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05-10
「僕の犯してしまったことは罪だ。
キミを酷く傷つけた。
でもキミはそれを隠した。僕の罪を。
そしてなかったことにしようとした。
僕の罪も。僕のキミに対する想いも。何もかも。
それは、僕自身を消してしまうのと、同じことだ」
「──…消し……て………?」
「キミは、僕のことを消そうとしたんだ。
囲碁のために。囲碁だけのために」
「────」
「許せない」
塔矢が低く暗い声で呟く。
膝の上で組まれた手は、怒りで震える程力強く握り込まれていた。
「せめて。せめてキミが少しでも僕のことを──
僕の気持ちを想っていてくれるのなら……
殴って、罵ってくれればよかったんだ。
僕のことを、めちゃくちゃに気の済むまで殴って怒ってくれれば良かった」
「……──…」
「何もかもを消されてしまうくらいなら、恨まれて憎まれた方がよっぽどマシだ。
そうすれば、僕は──
僕はキミの中から消えてしまわずに済んだのかもしれないのに」
塔矢の左手の爪が、右手の甲に突き刺さるのが見えた。
あまりにも強く握り込まれた手の爪が、肉を突き破っていく。
赤い血が静かに流れ落ちる。
「でも」
「でも一番許せないのは僕だ」
ポタリ、と音をたてて血が一滴床に落ちた。
塔矢の真っ赤で綺麗な血が。
でもこの赤は、怒りの赤だ。
塔矢の身体に怒りが納まりきれなくて、血となって外に飛び出てきてしまったんだ。
オレと。
自分への怒りで。
「僕は一番大切な人を、僕は気が付かないうちに深く深く傷つけていたんだ」
塔矢──
オレ──……
声が、声がでない。
塔矢。
「消されてしまって当然だ」
オレが、消し……て…?
「そして僕はキミから消えてしまって初めて気付くんだ」
「僕が、どれだけキミのことが好きだったかということを」
塔矢は握り込んでいた手をほどくと、血を流したまま静かに立ち上がった。
そして声も出せず、動けずにいるオレに向かって言った。
「…これで……。
これで、キミの望み通り何もなかったことにしよう。
僕の気持ちも、キミの気持ちも。
何もかも消してしまおう
何も──何もなかったんだ」
塔矢はゆっくりと、でもしっかりとした足取りで自分の部屋へ向かった。
部屋の扉を開け、閉める直前に塔矢の小さな声が聞こえた。
「すまなかった」
パタン、と静かな音を立てて扉が閉まった。
塔矢が消えてしまった。
また。
また、オレの前から。
まただ。まただよ。
またオレは失ってしまった。何もかも。
身体中の力が入らなくなったオレはずるずると音を立ててドスン、とソファーから床へ落ちた。
痛みも感じない。
何回。
何回同じ過ちをくり返せば、オレは気がすむのだろう。
またオレは自分で自分の大切な人を深く傷つけて消してしまったんだ。
オレには行きたい場所があるんだ。
『あの世界』にオレは行かなくちゃいけないんだ。
だって『あの世界』に行けば、『あの世界』はオレのすべてを消してくれるんだ。
オレの心も。オレの身体も。汚いオレの何もかもを消すことができるんだ。
そこに行けてオレは初めて赦されるんだ。
早く、早く行かなくちゃいけないのに。
もうイヤなんだ。
オレのせいで大切な誰かが消えていってしまうのはもうイヤなんだよ。
だったらオレが消えてしまえばいい。
一刻も早く。
でも塔矢じゃないと『あの世界』にオレを連れていくことは出来ないんだ。
なのにオレは今自分の手で自分の大切な人を消してしまった。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
どうしよう、塔矢。
返事をしてよ。
誰か、答えて。
ひとりにしないで。
誰か──
オレはその後、そのまま一晩中誰もいない暗い部屋の中で呼び続けていた。
答えてくれる誰かを探して、ずっと声にならない声で叫び続けていた。
そして叫ぶ声も枯れた頃。
一晩中降り続けていた雨が止んでいた。
綺麗な朝日が誰もいない部屋に差し込んで来て、オレはヨロヨロと立ち上がった。
出しっ放しだった碁石を碁笥に戻すと、オレはそのままフラフラとしながら誰もいないこの部屋を出た。
呼び掛けても、呼び掛けても誰の返事もしない部屋になんて居たくなかった。
……アイツは。
アイツは碁盤の中で、ずっとこんな気持ちだったんだ。
1000年も長い間、こんな気持ちだったんだ。
自分の犯した罪が赦されず、ずっと碁盤の中に閉じ込められていた。
呼び掛けても呼び掛けても誰も答えてはくれなかった。
そして漸く答えた相手がオレで。
再びオレの中に閉じ込められて消されてしまったのだ。
なあ。
消える時、どんな気持ちだった?
悲しかった?
お願い。
誰か、オレを消して。
to be continued
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