10-1.3




──2006年12月15日 午前10時40分。



進藤が病院に運ばれてから、3時間以上が経過した。
だが進藤が診療室から出てくる気配は一向になかった。

洪秀英と高永夏が仕事で病院を去り、診療室の前の廊下にはオレと塔矢が残されていた。
高永夏に胸ぐらを掴まれて怒鳴られた塔矢は、高永夏が病院を去ってから一言も口を開かなかった。
それどころか、まるで自分で身体を動かすことを忘れてしまったかのように、力が抜けたままの状態で廊下に座り込んでいた。
オレが「塔矢」と声をかけても、塔矢は返事をすることはなかった。

光を失った、虚ろな瞳──。

進藤から引き離されてしまった塔矢は、まるで魂が抜けてしまった抜け殻のようだ。
それ程までに、塔矢にとって進藤はかけがえのなかった存在だったんだ。
でもそれは進藤にとっても同じことか。
塔矢を守るために、塔矢の心を傷つけないために、必死に嘘をついて隠していたんだから。

オレは、今更ながらに思い知る。
塔矢と進藤の──二人の絆の強さを。




そんなにもお互いを想い合っているのに。
なのにどうして、二人とも傷つかなければならないんだろう。



二人にこんな試練を用意したのは誰なんだろう。
やっぱり神様ってヤツだろうか。






だとしたら、その神様は残酷だ。

















そんなことを考えながらオレは廊下に座りこんだままだった塔矢を立たせて、廊下の奥にある待合室に連れて行った。
なんとか椅子に座らせて、自販機で温かいコーヒーを買い塔矢の前のテーブルに置く。
だが塔矢は、そのコーヒーが見えているのかいないのか、虚ろな瞳のままどこか遠く
を見ていて、コーヒーに手をつけようとはしなかった。

オレはそんな塔矢の様子を見ながら、コーヒーを口に含む。
苦い味。今のオレの気持ちを表しているかのようだ。












なんで。何でこんなことになってしまったんだろう。
こうなってしまう前に──二人がこうして傷ついてしまう前に、何か防ぐ手があったんじゃないのか。
何か方法があったんじゃないのか。


だってオレは知っていたじゃないか。


そう、オレは知っていたんだ。
進藤がこうなることを、いずれこんな日が来ることをオレは知っていたんだ。
あの進藤が大阪に来た、春の日から──。

だったらオレが、進藤の真実を知っていたオレが二人を守ってやることが出来たんじゃないのか?
オレが二人を守る方法があったんじゃないのか?
だってオレは知っていたんだ。進藤の真実を、進藤が抱えていたモノをオレは知っていたんだ。
知っていたのに、防げなかった。

守れなかった。


守れなかったオレは、塔矢も進藤も傷つけたことになる。








バカだ、オレは。










苦いコーヒーを一気に飲み干して、紙コップをグシャリと潰す。
その時、ふと待合室の入り口に人影が見えた。
驚いて顔を上げると、オレ達と同い年くらいだろうか──若い女が泣きはらした目で立っているのが見えた。

茶色い長い髪のその女は、フワリとした長いスカートをはいている。
……よく見れば、腹が膨らんでいるのがわかる。
ああ、この病院に通院している妊婦だろうか。だがそれにしては様子が変だ。
通院で来たというわりには、この寒いのに薄手のカーディガン一枚だけだ。まるで着の身着のまま駆けつけてきた、といった風貌だ。
しかも、大きな瞳には涙が滲んでいる。
そして、その瞳が見つめる先には──同じく呆然とした瞳で座っている塔矢の姿があった。

……もしかして塔矢の知り合いなのか?
オレは恐る恐るその若い女に近づいて尋ねてみることにした。


「……あの、アンタは?」
「……と……やくん」


女は涙で掠れてしまった声で塔矢の名前を呟くと、そのまま覚束ない足取りで塔矢の元へと歩いていった。
やっぱり塔矢の知り合い──いや、今の声は聞き覚えがある。
それもつい先程電話越しに聞いた声──。


「あ…アンタ、さっき進藤の家に電話した時に出た人や…!
 進藤の両親は今法事で田舎帰ってておらんって…」


そう。先程進藤の実家に電話をしたのだ。進藤の両親には急いで病院に来てもらわなければならない。
だがその電話に出たのは、留守を預かっているという近所の人だった。
そう──確か藤崎とか名乗ったか。


「……塔矢くん……」


その女は、小さな声で再び塔矢の名前を呼ぶ。
涙がボタボタと零れ、拭いもせずに塔矢の名前を呼ぶ。
すると力を失っていた塔矢は、その女の声に引っ張られるようにして顔を上げ、女を視界に入れた。
塔矢の虚ろな瞳に、涙で濡れたその女の姿が映る。


「……と…やくん……ごめ…ごめんなさ…」


女は震える声で塔矢に向かって謝る。
塔矢はそれをわかっているのかいないのか、表情を変えずに目の前で涙を零す女を見つめ続けている。
女は涙で声が崩れていくのにも構わずに、言葉を続けた。












「……塔矢くん……ごめんね……私、知ってたの……
 ヒカルがこうなること……私知ってたの……」













──進藤がこうなることを知っていた?

オレは驚いて顔を上げ、塔矢の前で涙を零し謝るその女を見つめる。
塔矢は女のその言葉を聞いて、初めてピクリと表情を動かした。
そしてそのまま、女の姿を黙ったまま見つめる。


その女──あとで名を知る進藤の幼馴染み、藤崎あかりは止まることのない涙を零しながら、ただただ小さな声で塔矢に謝り続けていた。





「……ごめんね………」