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05-08
外の雨の音が薄暗い部屋の中に響いていた。
昼間よりも雨脚は強くなったようだった。
「……なん……だって?」
立ち上がっている塔矢とは逆に、今度はオレがソファーに崩れ落ちるかのように座り込んでしまった。
今。
今、オレは何て言った?
「塔」
「いつのことだ」
「塔矢、あの」
「言え!!!」
塔矢の大きな怒鳴り声で身体が大きく震えた。
震えが咽にも伝わってしまい、上手く声が出ない。
「……1ヶ月前……の、碁聖戦の前に……
その、お前が酔っぱらって帰ってきて、それで」
「……まさか………、その…時に……?」
「でも! でもお前『覚えてない』って言ったから!
だからオレ」
「…………」
塔矢は微動だにしないまま、オレのことを見つめた。
オレも動くことが出来ず、何とか喋ろうとしても声が掠れ、舌が縺れてしまう。
重い沈黙がオレと塔矢の間に流れる。
しばらくして塔矢が沈黙を破るように低い静かな声で話始めた。
「でも、キミはそんなこと一言も言わなかった。
僕は酔っぱらってすぐ寝てしまったと」
「だって、だってお前」
「……嘘をついたのか」
「だって、オレ」
塔矢は、それまで真直ぐとオレを見つめていた視線を外し、ガクリとうなだれるようにして俯いてしまった。
塔矢の長い髪がサラサラと塔矢の顔を隠した。
オレは何と言ったらいいのかわからず、オレも同じように俯いた。
バカだ。バカだバカだバカだバカだ。オレはバカだ。
何であんなことを言ってしまったのだろう。
絶対に言うつもりなんてなかったのに。
塔矢が何も覚えていなくて、本当に良かったと思ったんだ。
もしも塔矢が本当のことを知ったら、アイツは真面目だからきっと傷付いてしまうと思った。
オレのことなんかを気にして。
オレのことなんかどうでもいいのに。
だから、塔矢がオレにしたことを忘れてしまえば…何もなかったことにしてしまえば、今まで通りの関係を保っていけると思った。
お互いが唯一の相手で。
お互いが一番近くて、大事で。
触れあわなくても、深い深いところで繋がっていられる。
囲碁を打っている限り、オレたちは。
そして塔矢と打つことで、一緒にいることで、オレはオレの目的の地『あの世界』へ行くことができるのだ。
『あの世界』にさえ行けば、今オレが塔矢に対して抱いているこのワケわからない気持ちもきっとおさまる。
消えてなくなる。
『あの世界』は、オレのすべてを消してくれる世界なのだから。
でも、塔矢が真実を知ってしまったら。
真面目な塔矢は、オレの身体や気持ちのことなんかを気にして、オレの傍からいなくなってしまうかもしれない。
そんなの絶対に嫌だ。だから絶対に言うつもりなんてなかったのに。
一緒にいて。一緒にいて。離れないで。オレから離れないで。
どうしよう。
塔矢がいなくなっちゃうよ。
どうしよう。どうしよう。
どうしたら、塔矢は一緒にいてくれる?
囲碁が、囲碁が打てればいいの?
オレ、ちゃんとまた囲碁打てるようになるから。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
オレの、オレの身体が必要なの?
だったらあげるよ。オレの身体なんていくらでもあげるよ。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
オレの、オレの何がほしいの?
あげる。なんでもあげるよ。空っぽのオレでよければ。
それでお前が傍にいてくれるのなら。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
だから離れないで。傍にいて。
一人にしないで。
また一人にしないで。
お願い。
「塔矢、オレ」
「…………最低だな、僕は」
塔矢は俯いたまま静かな声でそう呟くと、ソファーの上にガクリと力なく腰を落とした。
オレは何とか上手く自分の気持ちを伝えられないだろうかと、俯き表情の見えない塔矢の顔を必死に覗き込もうとして近付いた。
「僕は……」
「え?」
「僕は、酔った勢いにまかせてキミを困惑させてしまうようなことを言って、
さらに…さらに、身体までも……キミの心も身体も傷つけてしまった」
「ち、ちが」
「……それでキミの調子を完全に狂わせてしまった。
キミが僕の軽はずみな行動に悩んでいる間、僕は自分の犯してしまったことも
忘れて過ごしていたのか……」
嫌だ、嫌だ!
そんなこと言わないで塔矢!!
「……………僕は」
「塔」
「僕は、もうキミに──」
嫌だ!! 嫌だ!!!
離れないで!! 傍にいて!!
一人にしないで!!
また一人にしないで!!!
「なかったことに」
「──……え?」
「何もなかったことにしよう、塔矢」
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