11-3.5







進藤が入院して僕等の家からいなくなってしまってから、僕の生活は荒んだ。











毎日仕事を終えてから進藤の病院へ行って──帰宅するのは日が変わってからだった。
身体はヘトヘトに疲れていてすぐに眠ろうとするのだが、眠れなかった。
ベッドの中で一睡も出来ないまま朝を迎えてしまう日が続いた。
その状態が3日も続けば身体は本当に限界を迎えて、家につくなりスーツを着たままソファーの上で死んだように眠った。
そんな風に身体を酷使しなければ、とても眠ることなど出来なかったのだ。

キミのいないこの部屋で──僕はキミのことばかりを考えていたから。

朝も、昼も、夜も。
そのうちそんな時間の感覚すらなくなって、ただひたすらにキミのことばかりを考えた。






僕たちは一体いつまで一緒にいられるのか。
キミはいつ僕の目の前からいなくなってしまうのか。






キミがいなくなってしまった後の世界で、僕はどうやって生きていけばいいのだろう。










































































気が狂う。

























































──気なんか、狂ってしまえばいい。
そうすればこの引き裂かれるような苦しみから、僕は解放されるのだろうか。




誰か教えてくれ。






キミと一緒にいると、この苦しみで押しつぶされそうになる。
だがキミと一緒にいない日が1日でもあると、もっともっと苦しいんだ。








ねえ、進藤。

僕はどうすればいいのだろう。










そうキミに聞いてしまえば、キミは傷ついてしまう。
だから僕は誰にも聞くことは出来ない。

そうして僕は、一人で彷徨い続ける。

出口のない暗闇の中を、キミの名前を叫びながら僕は一人でグルグルと回り続けている。

























そんなどうしようもない、救いのないような日々が暫く続いた。
進藤が入院してから1ヶ月半近くが過ぎていた。



入院してからというものの、進藤の病状に目立った大きな変化はなかった。
たくさんの友人を持つ彼の元には多くの人々が見舞いに訪れ、彼は毎日楽しそうだった。
酷く穏やかな時を過ごしている──かのように見えた。


だが時が流れるのに従って緩やかに──だが確実に、彼の中に棲む病魔は彼を蝕んでいった。


ただでさえ細かった食が、ますます細くなった。
体力を少しでも回復するためには食べなければならない。彼自身も頭ではそうわかっているのだが、どうにも彼の身体がそれを受け入れようとしなかった。
少し食べては吐いて──それを繰り返した。

入院したばかりの頃はほとんど大人しくベッドにいることなどなかった彼だが、日が経つに従ってベッドにいる時間が少しずつだが増えていった。
きつい薬を投与されている時は、人が訪れれば笑顔は見せるものの、起きあがることさえ辛そうな日もあった。

そして入院したその日から、彼の細い腕には透明な管が繋がれて──それは外されることはなかった。
次第に彼の腕は針で傷だらけになり、それを隠すかのように巻かれた白い包帯が痛々しかった。
その彼を傷つけてまで繋ぐ透明な管は、まるで彼をベッドに縛り付けて離さない鎖のようだった。
このままその鎖に引っ張られるようにして、いつの日か彼は僕の元を去ってしまう。
──そんなことを僕はキミの隣でキミの言葉に返事をしながら考えて、毎日気が狂いそうになる。
そうして僕は、僕の心の中に広がる暗闇に喰われていく。











その僕の中に広がる暗闇は、ふとした隙をついて僕の中を飛び出して、彼の元を襲った。
疲労・不安・恐怖──そんな感情が一気に吹き出して、その時傍にいた彼に叩き付けてしまったのだ。























弱っている彼を、無理矢理抱くことによって。























彼は、抵抗しなかった。
抵抗するだけの力がなかったのかもしれない。
ただ辛く悲しそうな表情だけを見せて、僕に抱かれた。




















キミを傷つけたくなんかないのに。
でも傷つけずにはいられなかったんだ。


















































どうして──どうして僕は。

















どうして僕たちは、傷つけ合わなければ一緒にいることが出来ないのだろう。











































































──翌日。

僕は酷い自己嫌悪に苛まれながら再び彼の病室を訪ねた。
だが彼の部屋の扉には、僕を遮断する「面会謝絶」と書かれた札が下げられていた。

当然だ。
体力が落ち、衰弱してしまっている彼を無理矢理抱いたのだ。
体調はもちろん崩してしまっただろうし、もしかしたら病状が悪化してしまったのかもしれない。



そうだ。

誰よりも辛いのは彼なのだ。
それなのに、そんな彼を一番受け止めてやらなければならないはずの僕が彼を傷つけてしまったのだ。








僕は──







僕は、最低だ。









僕なんか暗闇に喰われてしまえば良かった。
そうして彼の代わりに消えてしまえばいい。
彼に許しを請うことすら出来ない僕など、彼を傷つけることしか出来ない僕など、ここから消えてしまえばいいのだ。












