01-2






「進藤五段?
 …えーと、ああ、出てますね。休業届。1ヶ月間。
 碁聖戦もまだ少し先ですからね」

事務局に進藤のことを問い合わせると、淡々とそう言われた。
事務員のその男は、忙しなく手元の書類を整理しながら僕の方は見ずに、
まあ進藤五段も色々あった人ですからねえ昔の話ですけど、と呟くように答えた。


「…あの。それは、いつ頃出されたのでしょうか?」
「休業届ですか?」
「はい」
うーん、いつ頃だったかなあと言いながらも、男は手を休めず仕事を続けた。

「ああ、確かね、北斗杯が始まる前だったと思いますよ。
 僕が直接受理した訳じゃないんですけどね。坂巻さんがまたブツブツ言ってたから。
 進藤五段、今連勝記録更新中じゃないですか。そんな絶好調の時に何だってまた、ってね」

「あの…理由とかは、進藤からお聞きしてますか?」


そう言うと、男はそれまで忙しなく動かしていた手をやっと止めて、
眼鏡を上げながら僕の方をチラリと見やった。


「聞いてらっしゃらないんですか?塔矢六段は」
「あ、いや、はい」
「へえ…」

思わず、といった感じで男から声が零れた。
へえ、と言った直後に男は「あ」と慌てて自分の口を押さえ、すみません、と僕に言った。

「いや、あの、ホラ、いつも一緒にいらっしゃったじゃないですか、塔矢六段は」
「は」
「進藤五段と。よく一般対局室でも打たれていたみたいだし、時々一緒に帰られてるのも見たことがあって…」
「…」
「いや、その、仲がいいんだなあ、と…」


衝撃だった。
他の、ましてや僕らにさほど近しい人間でもない人から見て、僕らはそう見えていたということか。

確かにプライベートではよく打っていたし(でもそれはあくまでも勉強のため)僕も彼も相手によっては対局が早く終ることが多いので、よく鉢合わせることもありそのまま僕の碁会所に行ったり(それは約束でもなく単なる偶然だ)時折緒方さんに「相変わらずお熱いことだな」などと訳のわからないことを言われたりもした(でもそれは緒方さんという人間性に問題があるのだろうと僕は思う)。





僕と進藤の関係。






彼とコンスタントに打ち始めたここ数年の間では考えたことはなかった。
ただ彼は僕の唯一の生涯のライバルであることは間違いないと思っている。




ライバル。ライバル。……ライバル。 

大切、な。





それ以外の言葉が思いつかない。





友達…? 

いや、違うと思う。そんなに彼と僕は親しくはない。
僕の彼に対する感情は、「友達」という器には当てはまらないような気がする。
「友達」という器にはとてもじゃないが納まりきれない、溢れてしまう別の感情があるような気がしたのだ。

その時の僕は、その溢れてしまった感情がきっと「ライバル」という器に当てはまるものなのだろう、と勝手に解釈していた。







結局、事務局では明確な進藤の休業理由は教えてもらえなかった。
教えてもらえなかったというよりも、あの男性は知らないようだった。
ただ、病気とかそういうのではないみたいですよ、前もってお休みするとおっしゃっていた訳だから、と
努めて明るく僕に笑顔を振りまいた。




僕は焦っていた。
早く。
早く進藤に会わなければ。

今すぐにでも会って、いろいろ聞きたい。
北斗杯のこと。
エキシビジョンで、あの最後に高永夏と打ったあの棋譜の意味は?
公式では1回も勝てなかった高永夏。
その永夏を初めて下した碁。
何に、誰に呼びかけている棋譜だったのか?
そしてどうしてその後にすぐ姿を消した?
どこに行くつもりだったんだ?
そもそも君はどうして黙ってすぐにいなくなってしまうんだ。
まわりが君を心配するだろう、ということを考えないのか? この僕ですら心配するんだ。
大体君は、僕のことを何だと思っているんだ。全くいつもいつも。
そう、僕のことを。
…僕のことを。

僕のことをどう思っているんだ。

キミは。



聞きたい。
今すぐ会って聞きたい。
何故だかその時の僕は本当に焦っていた。
今聞かなければ、一生聞けない! とでも思っていたのかも知れない。







会いたい。
早く進藤に会いたかった。











彼が本当に、僕の前から消えてしまう前に。