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05-02
次の仕事まで、少し時間があった。
対局はもう終わった。
今棋院を出てしまうと、次の仕事先には随分早くついてしまう。
まだ2時間近くある。
空になった缶コーヒーのタブを指でビン、ビン、と弾く。
誰もいない廊下に耳障りな程その音は響いていた。
しばらくして、同じく早く対局の終わった倉田さんが出て来ていつもの口調で「お、進藤じゃん」と言って近付いて来た。
「一緒にメシ行こうぜ〜」と誘ってくれたのだが、とてもメシなど食う気にはなれなかった。
丁重に断ると、「なーんだ、777万円分奢らそうと思ったのにな〜」と言いながら帰っていった。
777万円か。
碁聖の獲得賞金だ。
さっき、時間潰しに行った本屋で週刊誌を買った。
普段はこんなものは買わないのだが、蛍光色で大きく彩ろられた見出しにひかれたのだ。
レジに週刊誌を差し出すと、それまで無愛想に客を捌いていた若い女性店員がオレの顔を見て「あ」と小さくはない声をあげた。
週刊誌を袋に入れながら、無遠慮にオレの顔をジロジロと見る。
オレの後ろに同じくレジに並んでいた女性の客も、店員の声に引っ張られるようにしてオレの顔を覗き込んでいた。
まったく。
オレは珍獣か?
……ま、外れてはいないか。
そんなことを考えていたら、なんとなくおかしくなって思わず自嘲的な笑みがこぼれた。
その後、「に、20円のお返しです」と何故か震える手で釣りを返された。
その釣りを受け取る時に、女性店員は音に例えるならガシっという感じでオレの手をとる。
オレはその勢いに驚いて、思わず目深にかぶっていた帽子が少しズレてしまった。
女性店員はマスカラでゴテゴテになった重たそうな睫をパチパチと瞬きさせ、うるうるとした瞳でオレをじっと見つめた後、こう叫んだ。
「ア、アタシこんなの全然気にしてませんから!! だっ、だからガンバってくださいね!」
広い書店中にその大声が響き渡る。
あまりの気迫に圧倒されて、思わずオレも「あ、ありがとう」と言って軽く手を握り返すとそそくさと書店を後にした。
オレが出ていったあとに、おそらくその女性店員だろう。「キャ〜ッ!」という悲鳴が聞こえてきた。
…まるで犯罪者みたいだ。
オレはズレてしまった帽子を再び深くかぶりなおすと、棋院へと急いだ。
こんな事は初めてではない。
もうこの一ヶ月で随分慣れた。
コンビニ行っても。洋服を買いに行っても。ブラブラとただ歩いているだけでも。
街行く人にふりかえられたり、ヒソヒソと何か囁かれていたり。失礼なヤツは、こっそりとケータイで写真を撮ってきたりする。
以前はおばあちゃんが主流だった「サインください」攻撃も、今ではオレと変わらない年齢の人たちが増えた。
ヤツラはおばあちゃんたちとは違って、パワーがあるので困る。
先週、和谷と渋谷に買い物に行った時に案の定そんなミーハーなヤツラに追っかけまわされて、逃げ回るのに一苦労だったのだ。
その後たまたま逃げ込んだデパートで和谷にデッカイ帽子を買わされ、「街歩く時はしばらくコレかぶってろ!」と怒鳴られた。
なんで。
なんでオレがこんな「ゲーノー人」みたいな目に合わなくちゃいけないんだ。
碁聖を取った後に、記者会見のようなものが開かれた。
オレはやっと塔矢抜きでも「週刊碁」の一面を飾れるなーなどと少しワクワクしていた。
それが大きな勘違いの元で。
最近の囲碁ブームだかなんだかで、囲碁界は以前に比べて格段に若い人口が増えた。
特に、小さな子供たちと若い女性たち。
子供たちは、「たくさんの敵と戦って勝ってレベルアップしていく」というような、テレビゲームをのような感覚で始めて、そのまま本格的に碁にのめり込んでいくらしい。
女性たちは、棋院の職員さんたちの話によると「塔矢先生のような若くて強くてカッコイイ人がお目当てなんでしょうねえ」とホクホクとした笑顔で答えられた。
