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12-3
「お待たせ」
碁盤の彫られている石のベンチで待っていた進藤は、僕の声に俯かせていた顔を上げる。
そして僕が差し出した古い碁笥を静かに受け取った。
「わ…木で出来てる…。古い碁笥だな」
「さっきの秀策の神社『石切神社』──あの横に『本因坊秀策記念館』ってあっただろ」
「うん、オレは前に来た時に行ったけど…」
「そこの人にお願いをして貸してもらった」
「え…まさか」
進藤は碁笥をベンチの上にそっと置くと、蓋を開けて碁石を取り出す。
そして頬を紅潮させながら僕を見つめた。
「な、なあ、これってまさか秀策の」
「ハハハ、そう言うと思った。残念だけど違うよ。さすがに展示してあるものは貸してもらえないよ」
「そっか……そうだよな。でも、すごい古い碁石だな。平べったくて…今のと随分違う」
「うん。だって、秀策が生きていた頃に使われていたものだそうだから」
「……え」
思いがけない僕の言葉に、進藤は目を丸くして手に取った碁石を見つめる。
そんな進藤を見て僕はクスリと笑うい、言葉を続けた。
「秀策の碁石は貸してもらえなかったけど。
でも、それと同じ時代に作られたという碁石をご厚意で貸してもらえたんだ」
「秀策と、同じ時代に…」
「うん。丁寧に扱わないとね」
僕の言葉を聞いて、進藤は黒石を陽に照らす。
すると碁石は反射してキラキラと光り、僕等の座る石の碁盤のに小さな光を落とした。
進藤は目を細めてその輝く碁石を見つめる。
「……綺麗」
「きっと百年以上──その碁石は待っていたんだと思うよ」
「………」
「キミの手に持たれることを。そして『神の一手』を打たれることを」
そう言った僕の言葉に、碁石を光にかざして空を見ていた進藤は真剣な表情になり、僕を見つめる。
そんな彼の表情を受け止め僕は──この誰もいない静かな公園で、彼に向かってゆっくりと口を開いた。
「さあ、打とうか」
「ああ」
サワサワと音を立てて、春風に吹かれた緑の木々が揺れる。
緑の葉の間から零れる暖かい春の光が、僕と進藤と──そして石の碁盤を静かに照らした。
進藤とこうして碁盤を挟んで向かい合うのは、半年ぶり以上になる。
──そして、恐らくこれが最後になる。
僕は打つ。
進藤ヒカルと囲碁を打つ。
彼が『神の一手』を打つというのなら、その相手は僕でなくてはならない。
だって僕はそのために。
僕は、この一局を彼と打つために生まれてきたのだから。
だから、僕は打つ。
「お願いします」
響く、静かな彼の声。
秀策の時代を生きて今──進藤ヒカルの手にあるその碁石は、パチリと澄んだ音を立てて碁盤の上に置かれた。
右上スミ、小目。
彼の一手目。
僕は打つ。
17−4。
彼が打つ。
3−16。
僕が打つ。
彼が打つ。
こうして僕等は、共に打ち続けていく。
終局するその時まで、僕等は共に。
囲碁は一人で生み出すことは出来ない。
二人揃って、初めて生まれるものなんだ。
だから僕等は、こうして一緒に囲碁を打つために──同じ時代に生まれてきたんだね。
僕は幸せだ。
キミと打つことが出来て。
キミと生きることが出来て。
僕は幸せだよ、進藤。
そのまま僕等は、静かな春の日が射す中で打ち続けた。
僕等二人しかいない、静かな公園。
世界は、僕たち二人だけになってしまったかのように静かだった。
そう──ここは僕等が作り出す、僕等にしか行くことの出来ない世界。
僕等、二人だけの世界。
そして、僕等が目指す場所。
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