「チース」


「遅いっっっ!!!!」




バイトを終えて18時にスタジオに入ったオレを出迎えたのは、バンドのメンバー全員による興奮した怒鳴り声だった。
あまりの剣幕に驚いてしまったオレは、おののきながらも「な、なんですか」と言葉を返す。
するとドラマーがオレの頭に、ボーカルがオレの腰に、それぞれタックルして来たかと思うとそのままギュウギュウと締め付けてきたのだ。

一体何事なんだ。バイトの後に行くというのは言っていたし、遅刻だってしていない。
何で来るなりこんなプロレス技のようなものをかけられなければならないんだ!

「な、何すかー!?」と叫びながら二人の男に締められてモガモガと暴れるオレに、メンバーは次々と興奮した口振りで話し出した。


「よく聞けー! 三谷ィ!!」
「オレ達の曲が、映画につかってもらえることになったんだよ!」
「つまり、デビューが決まったってこと!!」


…………。
………………デビュー?
…………………………………映画!?



全く予想していなかった言葉に一瞬息を止めてしまう。
そしてその次の瞬間に盛大に息を吐き出しながら「映画!?」と大声で叫びだしていた。


オレたちのような新人バンドがメジャーデビューするにあたり、盛大に売り出すために欠かせないものの一つとして「タイアップ」というものがある。
要するに、CMやTV、映画などで曲を使用してもらうことだ。
そうすれば普段ロックなど聴かない人たちにも、新人バンドなどに興味のない人たちにも、TVなどを通じてオレ達の音が届くことになる。ほんの10秒程度でも、オレ達の作り出した音が人々の耳に伝わっていくのだ。
……とはいえ、そう簡単にはいかないのがこの世界で。
すでにメジャーの第一線で活躍しているミュージシャンであれば「タイアップ」のオファーなんかもたくさん来るのだろうけど、オレ達のような新人バンドに「タイアップ」がつくことは、まず難しいとされている。

それが、まさか、こんな。
しかも、映画のタイアップだなんて。
そんなことってあるのだろうか。

ヤバイ。心臓がヤバイくらいにドキドキいっている。
こんなスピードで鳴り続けていたら、オレはどうにかなってしまうんじゃないだろうか。

ドキドキする胸を押さえながら、あまりの出来事に言葉を失っているオレにメンバーたちは興奮しながら話しかける。


「そう、映画だぜ! しかも、主・題・歌!!」
「マジすごくねえ!? オレら新人だぜ!?」


ギャー!と叫びながら興奮するオレ達3人の様子を後ろから黙ってみていたモトミヤさんが、「おい、いい加減にしろよ」と言いながら静かに口を開いた。


「映画つっても、インディーズ系だけどな」


『インディーズ系の映画』という、以前どこかで聞いた言葉に身体がピクリと反応する。
……確か。オレが知っているアノ俳優は、インディーズ系の映画によく出ていると言っていなかったか。

「その筋では結構有名な監督らしくてな。ホラ、CMでライブカードのシリーズあるだろ。
 アレの監督をしている人らしい」

……やっぱり。ということは、まさか。


「あの、主演俳優は……」
「いいか、お前ら」


オレがモトミヤさんに質問するよりも先に、モトミヤさんの低くて真剣な声がスタジオに響いた。
すると、先程まで興奮していたドラマーとボーカルも途端に真剣な顔になってモトミヤさんを見つめる。
オレも思わず姿勢を正して、口を開くモトミヤさんを見つめた。


「何にしても、他の人に認められる。そして『仕事』として依頼が来る。
 オレ達は『プロ』だ。もう後戻りは出来ねえ」
「………」
「曲は書き下ろしになる。全力を尽くそう」


モトミヤさんの気合いの入った言葉にオレ達は「おお!」と力強く返事をして、練習をすべくそれぞれの配置へとつく。
オレもギターを抱えていつもの位置へ行こうとした時──モトミヤさんがオレの腕を掴んで引き寄せ、オレの耳元で囁いた。

