11-3







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To:進藤
From:洪秀英

Subject:調子はどうですか?




進藤へ。

久しぶりだね、お元気ですか?
その後体調はどうですか?

返事が遅くなってしまってすまない。


最近、仕事が増えてきて自分の時間があまりなくなっているんだ。
それも囲碁以外の仕事が、だよ。まったく、勘弁してほしい。
でも、そんなことを言いだしたら、永夏なんかもっと忙しいんだ。
なのにきっちり大学の勉強も棋譜の勉強もこなしているんだよ。
一体いつ寝ているんだ、って今度聞いてみたいと思う。


そうそう、年末の時は、挨拶をしないまま帰国をしてしまってすまなかった。
永夏もそうだったけど、僕の方も突然仕事が入ってしまって、大急ぎで
帰国しなければならなくなってしまったんだ。
帰る前にお見舞いに行きたかったんだけど……そうすると飛行機に乗り遅れて
しまうから、行けなかった。本当にごめん。


帰国した後も、僕もそうだけど永夏もずっと進藤の体調のことを
気にしていたんだよ。
そんな時に突然進藤からメールが来て、本当にビックリしたよ!
でも、嬉しかった。
「大丈夫だから心配しないで」っていう言葉に、僕も永夏も本当に安心したよ。


きっと進藤は、今まで囲碁と囲碁の神様のために頑張りすぎていたんだと思う。
時には、こうして休むことも必要だと思う。
今はたとえそれで囲碁が打てなくても、それもきっと神様が進藤のために
用意してくれた時間なんだよ。
僕も今年の夏から軍隊へ入隊するから、囲碁を打てなくなってしまうけど…
最近はそう思うようにしているんだ。
囲碁から離れてみて、初めてわかることだってあるかもしれないだろう?

だから進藤も、焦らずに、じっくりと身体を治してほしい。



一日も早く、再び進藤と囲碁を打てる日を心待ちにしています。



返事は無理をしなくて構わないよ。
また、メールします。



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秀英から届いたメールを読んで、オレはノートパソコンを閉じる。
緒方さんから貰ったノートパソコンは、緒方さんのアドバイス通り、主にメールのやり取りに使っていた。

そのメールの相手とは──お見舞いに来たくても来ることが出来ず、それでも他の皆と同じようにとても心配してくれている海の向こうの友人──洪秀英だった。

この間、和谷から「秀英たちがお前のことを心配して、棋院に問い合わせてきているらしいんだ」と教えてくれた。
そんな秀英にこれ以上心配をかけるワケにはいかないと思ったオレは、緒方さんから貰ったノートパソコンでメールを送ってみることにした。

そのメールはどうやら無事に届いたらしく、このような返事が今日届いたのだ。
きちんと日本語で書かれた、秀英らしい真面目な文章だった。
永夏にもメールは送ったけれど、永夏はどうやら秀英以上に忙しいらしく、とても返事を書くヒマなどないのだろう。
それでも秀英のメールから永夏も元気にしていて、そしてオレのことを心配していたことが伝わってきた。


秀英、永夏。
オレ、二人には本当に本当に迷惑をかけたと思う。
でも二人は、そんなオレに本当に優しく、真剣に向かい合い、そして囲碁を打ってくれた。




秀英、永夏。
ありがとう。




そしてごめんね──
















そんなことを思っていた時、トントンとドアが叩かれる音がする。
オレが「ハイ」と返事をするとドアはゆっくりと開かれて、スーツ姿の塔矢が病室へと入ってきた。


時計の針はすでに夜の21時半を指しており面会時間は終了していたが、塔矢だけは矢部先生の特別許可で、特に時間に制限なく病院へ訪れることが出来ていた。
だから塔矢は、どんなに仕事で遅い時間になったとしても、毎日必ずオレの病室へとやって来た。
病室にいる時間も、2時間や3時間になる日もあれば、僅か10分足らずの日もある。
たとえどんな時であろうとも、塔矢は必ずやって来たのだ。


それがどんなに辛く、そして疲れていようとも。















「塔矢」
「……まだ起きていたのか」
「まだって…まだ9時半だよ」
「でももう夜だろう。横になっていろ」

塔矢はそう言うと、ベッドの上に座っていたオレの身体を横たわらせる。
その時、オレは久しぶりに下から塔矢の顔をじっくりと見上げた。













……塔矢、痩せた?











