01-6











社との電話を切った後。
結局一睡も出来ないまま朝を迎え、最悪な体調のまま仕事へ向かった。
取材の仕事だった。

3年程よその部署に出向になっていた天野氏が、半年程前に出版部へ戻って来た。
天野氏とは父の代からの付き合いで、それこそ僕が子供の頃から顔を合わせている。
小さな頃は、よく遊んでもらったものだ。

僕は取材というのはあまり好きではない。
囲碁関連のことなら良い。たとえば、棋戦の解説だとか、詰め碁の制作だとか。
インタビューでも、囲碁に関することなら良い。
でも最近の僕に対する取材というのは、囲碁以外のことばかりだった。



「お休みの日は何をしているんですか?」
囲碁。

「何か趣味とかあるんですか?」
囲碁を打つこと。

「愛読書って何ですか?」
父の書いた詰め碁集。

「最近、興味のあることって何ですか?」
…囲碁。

「ズバリ! 恋人はいっらしゃいますか?」
……。それに答えることは、何かこの記事と関連性が

「じゃあ言い方を変えましょう。最近、気になる人っているんですか?」
……









「進藤君」
「はい?」





天野氏が目を丸くする。
声を発した自分自身も思わず目を丸くする。
今までの人生の中で出したことのないような声が出た。
どこから声が出た? というかそもそも今のは声か?
と、疑いたくなるような声の裏返り方だった。

「大丈夫? 塔矢君」
「…はい。すみません」
「何か、今日は体調悪そうだね。早く終わらせよう」
「大丈夫です。本当にすみません」

そうかい? と言って天野氏はペンを進めた。
天野氏の仕事は正直ホッとする。先のような馬鹿馬鹿しい質問はないからだ。

この前受けた女性誌のインタビューは酷かった。
何故恋人の有無をここで貴方に答えなければならないんだ。
そもそも僕は囲碁の棋士であって、恋人がいるとかいないとか、そんなことは囲碁とは何ら関係のないことで、大体そんなことを貴方たちは知って楽しいのか!?
「楽しいんだよ」
と、相談した天野氏にはアッサリ返された。
君や進藤君は目立つからね、囲碁の実力ももちろんそうだけど外見的にもさ、と天野氏は笑った。

外見。よくわからない。
進藤が外見的に目立つのはなんとなくわかる。
あの必要以上に色素の薄い前髪と、同じく色素の薄い、でも強い光を内包する大きな瞳は、見る人が見れば魅力的なのだろう。
でも僕は。僕が目立つ理由がわからない。
あんな派手な髪型をしているわけではないし、服装も主にスーツだ。顔立ちも父に似て地味な方だ。

と、同じようなインタビューを受けた進藤に話したことがあった。
すると進藤は腹を抱えて、あまつさえ涙まで浮かべて大爆笑した。
「お前が地味だったら、オレなんか地味どころの騒ぎじゃねえよ」
と訳のわからないことを言いながら5分は笑い転げていた。
まったく。進藤め。

進藤。

進藤。






「…あの」
「うん?」
「進藤…が何か。進藤のこと、何かおっしゃいませんでしたか?」
「ああ、そうそう。進藤君のことなんだけど。
 休業中だってね。君は何か事前に聞いていたの?」

聞いてなどいるものか。
もし事前にきちんと聞いていたら、今こんな顔色でここにいない。
明日がオフで本当に良かった。
明日だ。明日になれば、進藤に会える。漸く。

「…いえ。特に、聞いていませんでした。
 彼も今までずっと忙しかったし、何か思うところもあったのでしょう」
「ふうん」
「…何か?」


天野氏が眼鏡の奥から僕を見上げた。
親指の上でくるりとペンを回す。
昔からの天野氏の癖だ。



「いやあ、案外淡々としているんだなあ、って。
 聞いていないのなら尚のこと、気が気でないんじゃないか、って思ってたんだけど」
「……」
「大人になったもんだねえ。
 今より力の差があった昔の方が、随分進藤君のこと気にしてたじゃない。
 今はもうそうでもないのかな?
 …それとも、ただ我慢しているだけなのかな?」



天野氏は、父のことをよく知っている。
古い付き合いだ。
僕のこともよく知っている。知り過ぎている。子供の頃から知っているのだ。
僕の気持ちに気がつかない訳がない。

そして、決して下らないことは聞いてこない。
聞いてくるのは、囲碁とそこにある真実のみだ。





「まあ、今は君も進藤君も当時と立場が違うからね。色々と我慢が必要だろう。
 でも我慢している間に、大切なものが居なくなってしまったら元も子もない」
「……」
「自分の気持ちを誤魔化して、グッと我慢して待つことと、
 自分の気持ちに素直になって、自分から進んで近付いていって待つことでは、意味が違うよ」
「……」
「僕は少なくとも、知りたいと思ったことは我慢せずすぐに調べて聞きに行く。
 そうしないと真実には近付けないからね」

とにもかくにも囲碁っていうのは奥が深いからねえ、と天野氏は笑った。

そう。
奥が深い。

囲碁も。彼も。
僕から近付いて行かなければ、僕の目指す世界には辿り着けないのだ。


「明日」
「うん?」
「明日、進藤に会いにいきます」
「そうかい」




それは良かった。
そう言って天野氏はくるりとまたペンを回した。


「そういえば進藤君にね、北斗杯の前に仕事のお願いをしたんだよ」
「はい」
「秀策の全集をまた再編して復刊することになって。彼、秀策の棋譜すごく詳しいだろう。
 ほとんど暗譜しているみたいだしね。
 それで、棋譜のチェックと執筆の依頼をしたんだけどね」
「はい」
「断られちゃってね。間に合わないって」
「間に合わない」
「よくよく聞いてみたら、そんなに細かい〆切り守る自信ないからって」
「…彼らしいといえば彼らしいですね」



くるくると器用に回っていたペンが、ことりと音を立てて机の上に落ちた。


「僕は」


「僕は嘘だと思う」
「──」



「多分、執筆できない、したくない理由があるんだと思う」
「──」
「いつもならすぐに僕も聞きにいくところなんだけどね。
 そうする前に逃げられちゃってね。
 さてはて、どうしたものか──」


コロコロと机の上を転がっていくペンを見ながら、天野氏は大きく息をついた。






「彼の中の真実は、どこにあるんだろうねえ」







多分、塔矢君なら見つけられるよ。
進藤くんと同じ世界へ行けるのは君だけだから。

天野氏はそう言って、ペンを拾うと再びくるくると回し始めていた。









僕は、なんとなく昨日本妙寺で見たあの棋譜のことをぼんやりと思い出していた。