「三谷、お前が曲作れ」
「……えぇ!?」

驚くオレに、モトミヤさんはニヤリと笑って言葉を続ける。






「言ったろ、チャンスを見逃すなって。前へ進め」








オレの心臓は、さらに強い音を立ててドキリと鳴った。











++++++















デビューの話。
映画の主題歌の話。
そして、その曲をオレが作るという話。



『前へ進め』




そう言ったモトミヤさんの言葉が頭の中で木霊する。




今日1日で起こった様々な出来事を、オレは頭の中でグルグルと何度も再生し続けていた。
たった1日で、こんなにもたくさんの出来事が起こるなんて。

たった1日。されど1日。
確実に昨日のオレと今日のオレは違う。
これが前へ進むということなのだろうか。

オレはフウと息をつきながら、もう一度脚本を開いた。



映画の主題歌を書き下ろすのだから、その映画の内容をわかっていなければならない。
どんな映画なのか。テーマは何なのか。観客に伝えたいものは。
映画のラストを飾るのだ。観客は劇場を出た後も、主題歌を頭の中で口ずさみながらこの映画を思い出すに違いない。

……くそ、責任重大だぜ。

そう思いながら、オレはベッドに寝ころんで借りてきた脚本を読み込んだ。









主人公は若い男。──奇しくもその男の職業は「棋士」。
将棋の棋士であるその男は、破天荒な生活をしながらも天才的な才能を発揮して将棋界を席巻していく。
上へ上へ、誰よりも強く。
遙かなる高みを目指して突き進んでいく彼には、大切な人がいた。
ひょんなことから知り合った10程も歳が違うその少女とは、不思議な絆で結ばれていく。
──だが彼女は、不治の病に冒されていた。





………何だかどこかで見た構図。
どこかにモデルとかいるんじゃねえだろうな。

そう思いながら、オレはページを捲る。
話自体はありふれたモノだけれど、この監督は不思議な絵を撮る監督だ。
どんなありふれた脚本でも、この監督が撮ると不思議と観たことのないような新しい物語へと生まれ変わる。
そう、この監督の映像にあの主演俳優が登場すれば──そこにあるのは誰も見たことのない新しい世界。


脚本のラストページ。
クレジットが記されている。
主演俳優は、もちろん。




「加賀……鉄男」






3ヶ月前のあの日──進藤に会うのが怖くて、立ち止まって周りが見えなくなっていたオレの背中を押してくれたヤツ。
そして進藤と再会し、『マイ・ウェイ』を聴いて涙を流したオレを静かに受け止めてくれた男。




あれから、加賀とは会っていない。






加賀鉄男、か。




オレとアイツもこの映画の主人公の男と少女のように、何故だか不思議な縁がある。
中学の部活だって一緒だったワケじゃない。
世話になった覚えだってない。
友人でもない。
知人……という程、オレはアイツのことを知らない。
なのにアイツは、オレが迷った時や立ち止まった時に必ず現れて、オレの背中を突き飛ばすようにして押してくれるのだ。

ヘンな関係だな。
オレと加賀の関係を表す言葉をオレは暫くの間考えたけれど、ピタリと当てはまる言葉は何も見つからなかった。








……そうか。オレが初めて作る曲は、加賀が主演する映画の曲。
加賀のための曲なのか。


これもオレ達のヘンな関係がもたらす「不思議な縁」ってヤツなのだろうか。






迷っていたって仕方がない。立ち止まっていては何も進まない。
ここでこうして悩んでいても、何もわかりはしないのだ。
前へと踏み出すチャンスを見逃すな。






会いにいってみるか。





















加賀鉄男。
待っていろ。



























アンタのための飛び切りの曲を、書いてやる。








++++++





春の日の撮影所。
世田谷区の成城にあるその撮影所には、朝早くからたくさんの人々が集まっていた。
制作スタッフ、役者、映画会社の人々、取材に来た人々など。

映画というのはこんなにも大勢の人間が関わって作られるものなのか。
オレは初めて訪れた映画の制作現場に驚きながらも、たくさんの人々が行き交う様子を眺めていた。

「曲のイメージ作りのために撮影現場を見学したい」と言ったオレに、映画の監督は快くOKをしてくれた。
「邪魔にならなければどこから観ていてもいいよ」と言ってくれた気さくな監督の言葉に甘えて、オレは朝からずっと撮影現場の様子を見学していたのだ。