元々細身であった塔矢だけど、明らかに以前より頬が削げ落ちてしまっている印象を受けた。
キリリとした力強い目元も変わらないけど、暗い色の隈が出来ていた。
痩せたというよりも窶れてしまった、といった方がいいのだろうか。
とにかく顔色が悪く、そして酷く疲れているようだった。
そのせいだろうか、オレが例えば昼間にあかりが来てくれたことや、秀英からメールが来たことなどを話すと、返事はするもののそれ以上の言葉は返ってこず、どれも上の空という感じだった。



……そんなに仕事が忙しいのだろうか。
きちんと食事は取っているのだろうか。眠れているのだろうか。休めているのだろうか。
仕事の忙しさもあるのかもしれないけれど、オレのことが塔矢にとって酷い負担になっていろうであろうことは、塔矢に確かめるまでもなく明らかだった。













『最近、塔矢のヤツ、ちょっと調子を落としてるみたいだな』












この間、倉田さんが言っていた言葉が頭の中で蘇る。


































塔矢。
塔矢は大丈夫なの?











塔矢。

































「塔矢」
「………ん?」
「仕事、忙しいの? すごく疲れてるみたい」
「……ああ……うん」



塔矢はスーツの背広を脱いでソファーの背もたれにかけると、ネクタイを少し緩めながらベッドの傍の椅子にフーッと大きく溜息をつきながら腰を落とした。
オレのすぐ傍に座ってはいるもののその目はどこか虚ろで、目の前にいるオレどころか何も見ていない──いや、見えていないかのような、淀んだ疲れ切った目だった。

オレはもう一度身を起こして毛布から出ると、塔矢の方へと身を乗り出して再び声をかけた。


「なあ塔矢。今日はもう帰った方がいいんじゃないか?」
「………え?」
「なんか、本当に凄く疲れているみたいだし。少し休んだ方がいいよ」
「………」
「そうだ塔矢。秀英がね、メールで『休むことも必要だ』って……」




「キミは」





秀英のメールの話をしようとした矢先、塔矢の苛立ちを含んだ強い口調で言葉を遮られる。
驚いたオレは、何も言うことが出来ずに固まったまま塔矢をジッと見つめた。
塔矢は手を組んだまま俯いて、再び深い溜息をつく。
長い髪の毛に顔が隠されてしまっていて、塔矢が今どんな表情でいるのかオレは見ることが出来なかった。
そのままの姿勢で、塔矢は再び苛立った口調で言葉を続ける。

「キミは……僕といて僕と話すよりも、
 他に見舞いに来てくれる友達といたり、洪秀英とメールをしたりしている方が楽しいのか?」
「………は?」
「疲れてやってくる僕といても楽しくないから、もう帰れだなんて言うのか?」


………何?
塔矢が何を言っているのかわからない。
突然支離滅裂なことを言い出す塔矢に、オレはどうしたらいいのかわからないまま再び話しかけた。



「塔矢、どうしたの? 塔矢が何言ってるのかわからないよ。
 塔矢、疲れてるんだよ。顔色も悪いし……。
 だから家に帰って休んだ方がいいって……」
「僕は疲れてなんかいない! 今日だって普通に仕事を終えてキミの元に来ただけだ!
 何がいけないんだ!」


突然塔矢は声を荒げてそう怒鳴ると、立ち上がってベッドに座るオレを見下ろした。
その目は先程の疲れ切って淀んだ目から、怒りと苛立ちを含んだ目の色に変わっていた。


「今日だって僕はいつもと変わらない!
 いつものように対局で勝利だっておさめてきたんだ! なのに何故『帰れ』って言われなければならないんだ!」


あまりにもいつもと違う塔矢の様子に、オレは不安になるのと同時に頭に来てしまった。
疲れて苛立っている塔矢を冷静にさせればいいのに、怒鳴られた単細胞のオレはついカッとなり、塔矢につられるようにして怒鳴り返してしまう。



「何がいつもと変わらないだよ! 何が勝利しただよ!
 この前、倉田さんからお前の対局の内容聞いたんだ!
 酷い碁じゃねぇか! あんな、ただ『勝ちました』っていうだけの中身のない碁!」



