03-5






まったく勘弁して欲しいぜ、と言いながら緒方先生は肩に担いだ塔矢をオレに預けてきた。
塔矢はぴくりとも動かず緒方先生にされるがままになっている。
具合でも悪くなってしまったのだろうか。
それで緒方先生に運ばれて来たとか。

「と、塔矢! だいじょ…… ウップ! さ、…酒クサッ!!」
「そりゃあまあ、あれだけ飲んだらな」

緒方先生はやれやれという感じで先程まで塔矢を担いでいた肩を疲れたように揉む仕種をした。
それにしても。

「飲んだ? 塔矢が? こんなに酔いつぶれちゃうまで?」

塔矢もオレもまだ未成年なので、指導碁の仕事やら後援会の付き合いやら仕事関連の宴会で酒を口にすることは当たり前だが許されていなかった。
そうはいっても、それはあくまでも仕事上の話で。
プライベートでは和谷や伊角さんや冴木さんたちとは食事も兼ねて時折居酒屋に行ったりしていたので、お酒はそれなりに飲んだ事はあった。
塔矢は、同世代仲間の飲み会などには誘われてもほとんど来る事はなかった。
だからオレは、「塔矢はやっぱり真面目だから、お酒は20歳を過ぎてから!」とか思ってんだろーなー、と勝手に思っていた。
でも実は。
実は塔矢のヤツも、塔矢門下内での宴会(新年会やら忘年会やら昇段祝いやら)ではそれなりに飲んでいたらしかった。(と緒方先生が以前言っていた)
でもやっぱりそこは、塔矢は塔矢なワケで。
こんなに酔いつぶれる程飲んだりはしない。
あくまでも「付き合い程度」「嗜む程度」だったはずだ。

それが、緒方先生と一緒だったとはいえ、一体何故。
ピクリとも動かない塔矢をオレはなんとか支えながら緒方先生に聞く。

「ど、どうしたの。
 何で塔矢、こんなに… 何かあったの?」
「何か、な。確かにあったな」
「えっ!? な、何?」

どうしたのだろう。何があったのだろう。
こんなにお酒を飲む(しかも塔矢が)なんて、何かとてつもなく嬉しいことがあったか嫌なことがあったかのどちらかだ。

オレの肩に顔をうずめたままの塔矢を覗き込んだ。
長い髪に隠れて表情が見えない。
そのサラサラとした髪がオレの頬をくすぐる。

カチッ。

音のした方を見る。
緒方先生が煙草に火をつけて、おもしろそうな顔をしてオレのことを見ていた。


「…何?」
「わからないって顔だな」
「…?」
「アキラくんに何があったのか。
 何で真面目なアキラくんが、こんなに浴びる程酒を飲むに至ったか」

そんなの、わかるわけないじゃん。
そう呟くように言うと、緒方先生はフーッと煙草の煙りを吐き出した。


「今日、市ヶ谷駅の前の喫茶店にいなかったか」
「何で知ってんの、そんなこと」
「窓際の席で、泣いている女と一緒にいたら嫌でも目につくさ」


あ、とオレは塔矢を腕の中に抱え込んだまま、大きな声をあげてしまった。
それでも塔矢は気がつく気配はない。

そうか、それでか。
一瞬にしていろいろなことがわかってしまったような気がした。
今日あかりに呼び出されて、泣き出してしまったアイツをオレは必死に慰めていたのだ。
確かに事情を知らない他人から見れば、まるでオレとあかりが恋人同士で、別れ話をして泣き出している彼女と必死に弁解している男に見えても何らおかしくないだろう。
『事情を知らない他人』の塔矢はオレとあかりを見て面喰らったってワケか。