今日の撮影シーンは、主人公の男が将棋を指すシーン。
本物の和室のように作られたセットに、たくさんのスポットライトが当てられる。
大きなカメラが何台も覗く中に、この映画の主人公を演じる男が颯爽と登場した。


──来たな。


スタジオに挨拶をしながら入ってきた加賀を、オレはスタジオの隅からジッと見つめた。
浅葱色の着物に袴、そして上着を肩にかけた衣装で加賀はセットの中央に座る。

何だか変な感じだな。
昔からよく知っている顔なのに、ああして衣装を着てスポットライトの下にいる加賀は別人のようだ。
そうか、今あそこにいるのはオレが知っている加賀鉄男じゃない。『役者・加賀鉄男』なのか。
それを証明するかのように、こんなにも近くにオレがいるというのにヤツは全く気が付いていないじゃないか。

そんなことを考えていたオレの耳に、スタッフの「それでは本番行きまーす!」という大きな声が響いた。
すると、それまでザワザワとしていたスタジオが一瞬にして静まり返る。
今までに体験したことのない程の強烈な緊張感がスタジオ全体に走る。
出演者でもスタッフでもないオレまでもがあまりの緊張感に息をすることも忘れ、一瞬にしてカラカラに乾いてしまった口を潤すようにゴクリと唾を飲み込んだ。





「よーい! ハイ!」





スタジオ中に響き渡る監督の大きな声。
その声と共に、パチリと加賀が将棋の駒を指す小気味いい音が響いた。





パチリ、パチリ。





加賀が駒を指す度に、オレの中で何かがピシリと音を立てて響く。
あまりに緊張しすぎて、その緊張の糸が弾かれる音なのか。
それともオレの中に眠る何か別の感情の糸が弾かれる音なのか。
とにかくオレは息をすることも、瞬きすることすら忘れて、ただひたすらに加賀の姿を見つめ続けていた。






「ハイ、カット!」





再び監督の大きな声が響く。
その瞬間、オレはまるでかけられていた催眠術が解けたかのように、全身の力がガクリと抜けて、本当に大きくプハーっと止めていた息を吐いた。
思わず座り込みそうになってしまうのを防ぐために、オレは両手を自分の両膝につい
て必死に自分の身体を支えた。すると、否応にも膝に置かれた自分の手が視界に入る。


……情けねぇ。震えてやんの。


あまりの緊張感に。
そして将棋を指す加賀の──役者としての加賀の迫力にオレはすっかり気押されてしまい、震える手を止めることが出来なかったのだ。


……すごい。
わずか数分のシーンで、こんなになってしまうなんて。
あの数分の間、オレの目の前にいたのは加賀鉄男ではなかった。
この映画の主人公の男が、一人静かに駒を指していた──

一瞬にして、その世界観に引きずり込まれた。
これが『役者』というものなのか。



再びザワザワとし出すスタジオの片隅で、オレはフウと息をつくと再び加賀をジッと見つめた。
さぞ充実した顔をしているのだろうと思っていたのだ。

──だが。
オレの視線の先にいた加賀は、モニターを観ながら監督と何かを話し、どこか浮かない顔をしていた。
いつも自信満々、瞳から絶対に強い光を失うことのないはずのその顔には、今まで見たことのないような翳りがあった。

……いつもの加賀じゃない?