塔矢は今、十段を持っている。
来週末から来月にかけて、いよいよアイツの目標としていた名人戦が始まる。
…若くて強くてカッコよい…。
確かにな。
若くて強いのは当然として。
どれだけオレが容姿に疎くても、こればっかりはわかる。
確かに塔矢はカッコイイ。
カッコイイ、というか綺麗だ。
昨年までキープしていたあのオカッパは今では少し伸び(本人曰く「忙しくて床屋に行けなかったら伸びてしまった」らしい)肩まで届くようなイイ感じの綺麗な長髪になっている。
もちろん塔矢以外のヤツがやればオカシなこと極まりないのだが、塔矢がやると恐ろしくしっくりとくるのは何故だろうか。
真直ぐで綺麗な黒髪。
少しつりあがった、切れ長で大きな黒い瞳。
細身で背が高く、オレとは違ってスーツも良く似合う。
それで若くて強い。
女性が群がらないワケがない。
塔矢が出た回の教育テレビの囲碁番組がかつてない視聴率(平均3%がなんと倍の6.8%だったとか)を叩き出したり、女性向けのファッション誌に『私の王子様』
なんて企画で6ページにわたりグラビア付きインタビューで掲載されたり。
以前のオレは、そんなカッコイイ塔矢のおこぼれのような感じで囲碁とは関係ない仕事が舞い込んだりしていた。
若くて強くてカッコイイ塔矢先生。
女性が群がる塔矢先生。
そんな塔矢が……
『僕は、ずっとずっとずっとキミの事が好きなのに』
思わず思い出してしまって、オレはブンブンと頭をふった。
少し大きい帽子がまたズレてしまい、かぶりなおす。
街の往来でそんなことをしていたためか、またふりかえられてしまった。
…くそ。悪かったな。オレだって考え事くらいあるんだ。
そう。
今まで塔矢のおこぼれだったオレが、何故だかこんな芸能人みたいな目にあっているのは。
週刊碁の一面を飾ったオレの写真は、翌日何故かテレビのワイドショーにも登場していた。
ワイドショーの中の、スポーツ新聞を紹介するコーナーなのだが、そこで画面一杯にオレのだらしない笑い顔が全国放送されてしまったのだ。
その後実家には一日中電話が鳴り響いたらしく、後日お母さんにはこっぴどく文句を言われた。
そんなお母さんは、オレが載った雑誌や新聞は切り取ってスクラップにしテレビはビデオに欠かさず撮っているぞ、と後でじいちゃんに聞いたのだが。
まあそんあなことがあってから、囲碁以外の仕事が爆発的に増えた。
ファッション誌、週刊誌、果てはビジネス雑誌に至るまで、様々なジャンルの雑誌からの取材。
女性向けのファッション誌に至っては、インタビューだけかと思ったら何故かちょっと胸元がはだけたような色々な種類の服を着せられて、信じられない量の写真を撮られたりした。
映画の試写会に来ませんかー?なんてチケットが何故か届いて、映画が好きだったオレは何も考えずに嬉しくて見に行ったら芸能人向けのプレミア試写会だったらしく、
ワイドショーのリポーターに囲まれてそれがまたテレビに出てしまったり。(後で塔矢に「何でそうキミは無防備なんだ」としこたま怒られた)
棋院には色んな芸能プロダクションだかなんだかの人たちが来て、名刺をン十枚と貰ったりもした。
棋院の頭の固いオジサンたち(坂巻さんを筆頭に)はさぞ嫌がるだろうな、怒られるだろうなとビクビクしながら謝りにいったのだが、逆にオジサンたちはオレを喜んで迎えいれ、坂巻さんなどは「この調子でがんばってくれよ!」と背中を叩かれもした。
それを聞いた塔矢が言った。
「要するに、僕もキミも広告塔にしたいんだよ」
まあ、囲碁普及も僕らの仕事の一貫だからね、と真面目な塔矢はオレを諭すように言った。
……ナルホドな。
でも、囲碁普及が目的なら、どうしてオレは囲碁を打っていないんだろう。
オレの写真なんかを見て楽しいんだろうか。
よく、わからない。
さすがに、囲碁以外のテレビの話は断った。
