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11-5
「──…」
「……ヒカル!」
目をゆっくりと開ける。
するといつもの白い天井が見えて──そして今にも泣き出しそうな顔をしたお母さんと、いつになく厳しい顔をした矢部先生がオレを覗きこんでいた。
ゆっくりと瞬きをして、今自分がいる場所をグルリと見渡す。
──ああ。いつもの病室……
身体を動かそうとするが、鉛のように重くて動かすことが出来なかった。
熱のせいか薬のせいなのか、頭の中もボウッとする。
「お母さん」と呼びたかったけど、上手く声が出なかった。
オレがそうしてボンヤリしていると、お母さんがもう一度「ヒカル!」とオレの名前を呼んだ。
オレはゆっくりとお母さんを見つめる。
オレの意識がきちんと戻っていることを確認したお母さんはホッと息をついて、そしてオレに再び声をかけた。
「アンタ、塔矢くんと一緒に出かけて、病院へ帰ってきた途端、倒れたのよ! 覚えてる?」
「……うん」
掠れてはいたけど、漸く声の出たオレにお母さんは安心したのか、フウと息をつきながらいつもオレを怒るような口調で話し始めた。
「まったくもう! また外で無茶したんじゃないの?」
「無茶なんか…してないよ。普通に歩いてただけなのに」
そんなお母さんとオレの会話を聞いていた矢部先生は、オレを見つめながら静かな声でオレに話しかけた。
「体力が落ちているところで、ちょっと長い時間外にいたせいかな。
少し血糖値が下がっているし…軽い発作も見られるね」
「せんせい…」
「外出を許可した僕に責任がある。…すまなかったね」
矢部先生はそう言って、オレとお母さんに静かに頭を下げた。
何で? 何で謝るの、矢部先生。
だってオレは。
「せんせい…」
「うん?」
「オレ…ただ外を歩いてただけだよ。走ったりも、なにもしてない」
「うん」
「先生の約束、無理をしない約束、守ったよ。時間も守った」
「うん」
「なのに、なんで……?」
なんで?
矢部先生は何も言わない。
だって、そのオレの問いに答えてしまったら、それは──
「……せんせい」
「うん?」
「………………オレ……もうダメなの…?」
特に表情も口調も変えずに、オレは静かに矢部先生に尋ねた。
オレのそんな言葉を聞いて、傍にいたお母さんは叫ぶように「ヒカル!」とオレの名前を呼んだ。
矢部先生はオレの目を見つめて黙っていたが、暫くして静かに口を開いた。
「……ダメじゃない。焦ってはダメだよ。今、キミの身体は一生懸命戦っているんだから。
もう少し、ゆっくりと考えてあげないとダメだよ」
……ゆっくりと。
でもその時間は、オレに残されているのかな──せんせい。
さすがにそのことを先生に問うことは出来なかった。
隣にいたお母さんをこれ以上悲しませることはしたくなかったから。
オレは矢部先生の言葉を聞いてフウと息をつき、オレが倒れる直前まで共にいた人のことを頭に描く。
……塔矢がいない。
アイツ今、どこにいるのかな。
「………せんせい、塔矢は……?」
「ああ、廊下で待っているよ。会うかい?」
矢部先生はオレがゆっくりと頷くの確認すると、お母さんと一緒にオレの病室を出ていった。
病室に一人取り残されたオレは、ボンヤリと白い天井を眺めながら考える。
オレに残された時間。
『あの世界』に行くこと。
果たすべき『目的』。
そして塔矢のこと──。
塔矢──。
その頃その塔矢は、病室の外の廊下で矢部先生と話を続けていた。
塔矢にとって恐らく、酷く辛く、残酷な話を。
++++++
「アキラくん」
廊下の長椅子に座って項垂れていた僕は、矢部先生の声で顔を上げる。
進藤の病室を彼の母親と共に出てきた矢部先生は、いつの間にか僕の前に立っていた。
僕は慌てて立ち上がると「進藤は!?」と矢部先生に詰め寄った。
矢部先生はそんな僕に「落ち着いて」と言い、「意識は戻ったから、大丈夫だよ」と静かな声で言った。