心の中の暗闇だけでなく現実世界でも行き場を失ってしまった僕は、前へ進むことも後ろへ下がることも出来ずに、ただ「面会謝絶」と書かれた彼の病室の前で立ち尽くしていた。



そのまま、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
僕の背後から遠慮がちな男性の声で「あの…」と声がかけられた。
動くことの出来なくなっていた僕は、どこか聞き覚えのあるその声で漸く現実へと意識を戻し、声のした方へと振り向く。
するとそこにいたのは──












「塔矢くん…ですよね?」
「──あ…」
「お久しぶりです、進藤ヒカルの父です」












──そう、やはり僕と同じように仕事を終えてから病院へとやって来た、彼の父親が立っていた。







++++++







彼の父親と遭遇して慌てて帰ろうとした僕に、彼の父親は「少し話をしませんか」と声を掛けてきた。
そう言われて断ることも出来ない僕は、彼の父親と共に休憩室へと移動した。
以前、彼の母親とも話した場所だった。
その時は昼間で多くの人がいたのだが、面会時間もとうに過ぎているこの時間では、僕と彼の父親以外に人はいなかった。

彼の父親とは、以前彼の実家に一度だけ泊まりに行った時にお会いしたことがあった。
軽く挨拶をしただけだったが、僕の父とはまた違った感じの寡黙で優しそうな父親だった。
彼のお母さんも本当に優しそうな人で、このご両親に愛されながら育ったからこそ、進藤はあんなに素直で大らかで、そしてとても強く──成長したのだなと思う。

──でも、僕はそんな進藤を深く傷つけてしまった。

今、彼のご両親と会うのは精神的に酷く辛かった。
彼らの大切な子供である進藤を、僕は傷つけてしまったのだ。
どう謝ったらいいのか。どんな顔をしていればいいのか。
どうにも居たたまれない僕は、俯いたまま何も言わずに彼の父親の前に座っていた。

二人で腰を下ろしてから暫く経って──自販機のコーヒーを一口飲んだ彼の父親が、徐に口を開いた。



「いつも妻や息子から話を聞いています。ヒカルと仲良くしてくれて、ありがとう」



そう言って彼の父親は僕に頭を下げた。
俯いていた僕は、そんな彼の父親の言葉にどう返事をしたらいいのかわからず「い、いえ…」と酷く小さな声で返すことしか出来なかった。
彼の父親は僕の言葉を聞いて少し微笑んだ後に、再びコーヒーを一口飲んで深く息をついた。


「毎日毎日色々な人がお見舞いに来てくれて…本当に有り難いことです。
 なのに、どうも昔からアイツは調子に乗りやすいところがあってね。
 多分調子に乗ってはしゃいで、体調を崩したのでしょう。
 今日は少し熱が高いようです」


やはり彼は体調を崩してしまっているようだった。
彼の父親の言葉を聞いて表情を強ばらせた僕を見て、彼の父親は慌てたように「そんな心配なさらなくても大丈夫ですよ」と言った。
確かに彼のことは心配だが、僕が顔を強ばらせた原因はそれだけではない。


だって、だって彼が体調を崩してしまったのは。




「……すみません…。僕のせいです…」




そう言って深々と頭を下げた僕に、彼の父親は驚いた声で「え?」と聞き返した。
僕はとても顔を上げることなど出来ず、頭を下げたまま昨日のことを話した。



「昨日、彼とケンカをしてしまって…
 彼は、僕の体調を心配してくれたのに。
 僕はつい、イライラして彼に八つ当たりをしてしまいました。
 最低です。一番苦しいのは彼なのに」
「………」
「本当にすみません」



僕は下げている頭を、テーブルに額が擦り付いてしまうのではないかというくらいに、さらに深く下げた。
暫くそのままでいると、彼の父親のフウと溜息をつく音が聞こえた。




呆れているのだろう。怒っているのだろう。
当然のことだ。許されることではないのだ。

このまま、罵倒されたり殴り倒されたっていい。
むしろそうしてくれた方がいい。




僕はそんな覚悟を込めて、もう一度「すみません!」と謝った。




──すると暫くしてから、彼の父親の「塔矢くん」と静かに僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。
その声は、罵倒したり殴り倒したりするような怒りの込められた声ではなく、意外な程に穏やかで優しい声だった。
僕が頭を下げたままでいると、彼の父親は「顔を上げてください」と静かな声で言った。


