05-03









「『人気囲碁棋士・進藤ヒカル五段(18)その実力の真相』か」








すぐ後ろから声がして、オレは驚いて振り向く。

対局を終えた門脇さんがオレの肩から雑誌を覗き込むようにして読んでいた。






「ハハハ。上手いこと書くねえ。
 ま、オレならもっと上手く書くけどな」
「……なんて?」
「まずオレなら「美人」って入れるかな。
 『人気美人棋士・進藤ヒカル(18)の知りたい素顔』
 なんてな」
「……ハハ」



思わず乾いた笑いがこぼれる。
門脇さんなりに負け続けているオレを励まそうとしてくれているのだろう。
でも、今は気を使われることすら痛い。



碁聖を取ってからというものの、確かにこの雑誌の通りオレの勝率はガクンと落ちていた。
勝てなくなった。

理由はわからない。

この雑誌のように『タレント活動にうつつをぬかし』ていることは決してない。オレなりに。
囲碁の勉強は以前と変わらない時間だけしている。
むしろタレントのような活動によるストレスと、勝てないイライラもあって、ストレスを解消すべく空いた時間はすべて囲碁に注ぎ込んでいた。
棋譜を見て、石に触れて、石を並べているとホッとしたからだ。


ただ一つ違うといえば。


塔矢と打たなくなった。
なぜなら塔矢とは今日で5日間直接顔を合わせてはいない。
塔矢は昨日名古屋で手合いがあったため、東京にはいなかった。
でも確か今日は午後からオフのため、家にいるはずなのだが、連絡する気にはなれなかった。

何故なら、オレは3日間全く家に帰っていなかったのだ。

一昨日はオレのスケジュールを管理してくれているマネージャーさんに頼んでホテルに泊めてもらい、昨日は和谷の家に泊まった。
なんとなく家に帰りたくなかった。

塔矢と顔を合わせるのがツラかった。


塔矢は今のオレのことを快くは思っていないだろう。
だって、アイツにとってオレは「『囲碁の強い』進藤ヒカル」なのだ。
今の勝てなくなったオレになど興味はないだろう。


あの時。酔っぱらった時、オレに「好きだ」なんて言っちゃったのも何かの気の迷いだ。
そうに決まってる。




そう考えると何故だか悲しくなってきて、オレは無意識のウチに深いため息をついていた。



「あれ。オモシロくなかった?
 我ながらいいキャッチだと思うんだけど」

オレのため息を勘違いした門脇さんが、オレの隣に腰掛けて聞いてきた。


「ううん。そんなんじゃないけど。
 …でも「美人」って。女流でもアイドルでもないんだから」
「…まったく。相変わらず、キミは自分をよく知らないな」

…なんかそのセリフ、どこかで聞いたことがあるな。
ああ、そういえば。

「それ、監督さんにも言われた」
「監督?」
「うん。CM撮った監督さん。
 オレが棋譜並べてるところなんてつまらないでしょ、って言ったらそう言われた」

なるほどね、と言って門脇さんは笑った。

「たしかに、あのCMは驚いたよ」
「でしょ? だからあんなのツマラナイって…」
「あんなに綺麗だとは思わなかった」
「…ああ、映像が? うん、映像は映画みたいで綺麗だけどさ」
「違うよ。キミがだよ」



…………。

……は?



オレは門脇さんが何を言っているのかよくわからなくて、もう一度聞き返した。
すると「いや、だからキミが綺麗なんだって」と同じ答えが返ってきた。


「対局中のキミは綺麗だ。
 いや、もちろん普段も美人だと思うけどさ、対局中は別人じゃないかと思う。
 キミとは今まで公式では2度対局したが──
 負けた言い訳じゃないが、2度ともキミの美しさと気迫に気後れしてしまった。
 背筋が凍ったよ。
 よーするにビビったわけだな。勝てるわきゃナイ」

