05-07






「進藤」



塔矢が低い声でオレの名を呼んだ。
思わず身体がビクリと揺れる。

聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。




塔矢は碁盤に向けていた身体を少しずらしてオレの方へ向き、座りなおした。
塔矢がジッとオレの顔を見つめているのがわかる。
オレの身体は、金縛りにあったかのようにどこもかしこも動くことが出来なかった。




「これは1ヶ月前のキミと倉田さんの碁聖戦の棋譜だ。
 そして、すべてを殺したこの一手。
 これは今のキミが打った一手だ。わかるね」
「……」
「進藤」
「……」

ふう、と塔矢がため息をつく声が聞こえた。

聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。





耳を塞いでしまいた。いっそ、耳なんて聞こえなくなってしまえばいい。




「……仕事をもう少しセーブすることは出来ないのか?」
「……」
「手合い以外の仕事を少し抑えてみたらどうだ?
 もう少し、今の対局ペースに慣れるまで」
「……」
「キミも棋士だ。それもトップに立てる程の力を持った。
 自分の不調の原因くらいわかっているだろう?」





「進藤」











塔矢の静かな声。
低くて穏やかで、優しい声。





「進藤」





嫌だ!







「僕は」







言わないで!!








「塔矢は」
「……え」
「塔矢は、いらない?」
「何が……」







「囲碁の打てないオレなんて、もういらない?」









オレは顔を上げて、今日家に帰ってきて初めて塔矢の目を見た。
塔矢は困惑した顔でオレのことを見ていた。

……綺麗な目。

真直ぐにオレを射ぬいてしまう黒い瞳。


どこもかしこも薄汚れて欠陥だらけのオレとは大違いだ。

オレは猾くて浅ましいんだよ、塔矢。
いつか塔矢がオレから離れて行くことなんて、ずっと前から分かっていて、それでいて塔矢に近付いたのに。
なのにこうしてその時になった途端、怖がってなんとか引き止めようと考えている。



お願いだよ。塔矢。
今オレが聞いたことに、答えないで。



その先は言わないで。







言わないで。言わないで。言わないで。言わないで。言わないで。言わないで。
















言わないで!!!!





















「僕は」

「お前が!!」












塔矢は困惑したまま、突然大声を出したオレを見つめた。











「お前が、ワケわかんねぇこと言ったりするから!!
 オレは、オレも…っ…、わかんなくなっちまったんだよ!!」
「進藤、何を」
「だから、だから碁もわかんなくなっちまったんだ!!」






聞きたくない。塔矢の言うことなんて、聞きたくない!!
オレはその一心で頭に血が登ってしまい、訳がわからなくなっていた。

塔矢はオレの両肩を掴んで、自分の方へ向かせる。



「進藤、落ち着け!
 僕は別にキミの不調を怒っている訳じゃない! なんとかしたいだけなんだ」
「うるさい!!」


オレは塔矢の手を振りほどき、立ち上がった。
もう、自分が何を言っているのかわからなくなっていたのだ。
ただ、ただ本当に。

本当に塔矢にその先を言ってほしくなかっただけなんだ。




だから。





だからオレはあんなことを。














「なんとかしたい?
 不調の原因だって、お前が作ったようなモンじゃねえか!!」
「進」
「お前が!! お前が!!!
 オレにっ……オレに、あんなことするから!!!」
「……あんなこと?」




「オレのこと、お前が『好きだ』とか言って!!
 オレのこと、お前が抱いたりするから!!
 オレは、オレはお前のことが……っ、…………、

 ……オレは、オレはバカだから、どうしたらいいのか、
 お前にどうしてあげたらいいのか考えれば考える程、全然わからなくなって!!

 だからオレは」







オレはそこで言葉を一旦切って、塔矢の方を見た。
塔矢はいつの間にか立ち上がっていて、オレのことを大きく目を見開いたまま見つめていた。




















今までに見たことのない塔矢だった。






















そんな塔矢を見て、オレはようやく我に返り、自分が何を言ってしまったのかを理解したのだ。