12-7






「今でもわからないんだ。なんで突然消えてしまったのか」































































「ワガママばかり言っているオレに愛想が尽きたのか」



「なかなか打たせてもらえないことが悲しかったのか」



「それとももう──神の一手を打ってしまったのか」























「……今でも、わからない」


















































進藤は静かな声でそう言うと、僕の肩に寄り掛かりながら月を見上げた。
その瞳は、夜空に浮かぶ月よりももっともっと遠くを──決して手の届かない遠くのものを見つめているかのようだった。

ザザザ、ザザザ、と波音が部屋に響いていく。
その波音に答えるように、進藤は言葉を続けた。





──『アイツ』の話を、僕に伝えるために。










「……アイツが消えてしまった直後……アイツが夢に出てきたことがあった」
「………」
「白い、キラキラと輝いていた世界」
「………」
「アイツはただ、笑ってた」
「………」
「何も言わずに……オレを見て、ただ笑ってた」
「………」
「綺麗で──そして懐かしい笑顔だった」




進藤はそう言って目を閉じる。
その瞼の裏には、綺麗に微笑む『アイツ』の姿を思い浮かべているのだろうか。
彼は目を閉じながら、再び静かな声で語り出す。




「消える時、どんな気持ちだったのだろう。
 笑ってたかな。笑ってたらいいな。オレにはそう祈ることしか出来なかった」
「………」
「『あの世界』に行って──アイツに会えたら、答えてくれるかな」
「………」
「アイツが消えてしまってから、そんなことばかり考えた」
「………」
「毎日、ずっとだ」







進藤はそこまで言うと、閉じていた目を開けて再び夜空の月を見上げた。
僕はそんな彼の表情をそっと覗き見る。
彼はとても静かで穏やかな表情をしていたけれど──夜空に浮かぶ星々のせいなのか、それとも『アイツ』を瞼の裏に思い描いていたせいなのか。
大きな瞳とその目元は、キラキラと光っているようだった。

それから暫くの間僕と彼の間に言葉はなく、波音だけが静かに響いていった。


ザザザ、ザザザ。
ザザザ、ザザザ。


その波音は、部屋に──いや、僕等の心の奥底まで静かに響いていって、まるですぐ目の前に海があるかのような錯覚を覚えた。








僕等の目の前に広がる海。
打ち寄せる波は、すべてを飲み込んで海へと還っていく。

僕等の想いも、過去も、未来も、何もかも。








































静かに、静かに、僕等を包み込んでいく──……

























































































それからどれくらいの時が流れたのだろうか。
僅か数分のことだったのか、それとも数時間が経ってしまったのか。
よくわからない。

進藤の「フフ」と静かに笑う声で、僕は我に返り、寄り掛かる彼を見つめた。
進藤は口元に僅かな笑みを浮かべながら、再び僕に向かって口を開いた。





「……ごめんな。オレの言ってること、全然わからないよな。
 オレ、言ったよな。『お前にはいつか話すかも』って。
 お前には全部話したいし、アイツのことも知っていて欲しいんだよ」


「………」


「でも、上手く説明出来ないんだ……アイツのことは」


「………」


「アイツは、そうだな──奇跡みたいな存在で。
 オレに色々なものを残していってくれた。囲碁、大切な人、時間、命……。
 オレにとって、アイツは本当に──」














































































「大切な人だったから?」









































































──自然に出てきた言葉だった。
まるで彼の言葉を受け継ぐようにして──彼の言葉を聞いていた僕の心の奥底から、自然に発せられた言葉だった。


そんな僕の言葉を聞いて、進藤は僅かに驚いたような顔をして僕を見上げた。
僕を見つめる彼を見て、僕は小さく笑う。

そして、僕は彼に話し始める。





「……確かに、キミと『アイツ』という人のことのすべてを、僕は理解出来ないかもしれない。
 でも……僕にしかわからないこともあると思う」
「……え」
「話してもいいかな」





