03-3











世間は今夏休みというヤツで、毎日暑い日が続いている。
今日も変わらず30度を超える真夏日だ。

いつもよりさらに早く対局を終えたオレは、すでに棋院を出て目的地へと向かっていた。

道すがら夏休み中の子供たちとすれ違う。
院生だろうか、時々頭を下げられたりした。

暑い日ざしをものともせず走って行く子供たち。
ああ、いいなあ。オレも昔はあんなだったかなあ。





夏休み。
懐かしい日々を思い出す。
毎日毎日が、今思い出すと本当にキラキラしていたような気がする。

あれは夏休みだったか。うん、そうだ。毎日朝から晩まで打っていたんだから。
アイツ、オレが暑くて行きたくないって言っても、行こう行こうって(触れないくせに)引っ張っていかれたよな。

楽しかった。


今はもう、思い出しても涙するようなことはない。
思い出したとしても、ふと心の奥底の柔らかいところが、とてもあたたかい何かに包まれたような幸せな気持ちになるくらいだった。
その度に、自分には他の人にはないようなこんなに楽しくて優しくて美しいキラキラした思い出があるのだ、と誇らしくなったりもした。


そんなことを考えているうちに目的地が見えてくる。



わざわざ市ヶ谷まで出てくることないのに。律儀なヤツ。
ああ、でもアイツ夏休みか。バイトが忙しいとか言ってなかったか。
こうして1対1で会うのはいつ以来だろうか。
北斗杯が始まる前だったかもしれない。あと、引っ越し前にばったり会って話した程度か。
そういえば、ケータイにアイツから今までも結構メール来てたのに、返事もろくに書いていなかったな。
ケータイでメールを打つのはあまり好きじゃない。


アイツはよく昔からケータイを持っていないオレにイライラしていて、買え買えとうるさかった。
でもどうせオレはメールとかきっと面倒で打たないだろうし、電話も家の電話で十分だったから特に必要ないと思っていたのだ。



でも。
その後、塔矢のヤツが、オレが黙って2週間程姿を消したのが余程腹立たしかったのか、引っ越した直後にケータイショップに連れて行かれて知らぬ間に買っていた。
何でもこのケータイは電話やメールだけでなくカメラやビデオや地図や、インターネットの機能までついているそうだ。
…まったく、自分で言うのもナンだけど宝の持ち腐れってヤツじゃないだろうか。

まあそれでも昔からオレにケータイを買えと言っていたアイツは、ついにオレが買った時にはとても喜んで、最初のうちは毎日のようにメールが届いていた。
最近はアイツも忙しくなったのか(それか飽きたのか)少なくなってきていたのだけれど、さすがに久しぶりに届いた昨日のメールは驚いた。


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 宛先:ヒカル
 件名:たすけて

─────────



しかも届いた時間が深夜の2時。
何ごとかと思って慌てて電話をかけると、アイツは泣いていて「相談したいことがあるから会いたい」と言われたのだ。
オレはとにかくびっくりして、今すぐ行ってやろうか、と言ったのだけど明日でいいからと断わられた。

何だろうか。
何かあったのだろうか。不安になってくる。
大学もバイトもサークルも楽しいと言っていたし、何よりカレシとはとても順調のようだったのに。
つい昨日だって。そのカレシからノロケ話を聞かされたばかりだぞ、オレは。

そのカレシには相談できなくて、オレに相談したいこと。
何だろうか。

いや、何であっても。

出来るだけのことはしてやりたい。
オレがコイツに出来ることは、もうそんなにないだろうから。






駅前の喫茶店に入る。
ヒンヤリとした冷気がオレを包んだ。

遠くをぼんやりと見つめながら、道路側の席にアイツは座っていた。
オレが近付いて行くと、気配で気がついたのか顔を向ける。
大きな目に涙が溜まる。
おいおい、ノッケからかよ!

「………ヒカル」


泣くな! ハンカチ、ハンカチ持ってたかな。
泣くなよ。

昔から。
昔からお前が泣くと、オレまで泣きたくなるんだ。

だから、泣くなよ。








「あかり」









その時のオレは、とにかく目の前のコイツが泣くのを止めないと自分まで泣いてしまうかもという気持ちで手一杯で、外にまで目を向ける余裕はなかった。

ここは棋院のある市ヶ谷だということも忘れて、窓際の席であかりの涙を拭いていた。