|
02-9
「シキキンってなあに?」
「キョウエキヒ?」
「へーべーってさ、つまりどれくらいの広さのこと?」
「ゴミの日? え、ペットボトルって燃えないゴミの日じゃダメなの!?」
「ユニットってなあに? ええっ! お風呂とトイレが一緒ってどういう意味!?」
信じられない光景が目の前で繰り広げられいた。
いくらなんでも僕もここまでとは思わなかったのだ。
よくも、よくもまあ。
こんなヤツが何であと1勝で碁聖の挑戦者なんだ。
何でこんなヤツが連勝賞と最多対局賞を取ったりするんだ。
何でこんなヤツが僕との対局を「龍虎相討つ!」と大きく見出しのついた週刊碁で僕が龍ならばコイツが虎だ、なんて大層な例えをされるんだ。
コイツのどこが虎だ。
コイツは猫で十分だ!
いや、猫なんて上等なものじゃない。
鼠だ! いやハムスターで十分だ!
何でハムスターが一人で暮らそうなどと考えるんだ。
本当にハムスター並の常識しか持ち合わせていないじゃないか。
…頭が痛い。
横で思わず頭を抱える。
不動産屋のおじいさんは、ニコニコとしたままハムスター(進藤)の質問に丁寧に答えて、我侭なハムスターの言う物件を次々と探してくれる。
ハムスターには檻とひまわりの種で十分です、とか言ってやれ! おじいさん!
「あっ!コレコレ!
これいいなあ〜! 棋院から電車+徒歩で20分!
駅からも近いじゃん。コンビニある?
本屋さんとか、マックとか、病院とか、スーパーとか、みんな近くにあるよ!」
「つい先月空き部屋が出来てね。
最上階・南向きの角部屋だよ。周りの環境も住宅街で静かだしね。
プロ棋士さんにはうってつけの部屋だと思うよ」
わー絶対これがいい〜!とハムスターはハシャぐ。
あり得ない。絶対にあり得ない。
そもそもあんなドッキリみたいな電話で御両親が納得すると思っているのか。
そろそろ目を覚まさせた方がいいだろうか。
早くこのハムスターを家に返さなければ、御両親も気が気ではないだろう。
「あのな進藤」
「2LDKってどういう意味?」
「このLDKっていうのはリビング・ダイニング・キッチンということ。
要するに、居間とダイニングキッチンが一緒になっている広い部屋のことだね。
その部屋の他に、この8畳の部屋が二つある、ということだよ」
「へ〜!」
…いい部屋じゃないか。バス・トイレも別だし。
オートロックだし、セキュリティもしっかりしてそうだ。
家賃は…月15万共益費込みか。この広さと交通の便を考えれば妥当なところだろう。
進藤の収入なら…まあ、借りれない事はないだろう。
…いや。違う。何を言っているんだ僕は。
「おい進」
「でもこんなに広くなくてもいーなー」
「何でだい。ちょうどいいじゃない」
「でもさー、こんな他に2部屋もいらないよ」
「だって、たとえばこちらがキミの部屋。で、こっちがそっちのお兄さんの部屋。
ルームシェアにはぴったりだと思うけどねえ」
……。
ん?
「ルームシェアって何?」
「え? 一緒に暮らすんだろ、キミたち。それで一緒に来てるんじゃないのかい?」
………一緒?
暮らす? 誰が? 誰と?
「ちょ、違」
「あー!そっかー!!」
ハムスターが大きな目をさらに見開いてくるりと僕の方を向いた。
「そっかー!
お前と一緒に住めば良かったんじゃん!」
「ちょ、何」
「だってさ、そしたらウチのお母さんだって絶対いいよって言うもん。
それにさあ、お前んち、どうせ塔矢先生今ほとんど韓国か台湾じゃん。
お前一人暮らしも同然だろ?
だったらお前も家出ちゃえよ!」
「ちょ、だから」
「そしたらさあ、家賃も半分こ、家事も半分こ出来るじゃん!
それに! お前家にいたらさあ、好きな時に時間とか気にしないでいつでも打てるじゃん!
それってチョー嬉しい!!
あ〜〜〜、もう何でもっと早く気付かなかったんだろ〜〜!
もー!
ありがとう! おじいさん!
じゃあここにするね!
明日さあ、その何?手続きとかの書類とかハンコとか持ってくればいいんでしょ?
じゃあ塔矢、明日また来なきゃいけないからさ、忘れずに色々持ってこいよ!」
ニコニコとハムスターは不動産屋のおじいさんと握手をかわすと、明日が楽しみだな〜お前も一応塔矢先生に連絡いれとけよな、じゃまた明日な〜と手をブンブンと振って帰っていった。
完全に脳がフリーズどころかショートしてしまい、動けなくなってしまった僕をそこに残して。
その後。
進藤はお母さんと(彼が言うには)冷静な話し合いをして(おそらく強引に)了承を得たらしかった。
決め台詞は「塔矢と一緒に住むからいいでしょ」だったらしい。
僕の家はというと、元々両親がほとんど家におらずもう親離れしてしまっているも同然だったので、僕が「家を出る」と言っても母は「あらそう、案外遅かったわねえ」
と返される始末だった。
ただ。
ただ「進藤と住むことになった」と両親に告げると、「あらまあ、進藤さん家に電話しなくっちゃ♪」と母は何故かひどく喜んだ。
進藤が元々母に気に入られていたせいもあったかもしれない。
父は「彼と打つのはお前にも彼にも良い勉強になるだろう」と言った。
「でも、進藤君はお前といて平気なのか?」とも言われた。
僕はよく意味がわからず「彼の方から(強引に)言い出したのですから、平気なのでしょう」と答えた。
父はなんとなく心配そうな顔をしていたが、「私がこちらに戻っている時は二人で来なさい」と言って納得してくれた。
その後はもう、普段の彼からは考えられないようなスピードと行動力で、あっという間に引っ越しは完了した。
進藤は早速友達に言いふらし、彼の周囲の人間は相当驚いたのか棋院ではしばらくの間ちょっとしたトピックスのようになっていた。
和谷四段には前にも増して僕は睨まれるようになり、緒方さんには「ついに同棲か」
などと訳のわからないことを言われ、桑原本因坊には「お主もようやるのぉ」などと同じく訳のわからないことを言われ、倉田さんにはちょっと心配そうな顔をされた後に「ま、お前らがそー決めたならいーんじゃない?」と言われた。
そういえば、引っ越しが終わってから3日程たって進藤が「あ!」と大きな声をあげ慌ててどこかへ電話をしていた。
社らしかった。結構長いこと話し込んでいるようだった。
それはそうだろう。社にはあれだけ迷惑も心配もかけたのだから。
その後、社から僕宛に「何やねんお前ら!」という件名でメールが来た。
「進藤のことよろしくな」と書いてあった。
周りが何を言おうとも。それでも。
それでも進藤はとにかく毎日ニコニコとしていたので、とりあえずいいか、とその時の僕は思った。
いろいろとこの先あるだろうな、とは思ったが、進藤が側にいる。
もう、黙って僕の側から消えたりせずに、僕と一緒にいてくれる。
もう、あの時の2週間のような思いはしなくともいいのだ。
その時の僕は、それだけで十分幸せだった。
今、思い返してみても。
この時の思い出が、一番色鮮やかに今も僕の胸の中に残っている。
to be continued
|