05-09







塔矢は目を大きく見開いてオレを見た。
ザアザアと強い雨の音が聞こえる。


オレは頭が真っ白で、自分の口が何を発しているのかわからなかった。

ただ、静かな室内で強い雨の音とオレのみっともなく震える声だけが響いていた。






「何も、何もなかったんだよ塔矢」
「──」
「はじめから、はじめからなにもなかったんだ」


「あの日は何もなかったんだよ。
 お前、緒方先生とすごく酔っぱらって帰って来て、
 でもすぐ寝ちゃったんだ。

 オレは知らない。何も。何も。

 何も聞いてない。何もしてない。何もされてない。

 大丈夫。大丈夫。

 今なら大丈夫だよ。

 何もなかったんだよ。

 大丈夫だよ。

 オレたちは、オレたちは何もない。

 元のオレたちに戻るだけだよ。囲碁を打つんだ。

 塔矢。

 塔矢。

 塔矢」






塔矢はオレをジッと見つめたまま動かなかった。
塔矢の瞳には、今オレがどんな風に映っているのだろうか。

きっと、醜くて滑稽な生き物に見えるだろう。

それでもいいんだ。

塔矢が一緒にいてくれるだけでいいんだ。




塔矢、時計の針を少し戻すだけだよ。
そうすればオレたちは元に戻れる。
また一緒に囲碁が打てるよ。今まで通りに。


塔矢。
















「キミは──」










そう呟くと、オレをジッと見つめたままだった塔矢は一瞬だけ視線を外して俯いた。
オレは塔矢の声にビクリと身体を震わせ、俯いた塔矢の顔を必死になって覗き込もうとした。
すると、塔矢はすぐに顔をあげてオレを見つめた。



優しく、美しい笑顔だった。



























塔矢は優しい目でオレを見つめ、にっこりと微笑み、オレに向かって一言だけ呟いたのだ。












































「残酷だな、キミは」











































『お前ほど残酷にはなれん』





























前に緒方先生にそう言われたのをぼんやりとした頭で思い出す。
そう、あの日。

塔矢がオレを抱いた日に、緒方先生にそう言われたのだ。
塔矢には一緒にいてほしい。でも気持ちはもういらない、と言った時に。










オレは、残酷だと。


























「──……ざん…こく?」



呆然とするオレに、塔矢は優しい笑顔のまま少し瞳を伏せて静かな優しい声で呟いた。
オレの大好きな声。


「ああ。残酷だ」
「……何で……?」



塔矢の言う意味がわからない。
何で残酷なの?

だって、だって何もなかったことにしてしまえば。
また囲碁が打てるんだよ。今まで通りに。何もなく。
オレたちはそれでいいじゃないか。

時計の針を少しだけ戻すだけなんだよ?
何で、何で残酷なの?




「わからないの?」
「……うん」



オレは首を傾げて塔矢を見つめた。塔矢はフ、と笑いながら息を漏らした。







「僕は今更なかったことになんで出来ないよ」
「……何で…?」

「キミがたとえ、僕のした行いを許すと言ったとしても。
 僕の罪は消えることはない」
「…ど……うして……?」


「そして僕のキミに対する想いも消えることはない」


「だって僕は」




「僕はキミのことが」






塔矢が真剣な瞳でオレのことを見つめる。
まるで、碁盤を見つめている時のような真剣な瞳。
そして、それはオレと対局している時にだけ向けられる瞳。

オレの大好きな瞳。








塔矢。


オレ。













しばらくして、突然塔矢はその真剣な瞳を閉じた。
目を閉じたまま少し俯いて眉間に皺を寄せ、何かの痛みに耐えているかのような表情だった。

オレは心配になって塔矢の顔を覗き込む。



「塔矢」
「キミは」



オレが声をかけると、塔矢は少しだけ目をあけてオレを静かに見つめたまま言った。






「キミは僕の気持ちなんて、どうだっていいんだな」
「……なん…で……?」

「キミは、僕の気持ちを知っていながら『なかったことにしよう』と言った」
「──」

「僕の犯した罪ごと、僕の気持ちまで消してしまおうとした」
「──」














「残酷だ」















塔矢が静かな声で低く呟く。































































「僕は、キミを許せない」