……『火に油を注ぐ』ってのはこういうことを言うんじゃないだろうか。
言わなくていいことまで言ってしまうのは昔からオレの悪い癖だけど、やっぱりこんな時でもそれは変わってないらしい。
塔矢の怒りの火に、思いっきり油を注いでしまったのだ。
当然塔矢は烈火のごとく怒り出し、再び大声でオレに向かって怒鳴った。


「勝ってるんだ!それの何がいけない!」
「勝てばなんだっていいのかよ! お前が目指している碁ってそんなもんなのか!?」


一歩も譲らずにそう怒鳴り返すオレに、塔矢は点滴をしていない方のオレの腕を掴んで、オレに詰め寄った。
腕を取られてしまったオレは、点滴に繋がれた不自由な方の腕で抵抗するが、それでも塔矢は離してくれなかった。
そして怒りに震えるかのような声で話し始める。


「……何が僕の『顔色が悪い』だ。キミだって、キミだってまた…こんなに痩せて。
 どうせ食事だってきちんと取ってないんだろう?
 そんな状態のくせに、毎日毎日友達と会って……。僕といるよりもそんなに楽しい?」
「何言ってるんだよ、お前! 離せよ!
 今のお前の状態よりも、ずっとずっとオレの方が元気でマシだよ! 離せ!」


その時暴れたオレの右手が、図らずも塔矢の顔にバシッと音を立てて当たってしまう。
その瞬間に、オレの右手から繋がっている点滴がガシャンと音を立てて静かに揺れた。




そして──聞こえないはずの音が、オレの耳の中で響く。




塔矢の中で、何かが音を立てて切れる音が聞こえた。
































そして酷く低い静かな声で、塔矢は呟く。














































「……じゃあ、証拠を見せてもらおうか」

























































そのまま塔矢は、塔矢を殴ってしまったオレの右手を強引に掴むと、オレをベッドの上へと押し倒す。
そして、オレの寝間着を破るような勢いで剥いでいく。


塔矢の豹変にオレは言葉を暫く失ってしまっていたが、怒りに燃える塔矢の目を見つめた瞬間に、再びオレのこの余計なことばかりを言う口からは、どうしようもない言葉が漏れていった。



















「見せてやるよ」


























オレのその言葉を聞いた瞬間に、塔矢の目の中の怒りの炎はますます赤く燃え上がり、オレの腕をさらに力を込めて押さえつけ、噛み付くようなキスをした。
歯と歯があたって、口の中に血の味が広がる。
もう後には引けないくらいにキレてしまったオレも、負けじとばかりに塔矢の唇に噛み付いてやった。
塔矢の唇は、血で真っ赤に染まっていた。



















































そうして塔矢は、そのままベッドの上でオレを抱いた。





















































塔矢がオレを揺らす度に点滴がガシャンガシャンと耳障りな音を立てて揺れた。
声を出してしまうワケにはいかないオレは、近くにあった毛布に必死に噛み付いて、声を漏らさないようにひたすら耐え続けた。























塔矢と繋がっている部分から、どんどん身体の中が熱に犯されていくのがわかった。
その熱はオレの中に巣喰っている病魔による熱なのか、塔矢の怒りによる熱なのか。





その時のオレにはもう、わからなかった。











































意識が飛んでしまう直前。
オレの頭上で塔矢の叫び声が響いた。

















それは怒りによるものではなく──ただただ、哀しみに濡れた、悲痛な叫び声だった。



























































































「僕は、毎日毎日、今日キミを失ってしまうんじゃないか、
 今日こそキミはいなくなってしまうんじゃないかって…そんな恐怖と戦っている」






















































































「苦しい。苦しくて気が狂いそうだ」









































































































「キミに、大切な人を失うかもしれないという僕の気持ちはわからない」










































































































塔矢。




















































わかるよ。





その苦しみは、オレは誰よりもわかるよ。


































































































お前にだけは、そんな辛い想いをさせたくなかったのに。






















































ごめんね。


























































































ねえ、塔矢。














やっぱりオレ達、もうダメかな。































































このまま、塔矢を苦しめるくらいなら──もう。















































































ねえ、秀英。











オレがこうして病気になって、囲碁が打てなくなって。
そして塔矢を傷つけて。





これもやっぱり、神様が用意したことなのかな。

























































神様、どうしてこんなことするんだよ。






傷つくのはオレだけでいいのに。









































































神様。










オレ達はどうすればいいのかな。









































































こんな風に傷つけあうために、オレ達は一緒にいるんじゃないのに。