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05-4.5
「……えと、お茶…
日本茶しかないんですけど…いいですか?」
「ああ、あの、お構いなく」
彼女はリビングのソファーの端の方に、遠慮がちに座っていた。
……自分から言い出したとはいえ、何でこんなことになってしまったのか。
彼女と僕が二人きりでいてどうする。意味がない。
彼女は進藤に会いに来たのに、その彼が不在のこの家に何の関係もない僕が招き入れてどうする。
そもそも僕と彼女の間には共通の話題項なんてないじゃないか。
…ああ、あるといえばある。
囲碁。
進藤。
ピーっと沸騰を知らせる薬缶のけたたましい音で僕は慌てて我に返る。
急須に熱湯を注ぎ入れ、しばらくの間お茶の葉を蒸す。
なんとなくリビングに行って彼女と二人きりになるのに躊躇われ、いつもよりも少し長めにお茶の葉を蒸してしまった。
でもいつまでも台所で急須とにらめっこしている訳にもゆかず。
「どうぞ」
「ありがとう、すみません」
彼女の前にお茶を差し出すと、彼女は軽く会釈をし、少ししてからお茶に口をつけた。
彼女がソファーに座っているため、僕はテーブルから椅子を持ち出して、彼女から見て90度の位置に椅子を置き腰を下ろした。
「あ、ごめんなさい、ソファー…」
「いや、とんでもない。僕の方こそ…
せっかく来てくださったのに、あちこち散らかっていてすみません」
僕がそう言って謝ると、彼女はクスリと笑った。
「だって、塔矢くんだって忙しいでしょう?
今のヒカル程じゃないにしても…」
「ええ、まあ…」
「お部屋、お掃除する時間とかなかなか取れないでしょう?」
「…はあ」
「だって、ヒカル、なーんにも家事とかしそうにないもの。
特に掃除なんて、絶対ダメ! 全部塔矢くんがやらされているんでしょう?」
そう言って彼女は何か昔を思い出すかのような感じで、クスクスと笑った。
彼女が今頭に思い描いているのは──
「ヒカル」
「は」
「……ヒカル、元気にしてる?
雑誌やCMじゃよくわからないから…。
忙しいだろうから、ケータイに連絡するのも悪いと思って」
「ああ、ええと」
彼とは、5日間顔を合わせていなかった。
今週は彼が手合いの他にもイベントやら取材やらでいつにも増してスケジュールが立て込んでいるのと、僕自身も手合いが名古屋であったりして2日程東京にいなかったのもあり、僕は今彼がどこにいて何の仕事をしているのか、というのも全く把握していなかった。
……元気にしているのだろうか。
まったく、連絡の一つくらいよこしてもいいだろう。
僕には。
「実は僕も彼も仕事が立て込んでいて、今週はまったく顔を合わせていなくて。
多分、連絡が特にないので元気にやっているのだと思いますけど…」
僕がそう言うと、彼女は少し瞳を伏せ俯いた。
ふたたび長い髪が彼女の肩を通り抜けて、顔の横へと流れていく。
「ヒカルは……」
「はい?」
「ヒカルは、昔から大切なこと程、誰にも何も言わないの。
例えば…そうね。
ヒカル、小さい頃猫を拾ってきたことがあったのよ」
「猫」
彼女は昔を懐かしむかのように、フフッと笑った。
「子猫だったんだけど、ケガをしていて。
私、その日たまたまヒカルの部屋に遊びに行って、
ヒカルが子猫を隠していることを知ったの」
「…何故、隠して?」
「おばさんが…、ヒカルのお母さんが動物苦手で。
で、ヒカルが自分で一生懸命手当をしようとするの」
「医者に連れていけば…」
「だって、その時私もヒカルも小学生よ。思いついても? どうしたらいいのかわからなかったの。お金もなかったし」
外のシトシトと降る雨の音が室内に響く。
彼女の高い声にその雨の音が絡み、暖かな空気が室内に流れる。
「一生懸命手当をするのよ。
…でも、子猫がやっぱりだんだん弱ってきちゃって」
「……」
「最後には鳴かなくなっちゃって。
それで私怖くなって、慌てておばさんを呼びにいったの。
で、最後はおばさんが病院に連れていってくれて。
子猫は元気になって、里親に引き取られていったの」
「……その時、進藤は?」
彼女はそこで少し言葉を切って、テーブルの上のお茶に再び口をつけて喉を潤す。
僕は、過去の──僕が出会う前の彼を知る彼女の話に引き込まれていた。
「もちろん怒られたわよ。『何で早く言わないの!』って。
でもヒカル、怒られても何も言わないの。
でもね、その後なんかヒカルの様子がおかしいのよ。
だってその時夏だったのに、ヒカルは長袖のパーカー着てて、一生懸命腕を隠してるの」
「まさか」
「そう、そのまさか。
ヒカル、腕に大怪我してたのよ。左腕…だったかな。
8針も縫ったし」
「縫った!? なんで…」
「もとはといえば、その子猫、高い木の上から降りられなくなっちゃったんだって。
ケンカとかでケガをして、逃げるために木の上登ったら降りられなくなっちゃったのね。
で、ヒカルが登って助けたんだけど…」
「けど?」
「途中で枝が折れて地面にまっさかさま。
で、多分子猫をかばって自分に折れた枝が刺さっちゃったのね」
……。
想像もつかない。
よくそんなことが出来たものだ。まだ、小さな小学生が。
僕が小学生の頃は…
木に登るということすら、想像もしたこともなかった。
しかし8針も縫うなんて、かなり大きな深い傷だったのだろう。
痛みも酷かったはずだ。
僕はその痛みを想像して、思わず自分の左腕をさする。
でも。
「…どうやって隠していたのだろう。
出血も酷いはずだし…長袖だけでは」
「自分でね、グルグルにキツ〜〜く包帯巻いて。いわゆる止血ね。
無理矢理血をとめて。
で、タオル巻いて長袖着て隠してたの」
「でも、痛みは…」
「あとで聞いたんだけどね。気がつかなかったんですって。
子猫のケガに夢中で。自分のことに気がつかなかったって」
…そんなことってあるんだろうか。ほんの小さな子供が。
それだけ大怪我していたのに、痛みに気が付かないだなんて。
「それで、彼は…」
「も〜おばさんに怒られた怒られた! お医者さんにも怒られて。
大変だったんだから。
夏休みもまだ残っていたのに、プールには入れないし」
「……腕の方は」
「3週間くらいで治ったんじゃなかったかな。
今も多分傷が残ってると思うよ。
確か、この…肘からココまで」
「………」
彼女は自分の白い腕を指し、傷の説明をした。かなり大きな傷だった。
気がつかなかった。そんな傷があったなんて。
僕は彼女の話から過去の小さな彼を想像し、思いを馳せた。
どんな子供だったのだろう。
今の彼女の話を聞く限りでは、相当にやんちゃだったのだろう。
でも、どこか普通とはちょっと変わったような。
そして彼女は、そんな彼をよく知っているのだ。
僕の知らない彼を。
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