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01-3
「知らねえよ、オレは」
彼は席につくなり開口一番にそう言った。
「…知らない? 理由も?」
「大体オレは、アイツがしばらく休業するのも一昨日初めて知ったんだぜ。
しかも全く他人の噂話でだ。
大体なあ、そもそもアイツのことでお前が知らないことをオレが知るかよ。」
憮然とした表情のまま彼は一気にそう喋ると、側を通りかかったウェイトレスに「コーヒー」と言った。
彼もか。彼までもが進藤の行方を知らないとなると、これはもう本格的に手の打ちようがない。
すでに進藤に近しい人間にはすべて聞いて回った。
彼と同じ森下門下の白川先生・都築先生・冴木さん、仲の良い伊角さん、本田さん、越智くん、門脇さん、そして女流の奈瀬さん。
そして最後が、進藤に最も近い(僕から見て)和谷四段だった。
彼は、進藤と同期でプロになったと聞いている。
院生時代もかなり仲は良かったと。
今もそれは続いていて、週1回は和谷四段のアパートで、進藤も参加する若手の研究会をしていると聞いた。
僕は彼にあまり好印象を抱かれていない。
理由はわからないが、とにかく彼は昔から僕を避けていた。
僕は別に彼自身も、彼の囲碁自体もよくは知らないので、さほど気にしたことはなかった。
一度進藤にそう話したことがあった。
すると彼は「お前、ホント他人に興味ねえのな」と薄く笑った。
とにかく、和谷四段も行方を知らない。
進藤の家へは、昨日電話をかけてみた(進藤は携帯電話を持っていないので、自宅に直接かけた)。
すると彼の母親が出て、
「囲碁の仕事で、しばらくの間地方出張になるから帰らないって聞いたのだけど」
と言われた。
嘘だ。
彼は母親に嘘をついている。
彼の母親は進藤が休業届を出していることを全く知らないようだった。
言うべきか。それは嘘ですよ、と。
言える訳がない。彼は彼なりに何か考えがあって休んで出かけ、母親に心配をかけまいと嘘をついたのだろう。
結局何も聞けないまま電話を切ってしまった。
行き先くらいもしかして聞いてるかもしれない、とは思った。
でももし知らないと言われたらどうする?
彼の母親は僕も全く何も知らないことに驚いて、とても不安になるかもしれない。
彼が(恐らく)母親を想ってついた嘘がすべて無駄になる。
出来なかった。
「おまたせしました」
カチャリ、とウェイトレスがコーヒーを和谷四段の前においた音で、深い思考から意識が今へと戻る。
和谷四段はコーヒーを一口飲むと、僕の方をジロリと睨みながら盛大な溜息をついた。
「そう心配することじゃねえだろう。
アイツだってもうプロになって4年近く経つワケだし。いつまでもガキじゃねーんだから。
アイツ、碁聖勝ち残ってただろ? 次勝ちゃあ挑戦者なんだ。
放っておいたって、その頃になりゃあ知らん顔して出てくるぜ」
「でも」
「…心当たりは全部もう当たったのかよ」
「キミで最後だ」
「あっそ」
そう言うと、彼は胸ポケットをごそごそと探り、煙草を取り出すと火をつけた。
未成年じゃないのかまだ、と思ったがこれ以上彼の機嫌を損ねるのは得策ではないと判断して、僕は黙ったままコーヒーに口をつけた。
すると目の前でフ、と空気が揺れるのを感じ顔をあげた。
和谷四段が煙草を銜えたまま笑っていた。
「何だ」
「…イヤ、お前らってホント似てるって思ってさ」
「誰が?」
「お前と進藤」
思わずコーヒーを吹き出しそうになる。
似てる? 僕と進藤が? 何を言い出すんだいきなり。
そんなこと、一度も言われたことなどない。「(性格も外見も)正反対なのに仲が良いね」と言われることは多々あったが。
どこらへんがそもそも似てると思ったんだ。僕と進藤の。
どうかしているとしか思えない。
コーヒーを吹き出すのをこらえ、なんとか声を出す。
「…どこが」
「お前、俺が煙草吸い出したの見て、何とも思わなかったの?
お前真面目だからさ。『未成年のくせに!』とか言うかと思ったんだけど」
「……思わないことはなかったが、別に僕には関係のないことだ。
キミが自分の責任に基づいてそうしているのであれば、それでいいのだろう」
「そーゆーところ」
「は?」
彼は煙草を灰皿にこすりつけ、火を消した。
最後の紫煙が彼と僕との間に舞い上がる。
そのまま上着を持って彼は席を立つと同時に、僕に向かって言った。
「他人にまるで興味がないところ。
進藤とマジそっくりだぜ」
でも進藤はお前以上だけどな。
そう呟くように彼は言うと、コーヒーお前の奢りなと言って出ていった。
煙草とコーヒーの苦い香だけが僕の前に取り残されていた。
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