僕は矢部先生のその言葉を聞いて大きく息をつく。
今まで張りつめていた身体中の力が抜けていくようだった。
その時にふと、視線を感じた僕は顔を上げる。すると彼の母親が今にも泣きそうな表情で僕をジッと見つめていた。
そんな様子に驚いた僕は「あの」と声を掛けようとしたのだが、その瞬間に彼の母親は僕に軽く頭を下げて、そのまま化粧室へと走っていってしまった。
僕に涙を見せるのを、隠すかのように。
そんな彼の母親の様子に言葉を失ってしまった僕は、何も言わずに矢部先生を見つめた。
矢部先生は酷く厳しい顔をして僕を見つめていた。
矢部先生とは長い付き合いになるけど──こんなに厳しい表情の先生を見たのは初めてだった。
そして僕の傍に近づき、僕の耳元で話す。
その声も、今までに聞いたことのない程、低くて張りつめた声だった。
「思っているよりもかなり進行が早い。だがそれ以上に身体の衰弱が酷い」
「このままじゃ、病気が進行する前に身体の方が先に参ってしまう」
「かなり落ち込んでいるようだ。……気持ちが萎えてしまったら、もう──」
「なんとか勇気づけてやってくれないか。辛いけど、キミにしか出来ないことなんだよ」
矢部先生。
僕は、僕たちはどうしたらいいのでしょうか。
++++++
カタンと静かな音がして、オレは横になったまま振り返る。
ドアが開かれて──そこにはオレの予想通りの人物、塔矢が静かに立っていた。
顔を強ばらせた塔矢は、横になっていたオレと目が合うと、そのままゆっくりと歩みを進める。
そしてオレのすぐ傍まで来て、オレを見つめたまま静かに腰を下ろした。
……塔矢。顔が強ばってるよ。
ホントに昔から顔に出やすいよな、お前って。
もう、お前何も言わなくったってさ、お前が矢部先生とどんな話をしてきたのか想像ついちゃうよ。
オレはそんなことを考えてクスリと笑う。
そして、鉛のように重くなってしまった身体を必死に起こそうと試みた。
なかなか上手く力が入らなくて、何度もヨロヨロとしてしまう。
塔矢は慌てるように「無理をするな!」と言ったけど、そうはいかないよ。
だって、オレはこれからお前に大事なことを話さなくちゃならないんだから。
なんとか上半身だけを起こすことが出来たオレは、フウと息をつきながら目の前で酷く心配そうな顔をしている塔矢を見つめる。
きっと、オレが倒れたのを「自分のせいだ!」とか「僕がついていながら!」とか思って落ち込んでいるんだろうな。
ホンット、バカなヤツ。
バカで生真面目で優しいヤツ。
塔矢。大好きだよ。
「塔矢」
「……ん?」
「別れようか」
オレは笑顔で、出来るだけ明るい声で何気なくそう言った。
塔矢はオレのその言葉を聞いた瞬間、何を言われているのか意味がわからなかったようで呆然としていた。
そして暫く経って──漸く把握できたのか、スウと小さく息を吸い込んでみるみる恐い顔へとなっていった。
そんな恐い顔するなよ、塔矢。
「なんかオレ、お前に心配かけてばっかりだしさ。
辛い思いさせてばっかりだし。もう止めにしようぜ、こんなこと」
「……キミは……なにを」
「だってこれ以上オレといたって、お前いいことないぜ。
だから、もういいよ。
今までありがとうな、塔矢」
オレが痛む喉を押さえながらなんとか早口でそう言うと、塔矢は座ったままブルブルと拳を震わせた。
怒りに震えているようだった。
当然だよな、勝手なことを言っているって自覚くらい、オレにだってある。
でも。
でもさ、塔矢。
もうこんな悲しみは、終わりにしなくちゃ。
そんなオレの想いは余所に、怒りに震えた塔矢はその言葉までも僅かに震わせながら口を開く。
「……そんなバカなこと……僕が聞くとでも思っているのか、キミは」
「バカなこと?」
「バカなことだ。いいことがあるとか、ないとか。
そんなことのために、僕はキミの傍にいるとでも思っているのか」
そんなワケないよな。
そんなことわかってるよ、塔矢。
何年お前と一緒にいると思ってるんだよ。
