12-9





僕と進藤が東京に到着した時、時計はすでに夜の21時を回っていた。

広島ではあれ程元気だった進藤は、周平さんと別れて新幹線が走り出した途端にグッタリとしてしまった。
僕の肩に寄り掛かり、僕が「進藤」と声を掛けなければ、自分から動くことも話すこともしんどいようだった。
小さな額に触れる。薬で強引に抑えていた熱が、再び上がってきてしまっている。

……病院を離れて丸2日近く経つ。
弱り切っていた体は限界を超え、悲鳴を上げ始めていた。

東京駅に到着した時には、進藤は自分一人の力で立ち上がるのも困難な状態だった。
駅員さんに助けてもらいながらなんとか新幹線を降りた僕は、進藤に「病院へ戻ろうか?」と尋ねる。
だがそんな僕の言葉に、進藤は弱々しく頭を振って拒否をした。
「しかし」という僕に、進藤は小さな声を振り絞りながら言った。


















「……帰りたい……オレと…お前の家に…もう一度、帰りたい」

























──僕等の家に、もう一度。









そう言って目を閉じてしまう進藤の細い肩を、僕は力強く抱く。










ああ、帰ろう。一緒に帰ろう。
僕等の家へ。

















































東京駅からタクシーで、なんとかマンションへと辿り着く。
タクシーから一人で降りることも、マンションの前の僅か数段の階段を上ることも難しくなってしまっている進藤を、僕は何も言わずに抱き上げる。
進藤は僅かに驚いた様子を見せたが、そのままグッタリと僕に身を預けてしまった。
因島では、あれ程僕に抱きかかえられるのを嫌がっていたのに。今ではもう、抵抗する力すら残されていない。


「……………塔…………ゴメ……」
「もう少しで、僕等の家だ。頑張れ」


僕の言葉に頷く進藤を抱きかかえながら、僕は心の中で想う。

──ああ、キミは本当にあの島で、残されていた力の全てを使い果たして来たんだな。

そんな彼と共に、僕は一歩一歩階段を踏みしめて、僕等の家へと向かっていった。












家のドアを開ける。
真っ暗な部屋の中に足を踏み入れると、ニャーというアキラの声が聞こえた。
いつも僕を出迎えてくれるアキラは、久しぶりに進藤の気配を感じ取ったのか、いつもよりも多くニャーニャーと鳴く。
そんなアキラに、進藤は僕の腕の中で僅かに笑い、小さな声で「ただいま…」と呟いた。

彼の部屋へと入り、電気を点けぬままベッドへと寝かせる。
着ていた上着を脱がせてから薬を飲ませ、「眠っていいよ」と言うと、進藤は安心し
たように微笑んでゆっくりと頷いた。







僕は進藤のベッドのすぐ脇へと座り、窓の外の夜空に浮かぶ月をボンヤリと見上げた。
昨日因島で彼の名を呼びながら見上げた月と、同じ月。





丸い月が、眠る進藤の顔を静かに照らしている。
閉じられた長い睫が、白い頬に濃い影を落とす。
青白い月明かりに照らされた進藤の顔は、月が彩る不思議な陰影のせいか──どこか生気のない人形のように見えた。


……もしもこのまま、二度と彼の瞳が開けられなかったら。


そう考えて、心の奥底がザワリと音を立てる。
慌てて僕が「進藤」と名を呼ぼうとしたその時──進藤の口元がゆっくりと動いて、小さな声で「とーや…」と僕の名を呼んだ。





「…なに?」
「となりに……一緒に…寝てくれる……?」






閉じられていた瞳を僅かに開き、小さな掠れた声でそう言う進藤の言葉に僕は大きく頷くと、彼の身体を少しずらして、その横へと自分の身体を差し入れた。
彼と同じベッドで、同じ布団をかけて。
母親が子供を寝かしつける時にするように、僕は布団の上から優しく進藤の身体を撫でる。

安心していいよ。僕はここにいるよ。

そんな想いを込めて、僕は何度も何度も彼の身体を撫で続けた。
暫くそうしていると、再び「とーや…」と進藤は僕の名を呼ぶ。
僕が手を握って「ここにいるよ」と言うと、進藤は小さく微笑みながら、ゆっくりと口を開いた。






