11-1.7






彼の母親との話が終わった後──僕は彼女の勧めもあって進藤の病室へと入った。
なるべく音を立てぬよう静かに扉を開けて、そっと閉める。


白い病室に立ちこめる消毒液の匂いが、ツンと鼻をついた。

広くて静かなその部屋は個室らしく、薄いカーテンがされている大きな窓が奥にあり、手前には来訪者用のテーブルや椅子もあった。
まだ彼の母親が荷物を片づけきれていないのだろう、そのテーブルの傍には大きな旅行カバンがいくつか置いてあり、彼のものらしき服やタオルが置いてあった。

そして──彼がいるであろうベッドは、大きな窓のそばにポツンと置いてあった。
薄いカーテンがベッドのまわりを覆うようにして閉じられており、そこに彼がいるのかどうか、僕は確認することが出来ない。
僕は恐る恐る歩みを進め、彼がいるベッドの傍まで近づいていった。





そして。
彼のベッドのすぐ隣に立つ。







ここに。
ここに、彼がいる。










つい一昨日の──僕の誕生日の日までは普通に会っていたというのに。
時間にすれば丸一日会っていないだけなのに。
なんだか酷く長い間会っていなかったような錯覚を覚える。





































進藤。
僕はやっぱり、キミを追いかけてばかりだね。




僕等は出会った時から、変わってないね。












































































そっとカーテンを開ける。
すると。











































































「あ」







「………」




















確かに──確かに彼はそこにいた。だがどんな状態でいたかというと──


確かに横にはなっていた。
腕にも細い点滴の管が刺さっている。

だが肝心の彼は、ろくに毛布もかけずに立て膝をして足を組み、両手に少年ジャンプを抱えて読んでいた。
彼がよくリビングでやっていた読書の姿勢だった。
マンガ雑誌を読む時も、詰め碁集を読む時も、必ず彼は座布団を持ってきて床に寝転がり、このようなスタイルを取って読書をするのだ。
一度僕が「そんな姿勢で読むと目も腰も悪くするぞ!」と怒ったことがあった。
だがそんな僕に彼は「いーんだよ! 『のび太スタイル』っつって、これがオレの読書スタイルなの!」と全く訳のわからない言い訳をされた。
なんだ『のび太スタイル』って。

まさに彼はそのスタイルを病院のベッドの上でも貫くような姿勢で、少年ジャンプを読んでいたのだ。



「………」
「わ、あわわ」


彼は彼の横に仁王立ち(普通に立っているだけなんだが)をしている僕を見て慌てるように少年ジャンプを閉じ、ベッドの毛布の下へと隠す。
そしてそのまま慌てて起きあがり、姿勢を正してベッドの上で正座をし、僕の様子を窺うように見上げた。

──僕はというと。

想像していた彼の状態と状況とのあまりのギャップに、声を出すことも忘れて彼の傍に立ち尽くしていた。
そんな僕の胸中など知る由もない彼は、僕を見上げながらオドオドとした挙げ句、正座をしていた足をわずか二分で崩して沈黙に堪えかねたように大きな声を出した。


「だっ…だって暇だったんだもん! だからお母さんに買ってきてもらって…」

そのお母さんと、僕はどんな話をしてきたと思っているんだ。

「そーいやお前さ、ジャンプって読んだことある? おもしろいんだぜ!
 デスノートってのが特にさー」

知るか、そんなもん。

「………興味……ない…よな」


彼はどんどんと小さくなる語尾に合わせるかのように俯いて、そして暫くの間ゴニョゴニョと何かを呟いていた。
そして、再びシンと沈黙が流れる。
彼はまた上目遣いで僕の様子を窺い始め、僕はというと相変わらず何をどう言えばいいのかわからないまま立ち尽くし、彼をジッと見つめていた。


そして。
再び彼は沈黙に堪えかね、「だーっ!」と大きな声を出すと点滴の刺されていない右腕で枕をボンと叩いた。


「しょうがないじゃんかー! まさかこんな早い時間にお前来ると思ってなかったからさー!
 ホンットお前ってトツゼンオレの目の前に現れるの、昔から変わってないよな。
 もしかして、趣味?」

大声で彼は僕にそう捲し立てる。
だが僕は相変わらず何て返事をしたらいいのかもわからず、黙ったまま彼を見つめている。
すると、どうやらそんな僕の様子に彼は僕が「怒っている」と勘違いしたのか、急にオドオドとし始めた。