直感だけど、なんとなくそう思ったオレはそのままジッと加賀を見つめ続ける。
すると加賀はそんなオレの視線に気が付いたのか、ふとこちらに顔を向けて、オレの存在をその視界に入れた。
やっと気が付いたか。どうせまた、いつもみたいにからかって来るんだろうな。
そんなことを思いながらオレは加賀を睨み、思わず身構えてしまう。
だが加賀は──ほんの一瞬、僅かに目を見張って驚いたような顔をしたがすぐに表情は元に戻り、フ、と僅かに笑ってスタジオから出ていってしまった。



──なんだ、アイツ。



やはりいつもと様子が違う加賀に、オレは首を傾げた。


























何でだよ。何でそんな顔してんだよ。

アンタには、いつも力強く前を向いていて欲しいのに。










++++++








「加賀!」




休憩時間になって撮影が中断し、スタジオから人々が散り散りに出ていく。
加賀の居場所を聞いたオレは、スタジオの小さな裏庭のようなところでひっそりと一人で煙草を吹かしていた加賀に声をかけた。
名前を呼ぶオレの声を聞くと、加賀はオレの方へと顔を向けて「よう、ミュージシャン」と言って笑った。

……いつもの加賀……のように見えて、やはりどこか違う感じがする。
オレは黙ったままヤツの傍に近づいて、そのすぐ隣に腰を下ろした。

「吸うか」と煙草の箱を差し出される。
オレは無言のまま1本煙草を抜き取り、火をつけてフーッと白い煙を吐き出した。
春の日のよく晴れた空に、オレと加賀の白い煙が混じり合うようにしながら、高く高く伸びていく。
黙ったままその煙をボンヤリと眺めていたオレに、加賀が静かな声で話しかけた。


「お前がオレ様の映画の主題歌を書くそうじゃねーか」


そう言って加賀はククッと喉の奥で笑う。「まさかこーなるとはねえ」と煙を吐き出しながら小さな声で呟いた。
そんな加賀をジロリとオレは横目で見ながら「……アンタが手を回したんだろ」と低い声で呟いた。

そう、不思議に思っていたのだ。インディーズ系の映画とはいえ、オレ達のような名もない新人バンドに主題歌のオファーが来るだなんて普通あり得ない。
もしそんなことがあり得るとしたら──それは「コネ」というようなモノしかない。
だから、きっと加賀のヤツが監督にオレのバンドの歌を使うように言ったのかもしれない。
そんなオレの言葉を聞いた加賀は、「ヘッ」と鼻で笑うと低い声で口を開いた。


「バーカ、オレにそんな権限あるか。あの監督、ライブハウス巡りが趣味なんだよ。
 んで、たまたまお前らのバンドの音を聞いたんだ。それでその音に惚れて依頼したんだとよ」
「……そう……なのか?」
「もっと自分の音に自信もてよ」


加賀はそう言って笑った。

……なんだ、コイツ。

いつになく優しい加賀の言葉と声に、何故だかオレは顔が赤らんでいくのを止めることが出来なかった。
何やってんだよ、オレ。何でこんなヤツの言葉にオレが赤くならなきゃいけねーんだよ。
オレは赤くなってしまった自分の顔を誤魔化すように、ゴホンと咳をしながら加賀に
話しかけた。


「ア、アンタこそ、棋士の役なんてうってつけじゃねーか」


そうだ、加賀の方こそ。
将棋の棋士の役だなんて、まさに加賀のための役じゃないか。
加賀がモデルになったんじゃないかと思わせる程の、ピタリと加賀に当てはまる役だ。
先程の撮影で見せた、加賀が駒を指す姿は……悔しいほどにカッコ良かった。


そんなオレの言葉を聞いた加賀は静かに煙を吐き出すと、空を見上げながら「うってつけ、ねえ」と小さな言葉で呟いた。
そして、オレが想像もしていなかった言葉を、煙と共に吐き出したのだ。