彼と出会ってから7年以上もの間、僕が考えてきたこと。
そして今、彼の言葉を聞いて思ったこと。






僕の中の、進藤ヒカルと『アイツ』についてを──僕はゆっくりと彼に話し始めた。



















「キミに囲碁を教えてくれた『アイツ』。
 その人は……キミのとても近くにいて、キミに色々なものを与えてくれた」
「……うん」
「だが、突然キミの前から姿を消してしまった」
「………」
「それがあの──不戦敗の時だね」




今度は僕が、夜空に浮かぶ月を見上げながら話し続ける。
進藤は、そんな僕に変わらず寄り掛かっていたけれど──『アイツ』という人が消えた時の話をすると、彼の身体がピクンと揺れるのがわかった。
僕は前に投げ出されていた彼の小さな手を取り、強く握りしめる。
彼の手は震えてはいなかったものの、とても冷たくなってしまっていた。

『アイツ』を失った時の、彼の心のように。

そんな彼の手を、彼の心を暖めるようにしながら、僕は言葉を続けた。




「どうして消えてしまったのか……どんな気持ちで消えてしまったのか。
 今でもわからない、とキミは言った」
「………」
「僕にはわかるよ」
「……──」
「その人と僕は──きっとキミに、同じ気持ちを抱いていたから。
 だから僕は、『アイツ』の気持ちがよくわかる」




『アイツ』は、きっとキミのことが好きだったはずだから。
僕と同じだから。

だから僕には、『アイツ』の気持ちがよくわかるんだ。










「その人がキミの前からいなくなったのは……『目的』を遂げたからじゃないのかな」
「……『目的』」
「キミの傍にいる『目的』。
 キミに命を与えること。そしてキミに囲碁を教えること。
 それらの『目的』を果たせたから、彼は消えたんだ」


僕の言葉を聞いて、進藤は僕から僅かに身を離し、フルフルと首を横に振った。
そして僕を見上げる瞳には涙が滲み、月明かりが反射してキラキラと輝いていた。


「違う、違うよ。アイツの『目的』は神の一手を打つことだったんだ」
「それは、囲碁の力と共にキミに引き継いだんじゃないのかな」
「……──」
「囲碁の力と共に。覚えはないかい?」


僕がそう言うと、進藤は見開かれていた瞳を僅かに伏せて、『アイツ』と過ごした日々や『アイツ』が消えてしまった時のことを思い出しているようだった。
それから暫くして──伏せられていた進藤の瞳が、「あ」という声と共に再び大きく見開かれる。
そして、大きな瞳を震わせながら僕を見上げて口を開いた。


「囲碁の力と共に……『神の一手』を引き継いで……」
「何か、思い出した?」
「……あの時……アイツが消えてしまった直後、オレの夢に出てきた時。
 あの、白いキラキラとした世界で……アイツ、何も言わなかったけれど……
 オレに、自分の大事にしていた扇子を渡してくれたんだ」
「………」
「オレに……囲碁の力を……命を……夢を……引き継いでくれたんだ……」


そう言い終えると、進藤はポロポロと涙を零して泣き始めた。
『アイツ』が消えて4年以上の月日が流れて──漸くその意味を知ることが出来たかのように。
きっと様々な感情が進藤の中で溢れかえって、それが涙となって零れてきてしまっているのかもしれない。

僕はそう思いながら指でそっと彼の涙を拭い、再び言葉を続けた。




「『アイツ』がキミに囲碁の力を、そして神の一手を打つという夢を引き継いでくれたからこそ──
 昼間の、キミのあの一手が生まれたんじゃないのかな」
「………」
「素晴らしい一手だった。あれこそは、遙かなる高みから打たれる究極の一手」
「………」
「あの時──確かにキミはsaiを超えていた」