「バカだなあ、塔矢」
「単純な嫉妬だ。カワイイヤツだろう」
「……そうだね」

単なるヤキモチじゃん。変なの、塔矢。オレなんかにヤキモチ焼くなよ。
オレはおかしくなって、笑いながら塔矢の頭をポンポン、と子供をあやすようにたたいた。

「少しは話してやったらどうだ」
「何を」
「お前自身のこと」

緒方先生は横を向いて再び煙草の煙りを吐き出した。

「アキラくんがそんな風に誤解してしまうのは、彼がお前のことをよく知らないからだ」
「…そんなこと、そんなこと言ったらオレだってよく知らないよ、塔矢のこと。
 オレは、オレは言ってるよ。今日あったこととか。楽しかった事とか。
 でも塔矢はオレにはそーゆーの、何も言ってくれないし」
「アキラくんが知りたいのは、そういう事ではない」

緒方先生はそう言うと携帯の灰皿をだして煙草を押しつぶした。
塔矢は相変わらずオレの腕の中で、ぴくりとも動かない。

「アキラくんが知りたいのは、今日あったこととか、そういう事ではない。
 もっと本当のお前を知りたいんだ」
「本当のオレ」
「お前にもっと近付きたい。
 でも本当のお前をよく知らないから、どう近付いたらいいのかわからないんだ」

不器用だからな、アキラくんは。
緒方先生はそう言いながらまた胸ポケットから新しい煙草を取り出して火をつけた。

「まあでも、オレには関係のないことだ。
 そもそもオレ自身が他人とそういう関係を持つのは好きではないしな」
「…何で?」
「下手に近付いて、他人の気持ちまで背負い込むなんて面倒でかなわん」

オレは思わずおかしくなって、吹き出してしまった。

「何言ってんの、緒方さん。
 こんだけひとに説教しておいてさー」
「説教ではない。アキラくんの気持ちを代弁したまでだ。
 アキラくんはオレと違って真面目だからな」
「そうだね。オレとも違うよ」

まったくだ。そう言って緒方先生は笑った。

「緒方さんは、オレと似てるよ」
「何が」
「オレも、人の気持ちを背負い込むことなんて出来ない。
 もう、出来ないよ」
「……」
「今でオレはもう一杯一杯なんだ。もういらない」
 
オレをもっと知りたいって塔矢の気持ちはわかるけど。
でもそんなの知らなくたって、オレ達は上手くやってるじゃんか。

いいライバル。同じ目標に向かってお互いを高めあっていける関係。
友達以上の関係。恋人同士よりも、ずっとずっと深い関係だと思う。
だってそんなことが出来るのは、今のオレにはお前しかいないもの。
お前にとっても、オレしかいないだろう。
囲碁が打てる。高めあっていける。
時々、囲碁以外の話もして。楽しいこととか。今日あったこととか。
それで十分じゃないか。

それ以外の気持ちなんて、オレはいらない。


オレがそう言うと緒方先生しばらく黙ってから、静かに煙りを吐き出した。


「……オレとお前は似てなどいないよ」
「そうかな?」
「オレは」








「お前ほど残酷にはなれん」










オレも決してろくな人間ではないがな。
そう言いながら緒方先生は帰っていった。
しばらくすると、タクシーの走り去っていく音が聞こえた。
オレは玄関を閉め、動かない塔矢を一生懸命リビングの方へ引きずっていく。

















残酷か。
















オレって残酷なのかな。
よくわからない。

だから昔、アイツのことも失ってしまったのだろうか。









どうして?











オレはただ。
オレはただ、碁が打ちたいんだ。

リビングのソファーテーブルが見える。
さっきまで石を並べていた碁盤が見えた。

あの碁盤の向こう側にお前がいる。こちら側に、オレがいる。
そして、オレとお前で綺麗な綺麗な棋譜を作りあげていく。

オレを『あの世界』に連れていってくれるのは、今のオレにはお前しかいないんだ。


いいライバル。
同じ目標に向かってお互いを高めあっていける関係。
友達以上の関係。
恋人同士よりも、ずっとずっと深い関係。

それで十分じゃないか。

それ以外の気持ちなんて、オレはいらない。





オレはただ、お前と一緒に碁が打ちたいだけなのに。







ねえ、塔矢。

聞いてる?









返事をしてよ。

塔矢。