「どうにもこうにも居たたまれなくてな」

「……は?」










……居たたまれない?
加賀の言葉の意味がわからなくて、オレは顔を顰めて加賀の横顔を見つめる。
すると加賀はしゃがんでいた腰を上げて立ち上がると、空を見つめながら口を開いた。



「こうして駒を持ってると、嫌でも思い出すんだよ。自分が棋士を目指していた日々を」
「………」
「そして駒を指す度に思う。何でオレはコイツを捨てちまったのか、ってな」



そう言って加賀は、自分の右手をジッと見つめる。
かつて──棋士を目指して駒を握っていた、その右手。
だが駒は『棋士になる』という夢と共に、右手から滑り落ちていってしまった。

加賀はかつてのそんな自分を思い出すかのように、右手を見つめながら言葉を続けた。



「自分の中にもう才能はない。そう思って捨てたはずなのに。
 新しい自分に向かって前へ進んだはずなのに」
「………」
「ところがドッコイ、未だに未練タラタラじゃねえか。
 もしかしてオレは、前へ進んだんじゃなくて、ただ単に将棋から逃げたかっただけなんじゃねえのか。
 撮影が進んで将棋の駒を持つ度に、そんなことばかりを考え始めた」


加賀はそこまで言うと、フッと笑って「情けねぇなぁ」と呟く。
そしてもう一度青空を見上げて、フーッと深く息をつきながら煙草の煙を吐き出した。



「一旦そう考え出しちまったら、芝居が出来なくなった。全然撮影が進んでないんだ。
 さっきのも多分撮り直しだろ」
「………」
「まったく、居たたまれねえ?ーか…駒に申し訳なくてな」
「………」
「何やってんだ、オレは」


見上げる青い空は、春の風に吹かれてゆっくりと白い雲を滑らせていく。
そんな空に浮かぶ雲を目を細めて見つめながら、加賀は静かな声で呟いた。











「オレは──役者になって、どこへ行きたかったのかな」












短くなった煙草をポトリと地面に落とすと、草履を履いた足で踏みつぶして「じゃーな、ミュージシャン」と言ってクルリと背を向け、スタジオへ向かって歩いていった。






















………。
………何言ってんだよ。
……………今更、何言ってんだよ。





フザケんな。




































「アンタ、何言ってんだよ!!」




オレの怒鳴り声がスタジオ中に響いた。
大勢のスタッフたちが驚いてオレを見つめる。
当の加賀だけは振り返らずに背を向けたままだったけど──それでもオレは、叫ぶのを止めることが出来なかった。





だって、悔しかったんだ。





「アンタ、今更何言ってんだよ!!
 アンタがオレに言ったんじゃねーか!! 前へ進めって!!
 前へ一歩踏み出すだけで、世界の色が変わるって言ったのはアンタじゃねーか!」





いつもいつも、力強い瞳で前だけを見つめ続けていた加賀。
オレは、そんなアンタの瞳に引っ張られて、ここまで来たんだ。





「受け入れたんじゃねーのかよ!
 将棋を捨てた自分も! 逃げ出した自分も! 役者の道を選んだ自分も!
 それをすべて受け入れて、あんたは今の場所へ来たんだろ!」





アンタが背を押してくれたから、オレは前へ進めたんだよ。





「『どこに行きたかったか』だって!? そんなのアンタが決めることだろ!
 アンタはいつだってそうやって、自分で自分の道を決めてきたんじゃねーのかよ!」





アンタがいたから、オレや進藤は。





「オレや進藤にそう言って、背中を押してくれたのは、アンタじゃねーかよ!」














だから、今度はオレがアンタの背中を突き飛ばしてやる!