だからオレの気持ちもわかってよ、塔矢。
「……あ〜、もうハッキリ言わないとわからないかな!」
「え?」
「迷惑なんだよ、お前が傍にいると」
「……え…」
怒りに震えていた塔矢が、ピクリと大きく震えた後にその動きを止める。
そして目を見開いたままオレを見つめる。
オレはそんな塔矢にトドメを刺すかのように、早口で捲し立てながら喋り続けた。
「だって、そんな窶れた顔で傍にいてさ、オレだって気ィくらい使うんだぜ」
「………」
「それだけじゃないし。お前が囲碁打って、そのニュースを見る度にイライラするし。
何でオレは打ててないんだ、って。
お前が傍にいると、よりそれを思い出させる」
「………」
「もうイヤなんだよ、そーゆーの」
「………」
「これ以上、お前が傍にいても、オレ辛いだけだし」
辛いだけだし。
お前がオレの傍でこれ以上傷ついていくの見るの、辛いだけだし。
だからもう、終わりにしなくちゃ──。
そう思って、オレは出来るだけ早口で言った。
早口で言わなければボロが出てしまうのがわかっていたから。
だって一度喋るのを止めてしまったら、今にも声が震えて涙が零れそうだったから。
そんな姿をまた塔矢に見せて、塔矢が悲しむ姿をもう見たくないんだ。
だから、笑顔で終わりにしなくちゃ──
──そう、思っていたのに。
「……お前といると……本当に……辛いし…」
「………」
「辛そうにしているお前見るの……辛いし」
今まで怒りや驚きの表情を見せていた塔矢は、いつの間にか静かな表情になってオレのことをジッと見つめていた。
そしてオレの気付かない間に、塔矢はブルブルと震えていたオレの手を静かに握ってくれていた。
そんな塔矢の温もりに気が付いた瞬間、それまで必死に堪えていた涙が一気に零れ、我慢していた声が崩れるようにして震え始めてしまった。
……ああ、もう。
何でだよ、塔矢。
せっかく笑顔で終わらせようと思ったのに。
もう泣かないって決めてたのに。
せっかくこのままお別れしようと思ったのに。
もう悲しい想いはさせたくなかったのに。
本当オレって、ワガママで堪え性がなくて──ダメなヤツだよな、塔矢。
塔矢。
何か言ってよ、塔矢。
「オレ……これ以上…お前の傍にいると……本当に離れたくなくなっちゃうし…」
「………」
「オレ、『あの世界』に行かなきゃいけないのに。そのために、今まで頑張ってきたのに」
塔矢。
オレ、果たさなくちゃならない『目的』があるんだよ。
そのために『あの世界』に行かなくちゃならないんだよ。
それなのに。
「……………たくない……」
「え?」
「行きたくない。行きたくないよ。
『あの世界』にはアイツがいるのに。でも行きたくなくなっちゃったよ」
「……進藤」
「どうしよう」
涙がボロボロと零れ続ける。
涙でしゃくり上げるたび、胸の奥が酷く痛んで息が出来なくなりそうになる。
それでもオレは涙を止めることが出来ずに、なんとかオレを諫めようとする塔矢に縋り付きながら叫んでしまった。
絶対に塔矢には言ってはいけない、言ってしまっては塔矢が深く傷ついてしまうとわかっていた言葉を、オレは叫んでしまった。
「塔矢、どうしよう」
「進藤」
「塔矢どうしよう、オレ、行きたくない」
「……進藤」
「塔矢、オレ」
「死にたくない」
「死にたくないよ、塔矢」
「死にたくないよ」
──そのままオレは、塔矢の腕に縋ってワアワアと何時間も泣き続けた。
胸も喉も痛くて痛くて溜まらなかったけど、泣きやむことが出来なかった。
何もかもが悲しかった。
『目的』のために今まで頑張ってきたはずなのに、それ以上の気持ちが生まれてしまったこと。
塔矢が傷つくのを知っていて、塔矢に泣いて縋ってしまったこと。
オレがもうすぐ死ぬということ。
何もかもが悲しいよ、塔矢。
オレは、どうしたらいいのかな。
塔矢、胸が痛いよ。
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