そんな彼の父親の言葉を聞いて──僕はゆっくりと顔を上げて、その表情を見る。


彼の父親は、酷く穏やかで、そして優しい笑顔を浮かべながら僕のことを見つめていた。
そんな意外な表情に僕は全くその真意が読めず、固まったままジッと見つめ返した。


彼の父親はフッと笑うようにして息を漏らすと、額にかかった髪を掻き上げながら静かに口を開いた。
その目は、遠くのキラキラとした眩しいものを見つめるかのような──本当に優しい表情だった。




「……あの子は…親である私がこんなことを言うのもなんですが、昔から、どこか不思議なところがあってね。
 私の親父が囲碁を趣味としていましたが…一体どこで覚えてきたのか。
 まさかプロにまでなってしまうとは思ってもみませんでした」
「………」
「その後も、なんだかタイトルを取ったり、テレビや雑誌に出たり。
 どんどんと私たちから遠いところに一人で走っていってしまった」
「………」






「一人だと思っていたんです、あの子は」









静かな口調で、淡々と彼の父親は自分の息子のことを語った。
その表情は優しいものでありながら──でもどこか、寂しさや憂いを帯びているような表情だった。

自分の元から飛び出して一人になって──そしてそのまま消えてしまおうとしている息子を想っているのだろうか。

そんな、どこか遠い表情をしていた彼の父親は、ふと視点を目の前の僕へと移した。
突然彼の父親と目が合ってしまった僕は思わず驚いた顔をしてしまったが、彼の父親は僕に優しい笑顔を見せながら再び語った。




「でも半年前に、急に『友達と一緒に暮らす』と言い出したでしょう。
 しかも、塔矢くんと暮らすと言う。驚きました。
 ライバルと言われていたあなたとあの子がそんなに仲がいいことも私は知らなかった」
「………」
「でも、その反面ホッとしました。あの子にも、そんな友達がいるのだと。
 そんな風にわかってくれる友達がいるのだと」


彼の父親は、僕から目を逸らさずにゆっくりと語る。
僕も、彼の父親から目を逸らさずにジッと話を聞く。




「……あの子は生まれた時から、人一倍過酷な運命を背負って生まれてきました。
 病気のこと、然り。そして囲碁の才能も、然り。
 そんなあの子と、歩んでくれる人などいるのだろうか、と私は不安だった」
「………」
「でも、あなたが」




彼の父親の言葉と目に力が込められる。
力を込めた優しい瞳で僕を見つめながら、彼の父親は言葉を続ける。

自分の息子への想いを込めて。









「一緒に生活を共にして、笑いあったりふざけあったり。ケンカをしたり。
 ……そして、こんなことになってしまっても、あなたはヒカルから離れようとはしなかった」
「──」
「変わらずにヒカルの傍にいてくれた。あの子と一緒に苦しんでくれた」









「ありがとう」
















そう言って、彼の父親は僕に深々と頭を下げた。





僕は言葉を返すことが出来ない。
彼の母親と話した時と一緒だ。


僕は彼の母親にも、そして今僕の前にいる父親にも、恨まれたって仕方がないという気持ちでいた。
彼の病気に気が付かなかった。彼の母親との約束を守れなかった。何も出来なかった。
僕は、憎まれても仕方がないという気持ちで彼のご両親と話をした。


なのに彼の父親も母親も、必ず僕に言う。



「ありがとう」と。



















…………こんな。



こんな気持ちは、どうしたらいい?



どう言葉にしたらいい?





















お父さん、お母さん。








「ありがとう」と言わなければならないのは、僕の方で。








なのに僕は彼を、あなた達の大切な子供を傷つけて。








僕は。
























































「……僕は……僕も……ずっと友達と心から言える人は…小さい頃からいなくて…」



声が震える。



「彼が…初めて……僕の大切な人になって…」



頭や目の前がボウッとしてくる。



「でも僕は、いつも彼を傷つけてばかりで…どうしたらいいのかわからなくて…」



僕は。



「悩んで、苦しくて、なのにケンカをしてしまって…大切な人なのに」
























お父さん、僕は。




























































「おかしなことですか? それは」







































とても前を見ることが出来ず俯いたまま喋っていた僕は、彼の父親の言葉を聞いて思わず顔を上げる。
彼の父親は先程と変わらぬ優しい顔のまま、不思議そうにもう一度僕に尋ねた。










「相手のために悩んだり、苦しんだり、ケンカしたり。
 時には傷つけてしまったり。
 でもそれは、当たり前のことじゃないですか」
「──……」


















































































「だって、それが友達というものでしょう?」











































































彼は、僕に優しい笑顔を浮かべて言葉を続ける。
僕は言葉を返すことが出来ずに、黙ったまま彼の言葉を聞く。






「小さい頃から身体が弱かったから、甘やかして育てたせいですかね。
 ワガママで、気が強くて、だらしなくて、勉強も出来なくて。
 どうしようもないヤツです」
「………」
「でも、普通の優しい子です」