「今更カッコ悪ィこと言ってんじゃねーよ!! バーカ!!」















「バーカ!」と叫んだオレの声が、天井の高いスタジオにビリビリと響いて木霊していった。
スタジオにいる大勢の人々は、ポカンとした顔でオレと加賀を交互に見つめている。
まるで先程の撮影中のような──シンとした静粛がスタジオ中に広がる。

怒鳴るだけ怒鳴り散らしてしまったオレは、ハアハアと肩で息をしていた。

そんなオレの呼吸だけが響く中、オレに背を向けていた加賀が背中を震わせながら「クックック…」と笑い出した。
オレの息に混じって、ヤツの笑い声がスタジオに響き始める。
オレは思わずムッとして「オイ、聞いてんのかよ!」とその背中に向かって再び怒鳴った。
すると。


「へっ…偉そうに」


加賀の、いつものようにどこか人を小馬鹿にしたような口調での言葉。
その声に、オレは思わず「なっ…何ィ!?」と反論してしまう。
そんなオレの声に応えるように、加賀は言葉を続けた。


「将棋に未練がタラタラなのも自分。役者の道を選んだのも自分。
 こうしてバカな後輩に説教されるのも自分」
「なんだと!」
「それでもオレはオレ。オレは加賀鉄男だ。それだけのことか」



加賀はそう言うと、羽織っていた着物をバサリと音を立てて脱いだ。
そしてマントのように鮮やかに翻し、右手で肩に担ぐ。
外の明るい春の日差しがスタジオの窓から入り込んで、加賀を照らした。
加賀は光を浴びながら、ゆっくりとオレの方へと振り返る。

するとその顔はいつもの──憎らしい程に自信満々で、前だけを見つめる強い瞳を持った──いつもの加賀鉄男の顔だった。

そして自信たっぷりの力強い瞳で、ヤツはニヤリと笑いながらオレに向かって言った。










「サンキュー、ミュージシャン。いい曲、期待してるぜ」









──オレにそう告げて、スポットライトの下へと戻っていったその役者は。
先程撮影したシーンと同じシーンを、もう一度撮り直していた。
だが──明らかにその姿は、先程までとは別人のように変わっていて。
オレから見れば先程のも十分スゴかったのだけど、今の加賀は比べものにならない程に、本当に本当にスゴかった。
だって、スポットライトなどなくたって、そこにいるだけで輝いて見えるんだ。


ああ。本当にスゴイ。
アンタ、本当にスゴイよ。


迷いをなくした表情で指される駒は、スタジオ中にその澄んだ音を響かせた。













そしてその音を聞いた瞬間──オレの頭の中に、あるメロディーが流れ始める。
それと同時に、身体中が電流が走ったようにビリビリと痺れ、いつもギターの弦を弾いている右手がブルブルと震えた。























これだ。この曲だ。










──書ける。今なら曲が書ける。








































オレは挨拶もそこそこにスタジオを飛び出すと、そのまま止まることなく走り続けた。
走っている間にも、メロディーは口から零れ続ける。
次から次へと溢れてくるそれは、もう止めることなど出来やしない。
今すぐ譜面に起こしたい。今すぐギターで奏でたい。今すぐ大声で歌い出したい。
そんな逸る気持ちを抑えながら、オレはひたすら走り続けた。








ああ、胸がドキドキするよ。
だって出来たんだ。





オレの曲。
誰のマネでもない、オレだけの曲。






だってこれはオレが知る、オレだけが知る加賀鉄男のための曲だから。






アンタのためだけの、オレの曲だよ──







ああ、タイトルは何にしようか。

















































──そう思った時。
この前ふと目にした単語が、オレの頭の中を過ぎった。











++++++














「いらっしゃ……なんだ、三谷じゃん」
「金子!? おまっ……」











店のドアを開けて受付にいた金子の姿を見て驚く。
クラッシュジーンズの上に黒いタンクトップを着ている金子。
いつもと同じようなファッションなのだけど──オレが驚いたのは、その剥き出しになっている細い腕。

そこには、黒い大きな龍の模様が彫られていたのだ。






──そう、金子がアルバイトをしている店「dragons' dance」。
タトゥーの専門店だった。


最近では刺青のような模様のシールを肌に貼るだけのシールタトゥーや、落ちにくい絵の具で描くだけのファッションタトゥーのようなものが多いけど──この店は違う。
『彫り師』が肌に直接模様を彫っていく──本物のタトゥーを入れてくれる店だった。