そう言って門脇さんがケラケラと笑った。
…綺麗? ウツクシイ? オレが?
オレは何がなんだかわからなくなってしまい、俯いてしまった。


「ま、今はその美人さんも少しお疲れ気味かな?」
「……は?」
「酷い顔してるぞ。ちゃんと寝てるか?」
「……」
「ま、長い囲碁人生だ。
 こんな時もあるさ」

門脇さんは明るい声でそう言うと、オレの肩をポンと優しく叩いた。


「うっわ! ほっそい肩だな〜!
 キミ、ちゃんと食ってるか?」
「…長い囲碁人生」
「は?」
「……長くなんてないよ」


だって。

だって、オレは早くしなくちゃいけないんだ。
早く。
早くあそこへ行かなければ。







「そんなことはないさ」








暗く低く呟いたオレの声とは対照的に、門脇さんは大きな明るい声で言った。


「確かにオレたち個人個人の囲碁人生なんて一瞬さ。
 この広い碁盤という宇宙に輝く小さな星の一生みたいなモンだ」
「……宇宙」
「そう。でも、そんな小さな星たちが集まってこそこの囲碁という宇宙は成り立つんだ。
 星たちの一つ一つが消えては生まれ、生まれては消え、そして繋がって広大な宇宙を築いている。
 スゴイと思わないか? それこそ何千年という長い年月をかけて、だよ。
 長い長い道のりさ」
「なんぜん…」


小さく呟いたオレの声に、門脇さんはフフっと笑った。



「キミ、初めてオレと打った時オレになって言ったか覚えてるかい?」
「…ううん」
「オレはどれくらい囲碁をやってるんだって聞いた。
 そしたらキミはこう答えたんだぜ。
 『千年』って」
「…あ」
「シビレたね。サイコーだよ、キミは」

そういって門脇さんは明るくアハハと大きな声で笑った。
あんまり楽しそうに笑うもんだから、オレもつられて少し笑う。






千年。

…千年か。




アイツは。




アイツは千年かかって、ようやくあそこに行くことを赦された。

オレは。
オレはどれくらいかかるのだろうか。



あと、オレは。









「お、少しは笑顔が出て来たな」
「門脇さん」
「うん?」
「さっきのフレーズ、少し好き」
「何が?」
「『広い碁盤という宇宙』ってくだり」

そう言ってオレは笑うと、門脇さんはとても喜んでくれた。
そして、よしメシ食いに行こう! と門脇さんは週刊誌をゴミ箱に投げ入れるとオレを無理矢理ファミレスへと引っ張って行った。







その後、ファミレスで門脇さんは面白い話をたくさんしてくれた。
週刊誌の作り方、CMの作り方や裏話。

週刊誌ってヤツは強き者のアラを探して笑い、弱き者をバカにして笑うものなのさ、と。
来週になったらさっきオレが言ったうようなキャッチフレーズでキミの援護射撃のような記事が出ているから見てごらん、と笑った。

門脇さんは棋士になる前、広告代理店という雑誌やらテレビやらCMやらの企画会社にいたと教えてくれた。
だから、芸能界や出版業界の裏話には詳しいぜ、とイヤラシイ笑いをしながら言っていた。オレは別にそーゆーのには興味はないと言ったら残念そうな顔をしていた。
あのオレのCMを撮った監督さんはオレのことを良く知っている人だ、と門脇さんは誉めた。

「もしかしてキミのファンなんじゃないのか?」
「…わかんないけど。そういえばサインとかしたよーな気がする」
「どこに? 色紙とか?」
「メガホン」



すると門脇さんはブハハハと吹き出し、案外ミーハーだなーと笑った。
門脇さんのおかげで沈んでいたオレの気持ちも、わずかだけ上昇した。







その後、いつもならイヤな雑誌の仕事だったが、門脇さんの雑誌業界の裏話を聞いて少し気が楽になったのか、いつもよりは楽しくできた。
…今度、門脇さんにはちゃんとお礼しなくちゃな。








雑誌の仕事を終えた後、オレは昼間忘れていた書類を取りに棋院へもう一度戻った。
もう夜になっていた。























「あれ、進藤じゃん」















誰もいない棋院の廊下を歩いていたら、いつもの聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。

「和谷」

和谷の顔を見てなんとなくホッとした後、オレの頭にアイツの顔が浮かんだ。










オレの大切な、アイツの顔が。