再びどこか遠くにある眩しいものを見つめるような表情をして、彼は語り続ける。
僕に、想いを込めて。











「最後まで一緒にいてくれ、とは言いません。
 でも、出来れば。あなたさえよければ、あの子ともう少しだけ、友達でいてやってください」

「………」

「親のエゴを、押しつけてしまってすみません」













彼の父親はそう言って再び深々と僕に頭を下げる。
彼の父親の優しい優しい言葉に震えて動けない僕は、なかなか言葉を返すことが出来ない。

















































何か、何か返事をしなくちゃ。



お父さん、僕は。







































































「…………進藤に………会ってもいいですか…?」




































































もう一度会いたい。
僕の行為が許されるのであれば、もう一度進藤に会いたい。





















































震える声で答えた僕のその言葉を聞いて、彼の父親は満面の笑顔を浮かべ、再び僕に深く頭を下げた。









































































僕は知る。


僕など比べ物にならない──計り知れない程に深い、子供を想う両親の愛情を。













































そして、悲しみを。




















++++++








彼の父親に促されて、僕は静かに彼の病室へと入った。
静かで白い病室は、いつもより僅かに消毒液の匂いが強かった。


いつもと変わらぬ位置にあるベッドの周りには薄いカーテンが巻かれていた。
僕は出来るだけ音を立てぬように近づいて、白いカーテンをそっと開けた。










いつもと同じ、透明な管が彼の傷だらけの腕を繋ぐ。




ベッドに力無く横たわっていた彼は、ぼんやりと白い天井を見つめていた。
カーテンを開けて突然目の前に現れた僕に、彼は目を大きく見開いて驚いた表情をする。

そして酷く掠れた小さな声で「あ……」と呟いた。






「………」
「塔……」










僕の名前を呼ぶ彼の声には力はなく、途中で消え入るようにして途切れてしまう。
だがその見開かれた大きな瞳に、僕の姿をしっかりと映していた。



暫く黙って僕を見つめていた彼は、力の入らない身体を必死に動かし始めた。
突然動き出した彼に驚いた僕は「進藤」と声をかける。
進藤は僕のその声には答えずに、横たわっていた身体を起こそうとしているようだった。


熱のせいだろう、身体に上手く力が入らずに何度もヨロヨロと蹌踉めき、点滴がガシャンと音を立てて揺れる。
何度めかで大きく蹌踉めいた時に僕は咄嗟に彼の身体を支え、彼も僕の腕に縋り付くようにして掴まった。






















その時。

離れていた僕と彼の顔が、距離を近づける。
息もかかってしまうような近くに、彼の顔がある。





僕たちは思わず息を止めて、お互いの顔をジッと見つめた。





















「塔……矢」





















僕の名前を小さな声で呼んだ彼の瞳にみるみる涙が溜まっていき、堪えられなくなったそれはボロボロと零れていく。
僕はそんな彼を見つめながら「進藤」とその名を呼んだ。










「……進藤。昨日は、本当に」

「もう……来てくれないかと思った……」













涙を零しながら、しゃくり上げるようにして彼は言う。
意外な彼の言葉に、僕は意味がわからずに「え?」と聞き返した。
彼の瞳は壊れてしまったかのようにボロボロと涙を零し続け、彼はそれに構おうともせずに言葉を続けた。










「もう塔矢、会いに来てくれないかと思った……昨日、あんな……ケンカしたから……」

「………」












涙を零しながら、キミは僕を掴む腕に力を込める。
そして、涙で濡れた顔をより一層クシャクシャにして、僕に言う。



























































「来るならもっと早く来いよ〜〜〜〜〜」
































































まるでたわいのない、いつものケンカ。
一緒に暮らしていた時にもしょっちゅうしていたようなケンカ。

いつもケンカをして、口をきかなくなって、次第に我慢の出来なくなった僕が声をかけて、キミがそれに泣きながら答えて。


そしてお互いに最後に言う言葉がいつも、この言葉。






























































































「………ごめんね」

































































僕はそう言って、キミを抱きしめる腕に力を込める。
キミは僕の腕に抱かれて、甘える子供のように泣きじゃくっていた。










進藤、ごめんね。





































僕等は今までと何も変わらないよ。
ただ抱き合う場所が僕等の家ではなく、病室になってしまったけど。



















それでも僕等は変わらない。






















僕は変わらずに、キミの傍に居続けるよ。







































































終わりの時がくる、その日まで。