「なん…ちゃって。ウソ、ウソです…」

「………」




































何が昔から変わってないだ。
自分ばっかり言いたいことを言って。





















昔から変わっていないのは、キミだって一緒じゃないか。






































僕もバカだが、キミも大概バカだ。












































「キミこそ」







































僕は彼と同じ風に捲し立てるつもりで、口を開いた。
だが飛び出てきた言葉は、何故か崩れて震えていた。

そんな僕の様子に、彼は目を丸くする。







「キミこそ、昔からいつもいつも突然僕の前から姿を消して。
 いなくなったと思ったら、とんでもない状態で戻ってきたりして」
「なんだよ、とんでもないって」
「囲碁部の時も、院生の時も、若獅子戦の時も、プロになった時も、サボった時も。
 初めて会った時からそうだった」
「そ、そうだっけ」
「いつもそうだ」




言葉がこれ以上崩れないように、どんどんと早口になる。
なんとかいつもの調子で喋ろうとするのだけど、唇や手が勝手にワナワナと震えてしまい上手く喋ることが出来ない。
最初は驚いた表情で僕を見ていた彼だが、僕の早口や震えがヒートアップするのに従って、彼の表情は静かで真剣なものへと変わっていった。
そして、黙ったまま僕のことを見つめていた。




「いつもそうだ。キミは、僕の心をつかんだまま突然消えてしまうんだ」
「………」
「何も言わずに」
「………」
「いつも僕は置いてけぼりだ」
「………」
「いつも」







いつも。




「いつも」




いつも。




「いつも」




いつも、いつも。




「いつも」









いつも」

















「いつも」

「いつも」

「いつも」

「いつも」
「いつも」
「いつも」
「いつも」
「いつも」

「いつも」
































































「いつ…」






































































「ごめんね」
















優しい言葉と共に、フワリと暖かい感触が耳の横を通り過ぎる。
そしてそれは、俯いていた僕の頭を酷く優しく包み込んだ。

ふと目を開けると進藤の顔がすぐ目の前にあって、優しい目で僕を見つめていた。











ああ。



進藤の匂いだ。





















僕はまるで腰が抜けてしまったかのように、ストンとベッドの上に崩れ落ちるように座った。
そんな僕を、進藤は優しく包み込んだ。

そして僕の額に自分の額をつけ、息もかかるような目の前で僕の目をジッと見つめて微笑み、再び優しい声で呟いた。

















「ごめん」




























「本当にごめんね」

















































進藤。








進藤。































「ごめんね」































































昨日の晩、枯らしたと思ったのに。
先程彼の母親の前で再びボロボロと零してしまって、それで今度こそ枯れたと思っていたのに。



目の前にあった彼の顔がぼやけていく。
再び頬を涙が伝っていく。





進藤はそんな僕を見て笑うと、優しく指で涙を拭い、再び「ごめんね」と繰り返した。










































進藤。

ごめんね。




















































僕はそのまま彼の背へと腕を回し、彼の細い身体を抱きしめる。
腕に繋がれてしまった管を塞ぎ止めてしまわないように。
いつもより熱を帯びた、細い──骨の当たる身体を壊してしまわないように。












僕は、そっと彼を抱きしめる。



















今、ここに──僕の腕の中に彼がいることを確認するかのように。
















































そして進藤も。
進藤も僕を確認するかのように、そして泣きじゃくる僕を慰めるように。
「オレはここにいるよ」ということを僕に全身で必死に伝えるように。


優しく僕のことを抱きしめた。























































































それから、抱き合ってからどれくらいが経ったのだろう。
進藤が突然クスリと笑った。
そして笑いながら、僕の腕の中で口を開いた。



「…そういえばさ」
「……ん?」
「セックス以外でこうして抱き合うのって、オレ達初めてかもな」
「……そうかな」
「うん、初めてだよ」
「………」




進藤はそう言って再び笑うと、僕の腕の中でモゾモゾと動いた。
その動きは、まるで僕の感触を確かめているかのようだった。
そして暫く動いたあと、進藤はフーッと息をついて再び笑いながら喋り始めた。







「ただ抱き合うのって、気持ちいいなーっ」
「………」
「もっと一杯やっておけばよかったな」




































そう静かに言って、キミは笑う。

僕の腕の中で。





いずれ終わるこの時のことを、キミは言う。
















































僕はそれに、静かに答える。






























































「……これからやればいいよ」






























僕のその言葉に、彼は僕の腕の中でピクリと揺れた。
だが、それはほんの一瞬のことで。


彼は再びクスリと笑って答えた。























「……そうだな」


















そう言った後に、彼は少しだけ僕を抱きしめる腕に力をこめた。




















































































僕たちはそのまま、暫くの間青白い光の差す病室で、静かに抱き合っていた。


──これから僕等に起こるであろう様々なことに、二人で立ち向かっていくために。