05-4.8








「私、今何かわかったような気がする」

「……僕は、あなたと違って幼い頃の進藤を知らない。
 でもあなたの話を聞く限りで、僕もわかったような気がする」



僕と彼女はそのまま黙り込んでしまった。
部屋に沈黙が流れる。
外の雨の音がやけに大きく感じた。


しばらくして、彼女はテーブルの上に開かれたまま置いてあった雑誌を手にとった。
進藤が写っている。

その身体は、白くて、細くて、



「儚気」


彼女は一言、そう呟いた。





「今の…今のヒカルは、幼稚園の頃のヒカルと一緒なの。
 もちろん全く同じではないけど、なんていうか…纏っている雰囲気が同じっていうか…
 弱くて、儚気で、今にも消えてしまいそう。
 私、この写真見てからずっと何か引っ掛かってたの。
 この感じ、どこかで見たことあるって。私知ってるって、思ってた」

「…先程あなたは今の強気な部分の彼、というのは小学校に入ってからだと言った。
 小学校に入って、彼は変わった?」

「変わったわ。
 私の知る限りでは、ヒカルは今までに3回変わっているのよ」

「3回」



彼女は一旦そこで会話を切り、すっかり冷えてしまったお茶を一口飲んだ。
僕が入れなおして来ましょうかと言うと、いいわ、と断り話を続けた。





「1回目は、小学校4年生くらいの時。
 それまではヒカル、まだ身体が弱かったの。休みがちで。
 だから勉強も好きじゃなくなっちゃったのね。
 でも4年生ぐらいになって、急に元気になったのよ。それこそさっきの話の、木登りとかするくらい。
 健康なのを通り越して、ヤンチャすぎるくらい。すっかりガキ大将みたいになったの」
「…4年生。まだ僕が出会う前だ」
「2回目が、塔矢くんと出会った頃よ」
「え」



僕は思わぬところで名を呼ばれ、思わず大きな声を出してしまった。
それにも構わず彼女は話を続ける。


「それまで触ったことすらなかった囲碁を突然始めたの。
 おじいさんの碁盤を初めて見た日、ヒカル倒れちゃって。
 その後、それは何ともなかったように見えてたんだけど…。
 その翌日から突然囲碁を始めたの。
 だから今思えば、その時の事が一番ヒカルを変えてしまった出来事だったのかも」
「……」



僕はその時のことを思い出していた。
彼と初めて出会った日のこと。

恐ろしいくらいに鮮明に覚えている。

その頃彼が変わったというのなら、僕だってそうだ。
僕もあの時を…彼と出会った日を境に恐ろしく変わってしまったのだ。
それこそ、それまでの人生を180度変えてしまう程に。



「そして…3回目。これで、今のヒカルになったのだけれど…。
 塔矢くんは、いつのことかわかる?」

「…4年前の春だ。中学3年生の時。
 彼が突然囲碁をやめると言い出した、あの時」

「そう。それを境にヒカルは変わってしまったわ。
 それまでの元気でやんちゃで囲碁を楽しんでいたヒカルは消えちゃったの」

「消えた」

「おそらく、ヒカルの大切な何かと一緒に。
 それは、ヒカルの心まで持って消えてしまったわ」






彼女は、フウとため息をついた。
シンと室内が静まり返る。
シトシトと雨の音が響く。





消えた。





それは僕も薄々勘付いてはいた。

同時期に僕の父がインターネットで『sai』と打ち、その後引退した。
父が日本の囲碁界から姿を消したように、『sai』も消えてしまった。

そしてその頃、進藤も共に消えてしまったのだ。
彼女の言う、『昔の進藤ヒカル』が。

今の彼の中の、心の一部を持っていってしまったまま。


『sai』と進藤の間で何かあったのかどうか。
それは僕にはわからない。

でも、二人に何かしらの繋がりがあったことは確かだ。
それによって──彼によって進藤は、幾度も変えられてきたのではないだろうか。




彼は未だに何も話さない。
先程彼女が言っていた。「彼は大切なこと程、決して誰にも喋らない」と。
でも彼は4年前に言ったのだ。『お前にはいつか話すかもしれない』と。




僕は出来ることなら、彼が話してもよい、と思う日が来るまで待ち続けたい。



待ち続けたいのだ。