11-1.3




──2006年12月16日 午前10時30分。





僕は再び彼のいる病院へと来ていた。
白い静かな廊下を歩いて奥へと進む。


505号室。


昨日は入ることの出来なかった、彼の病室。


しかしその扉にかかるのは、「面会謝絶」という言葉の書かれた白い札だった。






面会謝絶。
今日も、今日もまた僕は彼と会うことが出来ないでいる。
この薄い扉一枚の向こうには彼がいるのに、なのに僕は会うことが出来ない。

白い扉に手をそっとあてる。
ただの扉なのに、この奥に彼がいると思うとこの扉に温もりがあるのではないかという気さえしてくる。
こうして扉に手を当てて念じていれば、もしかしたらこの奥にいる彼に僕の思いが届くのではないだろうか。


………それとも。
そんなものも、何もかもわからないくらいに、具合が悪いのだろうか。



彼の状況が全くわからないことが歯痒かった。
具合はどうなのか。いいのか、悪いのか。
病気なのか。それはどういった病気なのか。
以前から煩っていたものなのか、それともごく最近にかかってしまったものなのか。
それは、……治るのか。
どれくらいの期間で彼は治って僕の目の前に戻ってきてくれるのか。







そして、何よりも。
今この扉の向こう側で、彼は何を思っているのだろうか──

























「アキラくん」




背後から、昨日も聞いた優しい声が響く。
その人は今、唯一僕と彼を繋いでくれる人。

白衣を着た白髪のその人は、優しい顔をして僕のことを見つめていた。




「矢部先生」

「……こちらへ来なさい」




矢部先生のその優しい声に連れられて、僕は奥にある小部屋へと入っていった。





++++++





「……やれやれ、ドッコイショ、っと」

矢部先生はそう言いながら僕の座る椅子とは机を挟んで反対側にある椅子に、ゆっくりと腰を下ろした。
そして右肩を回しながら肩を揉む仕草をする。



「久々の現場復帰でね。大学病院ってのはやっぱり肩が凝っていけないよ」

後で知ったことだが、矢部先生はそれまでの進藤の治療に当たっていたことと、病状をよく把握していること。そして進藤が入院しているその病院に過去に勤務していたことがあったことと(今までも月に一度は訪れていたらしかった)、そこではかつて最も優秀な医者であったこと──そういった事柄から、暫くの間この大学病院に再び勤務することになったのだ。

進藤のために、進藤の担当医として。


そんな矢部先生は肩を一通り揉むと、フーッと大きな息をついて、真剣な表情で僕を見つめた。

ブラインドが降りて明かりを点けていないその部屋は、午前中だというのに少し薄暗く感じた。
ブラインドの隙間から僅かに漏れる明かりが、矢部先生の表情を静かに照らしていた。



「……キミに、進藤くんの身体のことを話しておこうと思ってね」
「………」
「本来ならば、こういったことは家族のみになるんだが。
 ……進藤くんのご両親の、たっての希望でね」



──進藤のご両親の。
進藤のご両親とは、彼と暮らし始めた直後に一度彼の実家にお邪魔したことがあり、その時に初めてお会いした。
とても優しそうなご両親だった。
特にお母さんは彼に少し似ていて──そう『ヒカルをよろしくお願いしますね』って。

僕はそう言われたんだ。



なのに、僕は。









「アキラくん」




矢部先生に声をかけられ、いつの間にか俯いていた顔を上げる。
すると矢部先生は、幼い頃からを含めても、見たことのない程の厳しい顔で僕のことを見つめていた。



「ご両親がそうおっしゃっているんだ。だから、キミには聞く権利がある。
 だが、これは義務でも強制もない。拒否をすることだって出来る。
 ……どうする?」




僕は彼のお母さんに『ヒカルをよろしくお願いしますね』って言われたんだ。
その約束をちっとも果たせなかった僕に、それでも彼のお母さんは、彼のことを知る権利を僕に与えてくれたんだ。

だから、僕は。






「ご両親が許してくれるのであれば……僕には…それを聞く義務があります。
 僕は、聞かなければなりません」
「病気の苦しみや痛みを背負って生きていくということは、生半可なことではないよ。
 キミは、彼とそれを共に背負っていかなければならない。それが、どんな結果になったとしても。
 ……キミに、その覚悟はあるのかい?」





覚悟? そんなもの。







「彼を唯一の相手だと──彼と共に生きると決めた時から。
 とっくに彼の運命を背負う覚悟は出来ています」






「………わかった」














そして、矢部先生はゆっくりと語る。
ブラインドから漏れる僅かな明かりを浴びながら、矢部先生は静かに語る。









そして、僕は知る。















































進藤が抱えている運命。
これから辿っていくであろう道。




























































そして、残された時間を──。


















++++++














矢部先生の話が終わり、僕は小部屋を出る。
その時、僕は上手く歩けたのかどうか──今はもう覚えていない。
もしかしてフラフラと少しよろめいたかもしれない。

先程までは普通だったはずの床が、フワフワとしていて上手く歩くことが出来ない。
先程までは普通に見えていたはずの窓からの光が妙に眩しくて、目の前が真っ白になって上手く前を見ることが出来ない。
頭の中は何かの麻痺にあってしまったかのように、ビリビリと痺れてしまって何も考えることが出来ないんだ。



なんだか、夢の中を歩いているようだ。まるで現実感がない。






























だってこんなことが現実であってたまるか。






















進藤の身体は生まれた時から爆弾を抱えていたのだ、ということ。
そして本来ならばそれは、もっと幼い頃に爆発していてもおかしくないものだった、ということ。
こんな年まで、しかも健康体で生きられたこと自体が奇跡以外の何物でもない、ということ。

そして──取り返しのつかない程に進んでしまっているそれは、もうどうにもならないのだ、ということ。
今出来ることはなるべく痛みを伴わないような治療……いや、「維持」を続けることだけだ、ということ。














































































そして残された時間は、来年の桜が咲く頃──半年にも満たないのだ、ということ。











































































こんなことが、現実であるものか。

こんなことが。
こんなことが。
こんなことが。
こんなことが。
こんなことが。
こんなことが。






こんなことが。























































「塔矢くん」















手を壁につきながらヨロヨロと歩いていた僕の前方から、女性の声がした。
やっとの思いで顔を上げると──







彼の母親が、日だまりの中で静かに立っていた。



















そして、僕に向かって深々と頭を垂れた。




























その姿があまりにも神々しく見えて、やっぱり僕はこれは夢なのだ、と頭の中で連呼していた。