05-4.7







僅かな沈黙の後、彼女は、ソファーテーブルの上にあった女性ファッション誌を手に取った。
パラパラとページを捲る。
彼のインタビューが掲載されているものだった。


「塔矢くんも買ったんだ、コレ」
「あ、いや。送られてきたんだ。彼がいない間に…。
 それで、見せてもらってたんだ。勝手に見ていいのかな、と思ったけど…
 いつも彼も、僕宛に送られてきた僕の雑誌を勝手にあけて見てるし」

アハハ、と彼女は明るく笑いながら進藤の記事を捲った。
1ページの全面に、進藤の写真が掲載されている。
鮮やかなシャツと細いジーンズを履いたもので、身体のラインがこれでもかと強調されるようなものだった。
僕も時折こういった趣向の写真(僕は専らスーツが多いのだが)を撮られることがある。
その度に疑問に思う。
一体、囲碁と全く関係のない写真を見て、何が楽しいのだろう、と。
ましてや、僕や進藤は芸能人やモデルでも何でもない。ただの碁打ちだ。そんな写真を撮る価値も見る価値もあるのだろうか。
よっぽど彼の綺麗な棋譜を掲載してくれればいいのに、といつも思う。





でも。




一度、塔矢門下の研究会(父が1年の大半を韓国や台湾で過ごすようになってからというものの、塔矢門下の研究会は現在三冠である緒方さんを主催者として、僕の実家であったり棋院であったり、時と場合によった所で開いていた)で進藤のタレントのような活動が話題に登ったことがあった。
「いくら広告塔とはいえ、チャラチャラしている感じで気にくわんな」と言う先生もいれば、芦原さんのように「何でですかー、これすごい綺麗でイイじゃないですかー」
と喜ぶ人もいる。
「まあアキラくんも似たようなことを進藤よりも随分前からやっていたしな」と緒方さんがその場を一刀両断にし、僕は適当に「アハハ」と愛想笑いをする。
ウチの研究会の、いつもの光景だった。

「でもさあ」
芦原さんが相変わらずのノンビリした口調で喋り出す。




「進藤くんてさあ、こんなに綺麗だったんだねえ」





芦原さんの手には進藤の写真が掲載されている雑誌があった。
パラパラと捲りながら、わあ、これも綺麗だなあ、細いなあ、こんな細い身体の中に胃やら腸やらよく上手く納まってるよなあ、ねえ緒方さんなどとよくわからない感想を話していた。

「まあ、確かに元々それなりに整った顔ではあったがな」

緒方さんはポツリとそう言うと、煙草の煙りを吐き出した。

「でもやっぱり顔立ちとか雰囲気とかで行くと、アキラの方が派手じゃないですか。
 だから今まで気付かなかったのかなあ」
「それもあるかもしれんが、アキラくんと進藤では趣きが違うだろ」
「何ですか、その趣きって」

芦原さんがキョトンとした顔で緒方さんを見る。
緒方さんは碁笥に手をやると、黒石を一つ碁盤の上に置いた。


「例えば、アキラくんを見て誰もが…特に女性が思うのは、『カッコイイ』だろう。
 進藤は違う。『カッコイイ』というよりは『綺麗』だろう、アイツは。
 その違いだ。
 『綺麗』というのは存在が希薄なものだからな。だから気付かれにくい」
「きはく……」
「儚い、ということだ。日本人は特にそういうものに昔から『美』を感じる傾向がある」
「ああ、ええと…『美人薄命』とか。そーゆーことですかねえ?」


ま、当たらずとも遠からずだな、と言って緒方さんは煙草の煙りを吐きながら棋譜を並べていった。
先日の倉田さんと進藤の碁聖戦の棋譜だった。
芦原さんは石を見ながら、そっかー美人薄命かー、とブツブツ呟いていた。


希薄か。
確かにそうかもしれない。



僕は、僕自身のことはよくわからない。
よく『カッコイイ』だとか色んな人に言われても、いつもピンと来なかった。

でも緒方さんの言う進藤の『綺麗』は、なんとなくわかる気がする。
『希薄』というのも。






進藤は綺麗だ。







色素の薄い髪も。小さな顔も。灰色の大きな瞳も。
まるで元々色がなかったかのような、透明な白い肌も。
写真の中の彼は笑ってはいるけども、まるで血の通っていない整えられた人形のようだった。




全体的に色素が薄いようだった。
一度彼に聞いてみたことがあったが、「よくそう言われるけど、そうかなあ?」と本人が首を傾げた。彼も僕と一緒で、自分のことにはとんと無頓着だったのだ。


生まれつきなのだろうか。

でも。
出会ったばかりの頃の彼は、こんな感じではなかったような気がする。
今のように透明な感じではなく、きちんと彼が『ここにいる』とわかるような強くて明るい健康的な『色』を持っていた気がする。



