日の夜はよく晴れていて、東京の夜空にしては珍しくたくさんの星が見えた。
キラキラと光り輝く星たち。
進藤は、そんな星々を自らの手で生み出すようにして、白と黒の石を並べていく。
碁盤の上で、進藤は自分だけの『宇宙』を作り続けているんだ。
オレにもこの自分の中にある『想い』をカタチにすることが出来たらいいのに。
──お前のように。
「また会いに行ってみるかなあ…」
キラキラと輝く星を見上げながら、そんなことをなんとなく呟いた時。
「三谷ーっ!」
突然背後からオレの名を呼ぶ大きな声が聞こえたかと思うと、突き飛ばさんばかりの勢いで背中に何かが力強くぶつかり、オレは思わず体勢を崩して転びそうになってしまう。
一体何事だと思いながら「いってーな…!」と怒鳴りつつ振り返ると、そこにいたのは──
「かっ…金子!」
「ヨッ。久しぶり」
そう言って金子正子──中学の時のオレの同級生はニッと笑った。
金子正子。
現在、国立××大学の法学部一年生。
オレと同じ葉瀬中の卒業生で、囲碁部の女子メンバーだったヤツだ。
当時、囲碁の腕もなかなかのモノで、あの弱小囲碁部の中では男子も女子も含めてオレの次に強い女だった。
……だが、この女が強かったのは囲碁の腕だけではなくて。
鼻っ柱も腕っ節もやたらと強い女で、進藤とケンカ別れをしてしまって突っ張っていた中学時代のオレを、無理矢理囲碁部に引っ張ってきたのもこの女だった。
それだけじゃない、進藤と再会するきっかけを作ったのも──金子だったのだ。
コンビニでバイトをしていたオレの元に突然現れ、オレに進藤のことを伝えて「会いにいこう」と手を伸ばしてきた。
……コイツがいなかったら、コイツのあの「強引さ」がなかったら、オレは未だに進藤と再会は出来ていなかったかもしれない。
そう考えてオレは僅かだけど、本当に僅かだけど、この強引な女に感謝をしていた。
……口に出しては絶対に言わないけどな。
兎にも角にも。
強引。生意気。身体もデカけりゃ態度もデカイ。可愛げの欠片もない女。
金子正子はその性格において、中学時代から何一つ変わっちゃいなかった。
……変わっちゃ、いないのだけど。
唯一この女が中学時代と変わった点があるとしたら──その外見だった。
中学時代からガタイのいい女だったけど、それはどちらかというとヨコに広がっている感じで。
それがこの4年でどこをどうしたらここまで変わるのか──今では長身で細身、「モデル体型」といっても過言ではない程のスタイルのいい女になっていた。
塔矢アキラばりにトレードマークだったあのオカッパ頭も今ではすっかり変わり、ツンツンと短くカットされた黒髪になっている。
黒ずくめとはいえ服装も派手で、ライダースジャケットに黒いホットパンツ、シルバーで統一しているアクセサリーたち。
あの中学時代の制服姿からは想像もつかない、パンクス的なファッションに身を包む女へと変貌を遂げていたのだ。
まさに、「美人」。
そんな言葉がピタリと似合ってしまう女に、金子正子はなっていた。
「何さ、人の顔ジッと見て」
二人で夜道を歩きながらそんなことを考えていたオレに、金子はニヤニヤとしながらオレの顔を覗き込んでそんなことを聞いてきた。まさか「お前のことを考えてました」
だなんて死んでも言いたくないオレは、ムキになって「み、見てなんかいねーよ!」と大声で言い返した。そんなオレの言葉を聞いて、金子はオレの横で豪快にガハハと笑った。
そして暫くそのまま、家の方角が一緒であるオレたちは他愛もない話をしながら夜道を歩き続けた。
「それにしてもお前、何してんだよ。こんな遅い時間まで」
「お、何? 心配してくれるワケ?」
「誰がお前みたいなデカイ女心配するか!」
「アハハハ」
「……って、バイトか。ファミレスの」
金子は確か、オレがバイトをしていたコンビニの近くのファミレスで働いていたはず。
そう尋ねると、金子はポケットから取り出した煙草を口に銜えて火をつけながら「あそこはもー辞めた。時給安いし、店長ムカつくし」と言って再び笑った。
フーッと金子の口から吐き出された白い煙が、夜風に乗って踊るようにしながら夜空へと舞い上がり、消えていく。
そんな煙の様子をなんとなく眺めていたオレに、金子は小さな名刺をオレに差し出した。
そこに書かれていたのは、店舗の場所を示した小さな地図と恐らく店舗名である英単語。
「dragons' dance……?」
「そ、今のアタシのバイト先」
金子はそう言って再び煙りを吐き出すと、ニッと笑う。
その笑顔を見て何故だかウッと固まってしまったオレに、金子は言葉を続けた。
「興味があったら来なよ。アタシは毎日いるからさ」
星が輝く夜空の下で金子は笑いながらそう言うと、「じゃーね」と言ってオレの家へと続く道とは別の道を勢いよく走って行ってしまった。
一人夜道にポツンと残されたオレは、金子が置いていった「新しいバイト先」というその名刺をジッと見つめる。
すると──その名刺の下の方に何やら小さい文字が書かれており、オレは思わずその言葉を声に出して読み上げてしまった。
金子の今のバイト先、『dragons' dance』。
そこは。
「……タトゥー?」
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