僕は右手で彼の手を握り、左手で彼の涙を拭いながら、笑顔で彼にそう言った。
彼は僕の言葉を聞いて、ますます大粒の涙をポロポロと零し続ける。
そんな進藤に僕は「泣かなくていいよ」と言って笑った。

──そして、僕は伝える。

僕が7年以上思い続けてきたこと。
今日、彼と打ってわかったこと。
そして彼から『アイツ』──saiの話を聞いて思ったこと。




それらすべての想いを込めて、僕は彼に伝える。




















































「saiは、きっといつかキミがあの一手を打ってくれるってことがわかったから……
 キミの前からいなくなったんじゃないのかな」



「だから、きっと消える時は──笑っていたと思う」



「本当に本当に綺麗な笑顔で、笑っていたと思う」



「今日のキミとのあの一局を打ち終わった後に──キミの笑顔を見て。
 まるでsaiの笑顔みたいだ、って僕は思ったんだ」



「キミの笑顔も、本当に綺麗だった」

















































































「綺麗だったよ、進藤」













































































すべての想いを彼に伝え終えた後──暫くの間、沈黙の時が流れた。
ザザザ、ザザザという夜の海の音だけが部屋に響き渡る。
僕の目の前に座る進藤はまるで声を失ってしまったかのように黙ったまま、ただ静かに涙をポタポタと流し続けていた。
そんな彼に、僕は微笑みながら声を掛ける。


「……ごめん。僕も上手く説明出来ないや
 キミに伝えきれなかった『アイツ』の気持ちを、僕が上手く伝えられたらって思ったんだけど」



僕の言葉は、僕の気持ちは──そして『アイツ』の気持ちは、上手く進藤に伝わったのだろうか。
すべてを伝えきること、わかりあうことは出来ないかもしれない。
僕も『アイツ』──saiという人の存在を完全に理解出来た訳ではない。
それでも、saiの残した『想い』、進藤の『想い』は理解することが出来た。
だから、きっと進藤も僕の『想い』をわかってくれるはず。

わかってくれると、いいな。







進藤。











そんなことを思いながら彼をジッと見つめていると──涙を零し続けていた進藤は、月明かりを浴びながら静かに微笑んだ。
頬を伝う涙がキラキラと輝いて見える。
僕が「進藤」と静かな声で呼び掛けると、進藤は微笑みながら口を開いた。






「そっか……アイツ……笑ってたのか」
「うん」
「最後まで……笑って……」
「うん」






進藤はそう言い切ると、涙を流しながら瞳を閉じる。



saiと出会った時のこと。
共に過ごした日々。
saiが消えてしまった日のこと。
そして、それからの日々のこと────……




saiと過ごしたすべての月日を、すべての想いを。
彼は脳裏に、瞼の裏に思い描きながら──静かに、そして長い息を吐いた。












まるでsaiが消えてしまったその日から止めてしまっていた息を吹き返したかのように。
漸く心の深い深いところまで、息をすることが出来たかのように。












本当に深く、そして長い息を吐いた。








































そして閉じられていた瞳を開けて──彼は僕を見つめる。
キラキラと輝く瞳に、僕の姿を映す。
その瞳はすべてのことから解き放たれたかのように──清々しく、そして本当に美しい瞳だった。



そして、彼のすべての想いを込めた言葉を、ゆっくりと僕に伝えた。





































































「……塔矢………オレ……やっと赦された」
































































「お前のおかげで、オレは赦されたよ」














































































彼はそう言って、昼間に見せたような綺麗な笑顔でフワリと笑う。
そして目の前に座る僕へと腕を伸ばし、優しく──まるで僕を包み込むようにして抱きしめた。

僕の背に腕を回し、肩に顔を埋めながら彼は呼ぶ。



僕の名を、彼は呼ぶ。










その優しい声で、僕の名を呼び掛けるのだ。


















































































「……………ありがとう…………………アキラ…………………」























































































彼に名前を呼ばれた僕は──僕に抱きつく彼の細い背中に、腕を回す。
優しく優しく、壊してしまわないようにそっと彼を抱きしめる。
何も言わぬまま、僕等は暫くの間ただ抱き合った。
そしてどちらからともなく離れて、お互いの顔を見る。
涙を流し続けている彼の頬をそっと拭って、僕はゆっくりと顔を彼に近づけてゆく。