今の彼は、目を離した隙に光に溶けて消えてしまうのではないだろうか、という程透明で、存在自体が希薄な感じがした。
碁を打っている時など特に、彼が抱え込んでいる彼の中の強い光が、彼の透明な身体から透けて見えているような気さえした。
だから、碁を打つ彼の姿は一種異様とも思える程に美しかった。
美しい、というよりも神々しいと表現した方がいいのだろうか。












まるで、この世のものではないかのような。













「塔矢くん」

「は」




彼女に声をかけられ、急速に我に返る。

「どうしたの? ボーッとして」
「…いや、ちょっと考え事を」
「ヒカルのこと?」

予想していなかった彼女の切り返しに、僕は思わず言葉を詰まらせる。
彼女は大きな目を開き、ジッと僕の方へ向けていた。


ああ、こういうところも進藤と少し似ている。



「何?」
「ああ、ごめんなさい。…いや、似ているなと思って」
「何が?」
「藤崎さんと、進藤が」


彼女はさらに大きな目を見開いて僕を見た。
…失礼だったかな。気に触ってしまっただろうか。
でも、こうして僕が何か言った時の反応の仕方まで彼とよく似ているのだ。

しばらくそうしてから、彼女はプっと吹き出すように笑い始めた。
僕は何か可笑しなことでも言ってしまっただろうか。


「す、すみません。失礼でしたよね…」
「プッ……ククク、ち、違うの。ごめんなさい、塔矢くん。
 塔矢くんにも言われるとは思っていなかったから」
「『にも』?」

彼女は笑いながら思わず目尻にたまってしまった涙を拭った。


「私ね、昔から…それこそ、幼稚園に上がるぐらいの頃からそう言われてたの」
「……進藤と、似ていると?」
「うん」


彼女は手に持っていた雑誌を開いたままソファーテーブルの上に置いた。


「家が近かったから、幼稚園も一緒に通っていたのよ。
 二人で手を繋いで、毎日」」
「……」
「そうするとね、会う人みんながヒカルを見て言うの。
 『お嬢ちゃん、可愛いわね。お姉ちゃんと一緒で良かったわね』って」


彼女はその当時のことを思い出したのか、再び笑い始めた。
……お嬢ちゃん、か。
僕の知らない、当時の小さな小さな二人の姿を想像してみる。
たしかに『姉妹』に見えてもおかしくはないな。
僕も小さい頃はよく女の子に間違えられてはいたが、現在進行形でも間違えられる進藤とは違う。
さぞ小さい頃は二人とも可愛かったことだろう。


「今考えると複雑よね。道行く人みな、私よりヒカルを見て『可愛いね』って言ったのよ」
「…そんなことはないでしょう。
 もちろん、藤崎さんも可愛かったから…」
「ううん、実際ヒカル可愛かったもの。
 それは幼心にも思ってたわ」
「……」
「だから、幼稚園で同じ組の男の子達がヒカルを苛めるのよ。
 ホラ、小さい子って可愛い子や好きな子程苛めたりするじゃない。アレよ、アレ」


……よくわからないな。
好きな人を苛めたくなったりするものだろうか。
『可愛さ余って憎さ100倍』というヤツか? いや、ちょっと違うだろう。
少なくとも僕自身は幼い頃から、そんな好きな人を苛めたいなどとサディスティックなことは思ったことなどないが。


「ヒカルって小さい頃身体が弱くてね、よく幼稚園もお休みしてたの。
 小さくて痩せっぽっちで。
 苛められたりすると、いつもしゃがんで小さくなってシクシク泣いてたのよ」
「…進藤が?」
「そう。で、私はどちらかというと好きな子のことは『守ってあげたい』タイプだったの。
 それは、今もだけど」
「ああ、それなら気持ちはわかります。なんとなく」
「それで、幼稚園の時はいつも私がヒカルを守る『王子様』だったのよ」


ああ、そうえいば塔矢くんの『私の王子様』っていう記事呼んだわよ、と彼女は笑った。
塔矢くんには負けるけどイイ王子様ぶりだったんだから、と。
僕は(その記事に関してはあまり触れられたくないので)ハハハと乾いた笑いを浮かべた。


それにしても。



「……なんか想像つかないな、今の強気な彼からは」
「それは小学校入ってからのヒカル。
 幼稚園の頃は身体も弱くって、休みがちで。
 色も白くて、痩せっぽっちで。
 なんていうか…そう、儚気な感じだったのよ」


と、彼女は言い切ってから自分でハッとしたように口元を押さえた。


今初めて、あることに気がついたかのように。





そして僕も、彼女が今何に気がついたのか、何を考えているのかが手に取るようにわかる。







彼女と僕は今同じことを考えている。

僕にはわかるのだ。彼女の気持ちが。










何故なら僕達は。















そう、僕達は同じ気持ちを抱えているのだから。