それまで受けていたら、本当に「芸能人」みたいになってしまう。
でも、どうしても、どうしてもお願いします! と頼み込まれ、断りきれなかったCMの仕事を1本だけやった。
カード会社のCMで、オレ自身がそのカードを使っていたせいもある。
そのCMは面白い趣向で、よくあるようなタレントが「このカードはここがスゴイ!」
と全面的にカードを押し出して宣伝するものではなく、カードの名前どころかそのカード自体も一切出さずに、オレがただ街をブラブラ歩いているところとか、メシを食っているところとか、車に乗っているところとか、それこそ棋譜を並べているところとか。
ドキュメンタリーのような映像で、オレのまさに日常風景を特に演出もせず撮っただけのようなものだった。
最後に、オレの声で一瞬だけカードの名前が読まれ、ロゴが画面に出るだけ。
これじゃあ、まるでオレのCMみたいじゃないか。
カワイイアイドルがやるのならともかく、何の変哲もないオレがただ棋譜を並べている映像にはさすがに不安になって、監督さんに「こんなので大丈夫なんですか?」と尋ねた。
すると、その監督はニヤリと笑って「キミはあんまり自分のことを知らないな」と言った。
「まあ、CMが放映された後にわかるよ」とも。
確かに。
確かに、そのCMが流れ出した直後、街を歩く人たちのオレを見る目は変わった。
今まで一部の人だったのが、老若男女問わずふりかえられるようになった。
先の和谷と行った買い物の件のように、追っかけられるようになったことも数少なくない。
お母さんが心配して電話をかけてきたのだが、あれは心配というよりも「お母さん、この前も町内会の○○さんに『お宅の息子さんって綺麗なのねー』なんて誉められちゃって〜」といったような息子に対する息子の自慢話に終始した。
そもそも綺麗って何だ。綺麗って。
ああ、映像のことだろうか。後で聞いた話だがあのCMを撮った監督さんは、国内では新進気鋭の有名映画監督らしかった。
そりゃそんなスゴイ人が撮れば、ただの棋譜並べも綺麗に見えるだろうよ。
幸いにもCMはかなり好評のようで、カード会社からお礼を言われた。
おかげで、オレのまわりはエライことになったけどな…。
なんで。
なんでかなあ。
なんでオレなんだろう。よくわからない。
塔矢ならわかる。確かにアイツは綺麗で強くて。
でも、オレは。
オレはあちこち傷だらけのポンコツで、こんなにも醜くて汚れているのに。
だって。
だってオレは欠陥品だから。
なんでみんなそれがわからないんだろう。
まあいいか。どうせすぐにボロが出るさ。
オレなんか。
ホラ。
棋院について、先程買った週刊誌をめくる。
大小とりどりの文字が楽しそうに踊る。
『人気囲碁棋士・進藤ヒカル五段(18)その実力の真相』
『タイトル獲得から下がる勝率』
『タレント活動にうつつをぬかし、本業は負け続き』
『囲碁関係者I氏の話
「進藤五段は確かに実力もあるしルックスもあの通りですから人気もありますけど、
入段の頃無断で3ヶ月休んだりと昔から素行に問題のある人でね。
今でも寝坊して不戦敗とか。囲碁をバカにしてるんですかねえ」』
文字が踊る横には、情けなく俯いたオレの顔が写っていた。
コレ、あのCMのワンカットじゃないか。よくもまあこんあピッタリの写真を見つけるもんだ。
I氏って誰だよ。
「ハハ」
笑っちゃうよ。
囲碁を。囲碁をバカにしてるって。
どうして?
オレには。
オレには囲碁しかないのに。
欠陥品のオレは囲碁でその隙間を無理矢理うめているようなモノなのに。
囲碁がなくなったら、オレはただの空っぽなのに。
どうして?
何で勝てなくなっちゃったんだろう。
わからない。
どうしよう。
オレには囲碁しかないのに。
どうしよう。
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