01-1.5











あの男との飲みの帰り道。
朝の5時頃だろうか。






雨が上がったばかりの道路を一人トボトボと歩く野良猫を見かけた。



何をしているんだ、こんな朝っぱらに。
飲み会の帰りか、友人の家からの帰りか。

そのわりには鞄も何も持っていない。
いかにも「ちょっとそこまで」といった感じで、家を出て来たような格好。


いくら人気のない朝とはいえ、そんじょそこらの芸能人よりも一端に顔の知れているヤツだ。
どこで誰が見ているとも限らない。
そんなヤツが朝方に手ぶらで何を一人でフラフラと。



タクシーをヤツのすぐ背後に止めさせて、名前を呼んだ。
野良猫はすぐに振り返って、人の顔を見ると目を丸くした。


腫れ上がった目。

「何をしているんだ、お前は」
「……おが…たさんこそ」

ガラガラに掠れた声。

「家に帰るのか? 通り道だし乗せてやろうか」
「………」
「帰らないのか」

野良猫は顔を俯かせて、何も答えなかった。
俯いていてもわかるくらいの、青白い酷い顔色。

「まあいい。とりあえず乗れ」
「え……」





その時のオレは、まだ酒が残っていたのだろうか。
それはそうだ。あんな面白くない酒は中々抜けないんだ。
気持ちを紛らわせたくて随分飲んだしな。
あの男も一緒になって随分飲んでいたが、全く酔っぱらっていなかった。
終始その笑顔の張り付いたような顔で人のことをジロジロ見やがって。
思い出すと再び腹が立つ。


そんなことを考えているうちに、まだ酒が残っていた(のであろう)オレは、普段なら絶対に拾わないような野良猫なんぞを(半ば)無理矢理タクシーに乗せて、自分の家に連れて来てしまったのだ。






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とりあえず野良猫をリビングのソファーに座らせ、酔いを覚ますためにコーヒーでも飲もうかと台所に入れに行きコーヒーを持って再びリビングに戻ってくると、野良猫は本当に猫のようにソファーで丸く小さくなって眠っていた。
わずかものの5分だろうが。

声をかけても、男にしてはあまりにも頼りない細い肩を揺すっても、野良猫は目覚めなかった。

……仕方がない。



このままソファーでいつまでも丸くなられていてはあまりにも目障りなので、しょうがなく寝室のベッドを貸してやることにした。
気を使うのも面倒なので、結構乱暴に抱き上げる。それでも目は覚まさない。
しかし軽いな。本当にもうすぐ成人の男か、コイツは。軽すぎる。芦原のアホが言っていたが、中身は入っているのだろうか本当に。
女どころか子供のような身体だ。

その時、ゴトン、と何かが落ちる音がした。
携帯電話だった。
どうやら野良猫のジーパンのポケットから落ちたようだ。
とりあえず前へ進むのに邪魔なので、軽く蹴飛ばす。
ゴトン、と再び携帯電話がどこかにぶつかる音がした。


割と乱暴に野良猫をベッドに落とし、適当に毛布をかける。
それでもまるで目を覚まさない。
ずいぶんと図々しい野良猫だな。

なんとはなしに、野良猫の顔を見る。
最近、棋院よりもテレビや雑誌でよく見る顔だ。
白くて小さい、人形のような顔。



その時。




偶然に。
本当にたまたま。








野良猫の目もとに何かが光るのがたまたま見えてしまった。














……仕方がない。
仕方がないので目もとを指でそっと拭ってやった。


涙だった。



よく見ると、青白い頬にいくつもの涙が流れた跡のような筋があった。












このまま野良猫の顔を見ていても仕方がないので、寝室を出てそっと扉を閉めた。
するとそれとほぼ同時に、先程オレが蹴飛ばした野良猫の携帯電話が、ヴーッヴーッとバイブ音を発していた。

拾い上げて携帯を開き、ディスプレイを見る。



そこには予想通り、オレの非常によく知る名前と携帯番号が表示されていた。
そのまま何もせずその名前を見つめていると、諦めたのか携帯電話はしばらくして動きを止めた。

オレは野良猫の携帯電話を閉じ、リビングのテーブルの上に置いた。




それからしばらくの間、野良猫の携帯電話は何度もヴーッヴーッと不快な音を立てて震えていた。
そこに表示されるのは、オレのよく知る名前であったり、友人と思われる者からであったり、おそらく雑誌社と思われるものであったり、芸能事務所であったり、棋院であったり。
引っ切りなしに携帯電話は野良猫のことを呼んでいた。

最初はオレも面白がって野良猫の携帯電話が鳴る度に見ていたが、次第に鬱陶しくなった。
コイツがこんなにも野良猫を呼び立てるものだから、頭と容量の悪い野良猫は素直に電話に出続けて、結果自分を追い詰めてしまったのではなかろうか。
あんな子供くらいの重さしかないような、ガリガリの身体になってまで。

馬鹿馬鹿しい。

再び野良猫の携帯電話が震える。
オレはソイツを手に取ると、電源を切りソファーの上に放り投げた。
……最後に表示されたのは、オレのよく知る名前であったが。


まあ、いいか。
出るつもりのない携帯電話なんぞ、持つヤツが悪いのだ。
出ないなら、答えるつもりがないのなら、ハナから持つな。どうしても持たなければならないのなら、電源を切ってしまえ。
ああ、くだらない。






寝室を開け、再び野良猫を覗く。
先程見た時と同じ姿勢で、スースーと寝息を立てていた。顔色は相変わらず酷いモノだったが。



それから寝室を出て、オレは初めて気がついた。


「アイツがあそこで寝てるなら、オレはココで寝るしかないじゃないか」

ソファーの上だった。





……まったく。
オレも大概馬鹿だな。
それもこれもあの男との酒のせいだ。くそ。ああ、また苛々する。
鬱陶しい。何もかも。

あの男も。野良猫も。携帯電話も。馬鹿なオレも。

鬱陶しい。








鬱陶しいので、とりあえず野良猫が起きたら嫌がっても飯を食わせよう。




野良猫に何があったとか、弟弟子は何をしているのかとか。
考えるのは、それからでいい。













久しぶりのオフだ。こんなともあるさ。