店の奥に通されたオレは、お茶を出してくれた金子の腕をマジマジと見つめる。
すると金子はオレの視線に気が付いたのか、「ハハ、スゴイだろ」と言って笑った。
スゴイにはスゴイけど、お前。


「……お前、大学何学部だっけ」
「法学部」
「……将来の夢は」
「弁護士」
「……刺青した弁護士が、どこにいるんだよ……」


呆れたような口調で言うオレに、金子は「アンタって意外にお堅いんだねぇ」と言ってガハハと笑った。
金子はオレの正面のソファーにドカリと音を立てて座ると、煙草を銜えて火をつけながらオレに言った。


「別に、カッコつけとかファッションでやってるんじゃないよ。
 コレは、アタシの『覚悟』のしるし」
「……覚悟?」


そう聞き返したオレの言葉に、金子はニッと笑って言葉を続ける。


「無駄に悩んだりしないように。ジタバタしないように。立ち止まらず前へ進むために」
「………」
「コレを見る度に、アタシは思い出すんだ。コレを彫った時のアタシの気持ちを」
「………」
「将来法廷に立った時にも……その気持ちを忘れないようにするために」


強い瞳でそう語る金子の顔を、オレはいつの間にかジッと見つめてしまっていた。
金子はそんなオレの顔を見て「お? 何、惚れちゃった?」と言って笑う。
「フザケんな、バーカ!」と慌てて言うオレに、金子は再びガハハと笑った。




惚れたりなんかするもんか、お前みたいにデカくて強い女。
こんなトコロで口車に乗せられて、簡単に言ったりなんかするもんか。

いつか見てろよ、強引女。






そう心に決めた時、奥から「三谷さーん」と名前を呼ばれる。
オレは立ち上がって待合い室を出る時、後ろにいる、オレをここまで引っ張ってきてくれた強引女に向かって言った。









「なあ、金子」


「オレにもその『覚悟』、分けてくれねーか」
















天井の低い狭い部屋に通されたオレは、仰向けのまま台に横たわる。
医者のような道具と共に様々な色の小さなビンが置かれた奇妙な部屋で、オレはジッと薄汚れた天井の隅を見つめていた。
すると、目の前に金子の顔が現れる。
「何だよ」と言うオレに、金子は少しだけ真剣な顔になって口を開いた。


