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03-3.5
「ジントニック」
「……そろそろ止めた方がいいんじゃないのか」
そう言いながら「ロック、ダブル」とか言っている緒方さんの声が聞こえる。
あれ? 隣に座っていませんでしたか、緒方さん。
何だか声がすごく遠くに聞こえますよ。
いつの間にそんなに遠くに座ってらしたんですか。
早く。
早くこちらに戻って来て下さいよ。
言いたい事はまだまだそれこそ山のようにあるんです。
緒方さん。
聞いて下さいよ。
「とりあえずわかったよ」
何がわかったんですか。そんな投げやりな!
僕はまだ何も言っていません。何も。
どれだけ僕が色々と我慢してきたと思っているんですか!
聞いてますか、緒方さん。
「いや、君の気持ちは知っているよ。
それこそ昔からね」
何がですか。気持ちってなんですか。
昔からって何ですか。それっていつからなんですか。
僕だって良く分かっていないのに。
「いつから? そうだな。
キミもヤツも小学生だったからな。6、7年前になるのか」
時が経つのは早いモンだ、ですって!?
何親父くさいこと言ってるんですか!
ああ、でも緒方さんはもう親父か。そんなお年ですよね。ハハハ。
僕? 僕はまだ18ですよ。彼も18です。
そういえば緒方さんは結婚とかされないんですかそろそろいい加減に。
芦原さんは、今付き合っている彼女と結婚するって約束したそうですよ。一昨日。
でも多分年内に別れると思いますけどね。ハハハ。
………。
………結婚か……。
日本て、日本て18歳で結婚出来るんでしたっけ。
ああ、もう自分の意志で出来るんですね。
……そうか……
僕? 僕はまだ結婚なんかしません。
僕には囲碁さえあればいいんです。そう、囲碁さえあれば。
囲碁馬鹿? 何とでも言えばいいですよ。そうです、僕は囲碁馬鹿ですよ。
囲碁が、囲碁が。
囲碁が。
囲碁があったから、彼と。
彼と出会えて。
出会ってしまったんだ。
囲碁のせいで。彼と。
ああもう聞いて下さいよ緒方さん。
彼は酷いんですよ、本当に。何が酷いって、それはもう私生活ですよ。私生活。
あそこまでだらしないヤツだとは思わなかったんです。
出したものは出しっぱなし。
食べたものは食べっぱなし。
脱いだものは脱ぎっぱなし。
打ったものは打ちっぱなし。
パナシなんですよ、パナシ。何でもパナシ。
それはもうお母さんが心配して当然ですよね。本当にだらしないんです。
囲碁を打っている時はもっともっと駄目で。
本当に何もしないんですよ。
寝ることもしないし、食事もしない。
彼の方がよっぽど囲碁馬鹿ですよ。
本当に。正真正銘、皆さん、あれが囲碁馬鹿です! と声を荒げて学会で発表してもいい!
本当に馬鹿なんです。
食事を作っても残す。最近夏バテなのか特に食べないんです。
先々週もそれで風邪を引いたんですよ。体調崩して。
まあ主な原因は、風呂から出て濡れたままの髪の毛で裸で…あ、裸っていうのは語弊がありますね。パ…パンツ1枚で。
その、ウロウロしてて。
そんな細い身体、見せびらかせて何が楽しいんだ! 怒りましたよ、僕は。
そしたら、案の定風邪を引いて。
本当に、一度機会があったら彼の頭を開いて中を覗いてみたいものですよ。
たぶん、たぶんないですよ。
「学習能力」っていう言葉と「自己管理」っていう言葉が。
本当に馬鹿なんです。
「マルガリータ」
「ロック、ダブル」
ろっく、ろっくだぶるじゃないです緒方さん。
聞いてらっしゃいますか。
「確かにアイツは馬鹿だな」
そう、馬鹿なんです。わかるでしょ。
「君という人がいながら別の女と」
別。別の女…
いや…ちがう…ちがうんです緒方さん…
彼女、僕知ってるんです。たぶん。
名前は存じ上げてないんですけど、たしか何度か僕会ってるんです。
たしか、彼と同じ中学にいて…僕彼女に「あの馬鹿はどこにいますか」って聞いたことがあります。
いや、だから僕が何が言いたいのかというと、あの、彼女はそのなんというか。
彼とは、別に、そういうのではないのではないような。
そう! そうですよ!
あんな綺麗なお嬢さんが、あんな囲碁しか出来ない馬鹿と!
あんな馬鹿、相手にされるはずがない!
あんな馬鹿、相手に出来る人間なんてそうそういませんよ。
相手に出来るとしたら、ヤツと同じくらい囲碁が好きな馬鹿くらいなモンです。
「それが、君か」
僕? 僕が何ですって?
…え? 僕…が彼…を…?……聞こえない…です。
なんだか頭がぼーっと…。
酔う? 酔ってなんかいませんよ。だって僕緒方さんと違って18歳ですよ。18歳。
酒に酔うわけないじゃないですか。
だってお酒飲めない歳だもの。何言ってるんですか緒方さん。
……バカ? 酒飲むと意外とバカ?
誰のこと言ってるんですか緒方さん。芦原さんのことですか。あの人はバカですよ。
酒飲んでなくても。
馬鹿…
アイツは馬鹿なんですよ。あの馬鹿、本当に本当に世話が焼けて仕方ないんです。
あんな馬鹿、見た事ない。
あんな馬鹿の相手が出来るのは、本当に、本当に一人しかいないんです。
僕?
僕は違います。僕は違いますよ。 僕は。
多分。
多分、それが誰なのか。彼の相手がつとまるのは誰なのか。
僕は分かっているんです。
彼も分かっているんです。
それ……? それは……彼の……中…の……。
………。
悔しい……。
僕じゃないのが悔しい……。
囲碁を打つのも、彼の前で涙して慰められるのも。
何で僕じゃないんだろう。
くやしい……くやしいです、おがたさん………
「お客さま、ラストオーダーになりますが」
「オレはロック、ダブルで。
アキラくんはどうする?」
「……カ…カカオフィズ」
カカオフィズか、と言って緒方さんが笑う。
「カクテル言葉ってのを知ってるか?」
「……知…りません……」
知らないで頼むとは呆れたものだな。
そう言って緒方さんから煙草の煙りがあがるのをボーッとした頭でぼんやりとしながら見つめていた。
「今度飲みに行く時までに、カカオフィズの意味くらい覚えておくんだな」
頭の遠くの方で緒方さんの声が響いていた。
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