02-4














「2時…か」

彼はベンチから立ち上がると、ウーッとうなりながら空に向かって伸びをした。
手をブラブラとさせながら、腰を回しながら僕の方を見る。

「お前、新幹線、何時ー?」
「…別に、切符は取ってない」
「あ、そーっ」

イテテ、といいながら腰に手をあててそった後に、フーっと大きな息をついて僕の前へと立った。

「近くにさ、社の行きつけの碁会所があるんだ。
 オレも、大阪来たばっかの日、1回連れてってもらったんだ。
 お前、まだ時間あるんなら行かねえ?」



その後、彼に連れられてその社の行きつけという碁会所に入った。
全国、碁会所というのはどこも同じようなものだ。
ここも例にもれず、年配の方たちが煙草を銜えながら盤面をしかめっ面で睨んでいたり、
穏やかに対局者と世間話をしながら打っていたり。
時折聞こえてくる関西弁だけが、なんだか新鮮な気がした。

彼と盤を囲むのは随分久しぶりだ。
北斗杯前の恒例の合宿以来だから、20日ぶり近くになるのか。

「お願いします」
「…お願いします」


複雑な気持ちのまま盤に向かう。
何をしているんだ、僕は。いろいろと聞きたいことがあったんじゃないのか。
彼を、今絶対にここで捕まえておかなければならないんじゃないのか。
でも。でも嬉しい。
彼とまたこうして碁会所で、碁が打てるのがとても嬉しい。
そうして打っていくとわかる。

僕と彼の間には、言葉よりも。
言葉よりも、こうして石を並べて行くことの方がより気持ちが通じ合う気がする。

今。
今の彼の気持ちは。


「社がさあ」
「え」


パチリ、と一際小気味のいい音を立てて、彼が黒石を打った。
その音と彼の声で急速に意識が現実へと引き戻された。



「社がね、独立したじゃん。
 高校もちゃんと卒業したし、お父さんが認めてくれたんだって。
 棋士になること」
「…そう」
「良かったよな」

そういえば社が御両親に棋士になることを反対されていると聞いたことがあった。
どうやら社の御両親には、棋士が堅気の商売には見えないらしかった。
確かに、一般の企業の会社員とは少し勝手が違う。
何よりも己の実力しか頼るもののない世界だし、人気に任せたところもあるような商売だ。
決して不真面目な世界などではない。厳しい辛い世界だ。
でも、それは囲碁を打たない者にとっては、なかなか理解しがたいのかもしれないのも事実だった。

社がそれに随分苦労していて、「なんとか短期間で自分の実力を親に示したる」
と息巻いていたのを何度か目にしたことがあった。
大変だなとは思ってはいたが、僕にはよくわからなかった。
大体僕は親が親だというのもあったし、逆に社のように囲碁以外の世界に特にしがらみはなかったからだ。

そういえば進藤の御両親は。
あまり詳しくは聞いた事はないが、進藤の御両親も囲碁とは何ら無縁の普通の方たちだという。
彼のお祖父さんが囲碁には詳しいようだったが、それもあくまでも素人レベル。
進藤は、御両親に反対されたり心配されたりすることはなかったのだろうか。


「キミの御両親は」
「え?」
「キミの御両親は、キミがこうして棋士になったことには、何も言われなかったのか?」


ああ、と彼は盤面を見つめたまま、側にあったお茶を一口飲んだ。


「うーん。まあなんか色々言われたような気はするけど。別に親は関係ないし。
 最後には納得したみたいだし。今さらガタガタ言われてもなあ」
「そんな、関係ないだなんて。心配していたぞ」
「は?」
「キミのお母さん。キミが地方に行くって出て行ったきり、連絡も寄越さないって」



彼の表情が変わる。
そうなってから、僕は初めて自分の失言に気がついたのだ。