「いいかい、刺青ってのは「どうせ消せるからいーや」とか思っちゃダメだよ。
 確かに消すことは出来るけど、痕は残るんだから。そこに何かがあった、っていう痕は」

「うるせーな、わかってるよ。ささっと彫れ」



そう言うオレに、金子は「あっそ」と言ってニヤリと笑うと彫り師に向かって「お願いします」と言葉をかけた。













耳元で響く、小さな機械音。
焼け焦げたような匂い。


皮膚が引きつれていく。







チリチリと焼き付くような痛み。













「……つ」


思わず顔を顰めて声を漏らしてしまうオレに、傍にいる金子は笑いながらオレの顔を覗き込む。


「痛い?」
「バーカ、痛くなんかねーよ」
「上等」



金子はそう言って笑い、横になっているオレの額を優しく撫でてくれた。
優しくなんかするな、デカ女。
















──そして3時間後。
施術が終わったオレは、鏡に映る自分の右腕をジッと見つめていた。

そこにいるのは、小さな黒い龍。
まるで空の上で踊っているかのようなその小さな黒い龍は、確かにオレの右腕に刻まれていた。


鏡に映るオレの後ろに、優しい笑顔を浮かべた金子が映りこむ。
そんな金子に、オレは鏡を通してその瞳を見つめながら口を開いた。


「オレはオレ──これからずっと、オレはオレの曲を作り続ける。これは、その『覚悟』の印なんだ」


静かな声でそう言ったオレに、金子は鏡越しにフッと笑って「そう」と言った。







「……その『覚悟』の話ね。実は、あるお客さんの受け売りなんだ」
「客?」













「この間来て、同じように刺青を入れていった人。アンタもよく知ってる人だと思うよ」












++++++









──数日後。

曲が完成したオレは、デモテープを持って再び撮影所へ訪れていた。
依頼してくれた監督に、完成した曲を聴いてもらう。

4分53秒のその曲を聴き終えた監督は、閉じていた目を開けて静かな声でオレに向かって言った。

「……いい曲だ。あの男にピッタリの曲だな」

本当に心からそう言ってくれているであろう監督のその言葉に、オレは張りつめていた空気を大きく吐き出しながら「ありがとうございます」と言った。
監督は再び曲を一番最初まで戻して──もう一度聴き始める。
曲が流れる中で、監督は撮影所を見つめるオレに疑問を投げかけた。


「あの男とは、昔からの友人なんだって?」


監督はそう言ってあの男──スタジオの中心にいる役者に視線を投げ掛けながら言う。






友人、か。
……いや。









「友人っていうか……『同志』です」














そう、この間からずっと考えていたこと。
オレと加賀の関係を表す言葉──それは『同志』。

友人でもない。ただの知人でも、先輩・後輩でもない。
言うなれば──オレと加賀は『同志』だ。






オレ達は本当に手に入れたいものは掴むことが出来なかった。
それでもオレ達は、倒れても、傷ついても、前へ進むしかない。
前へ進むことしか出来ないんだ。






それが、オレと加賀なんだ。













そう言ったオレに、監督は納得したように「なるほどね」と頷いた。
そしてオレをチラリと見てからあの男を指差して──静かな声で言った。



「『同志』か。だから同じ刺青なのかな」

「……は?」




そう言った監督が指差した方を、オレはジッと見つめる。
するとそこにいたのは、上半身の上着を脱いだ役者の姿。

そして、その背には。
















「………龍だ」

















そう、黒い龍が。
加賀の背中にはオレの右腕と同じ黒い龍が──空を舞うような黒い龍が、刻まれていた。




思わず立ち上がって呆然とその背を見るオレに、監督は声をかける。



「確かにこの役にあの刺青はピッタリなんだけどね。
 でも役者なのに刺青なんか入れていいのかって言ったんだけど」
「………」
「自分の『覚悟』のしるしだから、いいんだってさ」










『……その『覚悟』の話ね。実は、あるお客さんの受け売りなんだ』

『この間来て、同じように刺青を入れていった人。アンタもよく知ってる人だと思うよ』









金子の言葉が頭の中で蘇った。
──そうか。覚悟の話をして刺青を入れた、オレのよく知っているヤツ。















オレは思わずアハハと笑い出してしまった。
監督は不思議そうな顔をしてオレを見ていたけれど、オレは笑わずにはいられなかった。

オレとアンタは『同志』なんだから。
前へ進むことしか出来ないオレたちは、考えることも、辿る道も同じなんだ。








そうしてオレ達は今日も、前へ前へと向かって進んでいく。
光の射す方を目指して、ただひたすらに、前へと──



















































『痛みと共に舞い降りた龍』
『僕等は 空へ駆け上がっていく 前へ進んでいく』

『僕等の中に棲む 龍のように』







『そう』



『dragons' dance』





















































































──そうして。

オレは今も、龍を右腕に棲まわせながらギターを弾き続けている。
倒れても。傷ついても。何があっても。
オレは前だけを見据えて、ギターを弾き続けている。



あの時の『覚悟』。
自分だけの音を作り出そうと決めたあの日の気持ち。

一生消えないこの龍と共に、オレは一生忘れない。




オレは、今でも前へと進み続けている。

























誰よりも前へ進むことを目指して。
あまりにも早く空へと駆け上がっていってしまったアイツにも、オレのギターの音が届きますようにと。













そう祈りながら、オレはギターを弾き続けている。












end.