そして僕等は──キスをする。

深い深い、キス。








キスを続けながら、僕は彼の背を支えつつ静かにベッドへと倒れ込んでいった。
ほんの小さな衝撃でも与えてしまえば壊れてしまうのではないか。傷ついてしまうのではないか。
ならば僕は、絶対に彼を傷つけないように優しく、本当に優しく彼を抱きしめよう。

僕は彼と深いキスを交わしながら、彼の素肌へ手を滑らせていった。





久しぶりに触れる、彼の肌。
少し探ればすぐに骨の感触に触れてしまう、小さな身体。
決して傷つけないように。身体を冷やさないように。そう思いながら、僕は彼の服を脱がしてゆく。
彼は僕の背に縋り付くようにして僕を抱きしめながら、僕が彼の身体に触れる度に「んっ…」と小さな声をあげた。

彼が声をあげる度に、僕は手を止めて彼を見つめる。
「大丈夫…?」と尋ねる僕に、彼は「平気だから…続けて…」と頬を赤らめながら言った。

小さな胸に手を滑らせていく。
突起に辿り着き、手や舌で弄ると、彼は「や…ぁ…」と細い声を上げて身体を震わせた。



月明かりの下で震える、小さな身体。
まるでガラス細工のように小さく細く、今にも壊れてしまいそうだ。
彼から僅かに身体を離して心配そうに見つめる僕に、彼はクスリと笑いながら言った。


「ごめんな、こんなガリガリで」


彼の言葉に、僕は慌てて首を横に振る。
そんな僕の様子を見て進藤はクスクスと笑うと、僕へとそっと腕を伸ばし、僕の頭を自分の方へと引き寄せて優しく抱きしめる。
彼の胸元に顔を埋める僕に、進藤は優しく語りかけた。

















「大丈夫だよ、壊れたりしないから」





だから、来て。




























彼の言葉に、僕は涙が出そうになった。

進藤、ありがとう。




















ごめんね。













































































ザザザ、ザザザと波音が部屋に響く。
月明かりの射す部屋で、僕は進藤を抱く。

僕が腰を進める度にシーツの擦れる音と彼の甘くて高い声が、波音とともに部屋に響いた。


「……っん……あっ…ん………んんっ……」
「……進藤…っ」
「あぁっ……んっ……やっ……」
「進……っ……大丈夫?」



僕が心配そうに彼の名を呼ぶと、進藤はきつく閉じていた目を開けて僕を見つめる。
そしてその目元から静かに涙を伝わせると、彼は微笑みながら僕に向かって言った。










「……なまえ……」

「え?」

「………名前で……呼んで……」



















そう言った彼の笑顔は、本当に本当に綺麗で。
僕はそんな彼の表情を決して忘れないようにと願いながら、何度も何度も心の中でシャッターを切った。


進藤……いや。

















































































「……ヒカル」








































































「アキラ……」















































































──その後僕等は、何度も何度もお互いの名前を呼びながら一晩中抱き合い続けた。
彼は僕を「アキラ」と呼び、僕は彼を「ヒカル」と呼び続けた。



お互いの名前を呼ぶ声を忘れないように。
近い将来、たとえ離ればなれになってしまったとしても──互いの名前を呼び掛ければ、すぐに返事が出来るように。




















僕は、僕の名を呼ぶ彼の声を。
彼は、彼の名を呼ぶ僕の声を。
















耳に。脳裏に。そして心の中に。
深く深く、刻みこんだ。



































































そうして僕等の因島の夜は、静かに更けていった。