目が覚めた。
























































……ここはどこだろう。








明るい。白い。








薄い明かりが見える。








朝? 昼? 夜?








………わからない。







ゆらゆら。さらさら。







気持ちいい。







ずっとここにいたいな……………







だってここはオレの行きたい『あの世界』に、よく似てる。
























































会いたい。




































innocent world


act.06











































「漸く起きたか」

緒方さんは、部屋から出て来たオレの顔をチラリと見ると呆れたようにそう言って、再びパソコンの方へと向き直した。
青白い画面に棋譜のようなものが映っているのが見える。

そういえば最近では、多くの人がパソコンで棋譜整理をしたり管理をしたりするのだと聞いたことがあった。
前に緒方さんと塔矢にオレが棋譜ならどんなものでも簡単に覚えられると言った時に、緒方さんが「たいした特技だ」と笑いながら「お前はパソコンいらずだな」とか言ってたっけ。



パソコンなんてここ何年かの間、全く使っていない。
オレが今までパソコンを使ったのは、……あの夏のネット碁と塔矢先生との対局の時だけだった。

だからオレは、未だに棋譜を書く時も手書きだ。
今やっている秀策全集の仕事で手書きの原稿を出版部に持っていくと、天野さんは 
「進藤くんの字は個性的だから校正が大変なんだよなあ」と苦笑いをする。
字が汚いなら汚いって言えばいいのに。




……そんなことはどうでもよくて。




「……おがた…さん?」
「何だ」
「……あの」
「お茶なら勝手に飲め。冷蔵庫に何かしら入っているだろう。
 シャワーを使いたいならそこを出て右だ。タオルもある。勝手にやれ」


緒方さんはオレの方をまるで見ずに、パソコンの中でカチカチと石を動かしていく。


「……それ、何の棋譜」
「この前の三星火災杯の棋譜だ。塔矢先生の」
「塔矢先生の!?」

オレは思わず緒方さんのすぐ後ろまで駆け寄っていって、緒方さんの肩ごしに画面を食い入るように覗き込んだ。

ああ、確かに。
確かに先生の棋譜だ。

力強くて、淀みない。
大河のように穏やかで、そして時に激しい。
美しい。


……よく似てるんだ。




塔矢と。





「見たいか」

緒方さんは振り返ってオレの顔を見ると、ニヤリと笑って煙草を1本取り出し火をつけた。
オレは当然見たくて、コクコクと頷いた。

「見たい! それよか並べたい」

緒方さんはフン、と言って煙草の煙りを吐き出した。



「とりあえず先にシャワーを浴びてこい。そのボサボサの頭をなんとかしろ。
 それからベッドを片付けろ。12時間も貸してやったんだからな、当然だ。
 その次に飯を食え。ウチには材料はない。買ってくるなり出前をとるなり好きにしろ。
 それでその酷い顔色をなんとかするんだな。見るに耐えん。
 棋譜を並べるのはそれらをすべてやった後だ。その時にオレの気が向いたら付きやってやる」




緒方さんは一気にそう言うと再びクルリと椅子を回転させてオレに背を向けて、棋譜整理を始めた。







……そういえば。











「……あの」
「何だ」
「…クイズ…出してもいい?」
「……」

緒方さんは何も言わず、パソコンの画面を見たまま再びフーッと煙草の煙りを吐き出す。
年季の差かな。やっぱり和谷より緒方さんの方が煙草の煙りを吐き出すの、上手いや。




「第1問……今は…何月何日…の何時…でしょう」
「9月21日18時32分28秒」
「………。
 第2問……オレ…今日の仕事は……」
「対局じゃなかったのがせめてもの救いだな。
 まあ、雑誌の出版社やら広告代理店やらお前の管理事務所からやらの電話対応で、棋院はカンカンだろうがな」
「…………………。
 第…3問……オレ……何で……緒方さんちに……いるのかな……」






第3問目になって、再び緒方さんは椅子を回転させてオレの方を見た。

「いいか、オレは野良猫の相手を延々とやっていられる程ヒマじゃないんだ。
 さっきオレが言ったことを早くやれ。やらないなら帰れ。邪魔だ。
 きちんとオレの言うことを聞いたら、褒美に何でお前がココにいるのか教えてやる」

緒方さんはいつもの静かで抑揚のない低い声でそう捲し立てると、再びパソコンに向き直り、煙草を灰皿に押し付けた。
着替えは脱衣所に新しいのが置いてあるから勝手に使え、とパソコン画面を見つめたまま小さな声で緒方さんがそう言うのが聞こえた。











野良猫か。
オレのことかな。

居場所も、帰る場所も、迎えてくれる人も、抱きしめてくれる人も、抱きしめる人も、何も、何もない野良猫。




……生きている意味さえも。





ああ、オレに本当にぴったりだ。










そんなことを考えていたら、何だか可笑しくなってシャワーを浴びながら一人でクスクスと笑った。
上手いこと言うなあ、緒方さん。



緒方さんは気まぐれでつい野良猫を拾ってしまったのだろう。
オレなんか、野良猫なんか拾ったって、何もいいことなんてないのに。

バカだな、緒方さん。




緒方さんが大切にしているあの魚たち、食べちゃうぞ。