「……オレ……家に帰って来たの、半年ぶりなんだな……」
「…うん、そうだね」
「そっかぁ…」







久しぶりに自分のベッドで横になっている進藤は、薄く目を開けて自分の部屋の天井を見つめる。
久しぶりのベッド、久しぶりの自分の部屋、久しぶりに見る天井。
入院する半年前──この部屋で僕と暮らしていた頃のことが頭を過ぎったのか、進藤は静かにフッと笑った。


「……もうすぐ、この家に引っ越して……1年…経つな」
「……うん」
「なのにオレ……たくさん入院しちゃったから……結局…半年も一緒に……お前と住めなかった……」
「…………うん」
「仕事なんか休んでさ……もっとお前と…一緒にいればよかった……」
「そんなこと、出来ないくせに」


進藤の言葉に、僕は笑いながら返したはずだった。
なのに僕の声は何故か震えていて、今にも崩れてしまいそうだった。

おかしいな。彼の言う冗談を笑って返したはずだったのに。
なんで僕の声は、こんなにも崩れているのだろう。
なんで僕の目は、こんなにも震えているのだろう。


そんな僕を見上げ、進藤はゆっくりと瞬きをしながら静かに口を開く。



「まだ…お前としたいこと、一杯あった……」
「うん」
「お前の……塔矢先生からもらった……足つきの…碁盤で打ちたかった」
「うん」
「オレの……アイツと打った……あの碁盤でも…打ちたかった」
「碁ばっかりだな」
「へへ…オレとお前だから、仕方ないよ…」
「そうか」
「そうだよ」





涙が零れる。
絶対に泣かないって決めていたはずなのに。
やっぱり、涙が零れる。


碁を打ちたい、碁を打ちたい、って。
最後までキミは、碁ばっかりだ。


キミがそうだから、キミがそんなことばかり言うから、僕は泣いてしまうんだぞ。
キミのせいだ。
キミのせいだよ、進藤。



涙を零す僕を見上げながら、進藤は掠れた小さな声で言葉を続けた。






























「とーや…」


「オレがいなくなったら……この家……引き払って……」


「お前……もっと……いいところに住んで………」


「ちゃんと……好きな人……見つけて……」


「幸せになって……」












































































「……オレのこと……忘れて……いいからな……」
































































































「ふざけるな」







止めどもなく涙が零れ続け、震える僕の口から絞り出すようにして出された、たった一つの言葉。
昔、キミに向かってよく言った言葉。

瞳を閉じかけていたキミは、僕のその言葉に大きく瞳を開いて僕を見上げる。

僕は完全に崩れてしまっている声をなんとか振り絞りながら、キミに向かって言う。






些細な事でよくケンカをしていた、昔と同じように。
毎日毎日自分勝手なキミに愚痴を零していた頃と、同じように。
いつもと同じ口調で。

僕は、キミに言う。

















































「勝手なことばかり言って」

「いっつもキミはそうだ」

「僕はいつまで経っても、キミに振り回されっぱなしだ」







































本当に。
僕等は何も変わってない。変わってないよ。

僕等は出会った頃のままだ、進藤。





















だから、僕は。














































「忘れてなんかやらない」


「絶対に、絶対にキミのことは忘れない」


「一生覚えて、そして『あの世界』に僕もいつか行って……またキミを追いかけてやる」







「待っていろ」





















































僕等は出会った頃から変わらない。
僕がキミを追いかけて、キミも僕を追いかけて。
途切れることのない輪の上を、僕等はお互いを目指して走り続けているんだ。

だから大丈夫。
たとえ少しの間離ればなれになったとしても、僕はきっとまたキミを追いかける。
キミも僕を追いかける。


そして掴まえてみせる。




だから。






















































「……待ってる」


























































進藤は小さな声でそう言って、とても楽しそうな顔で微笑むと──そのままゆっくりと瞼を閉じた。
閉じられた瞼からスーッと頬を伝って、静かに涙が流れていった。










そのまま僕は、眠る進藤を抱きしめて目を閉じた。




























































僕等の家で。
二人で過ごした家で。



僕等はただ抱き合って、静かに静かに眠った。