06-06





緒方さんは、手にしていたグラスの中身を一気に飲み干すと、再びテーブルに近づいてグラスを置き、
煙草を銜えながら戻ってきた。

マッチで火をつける。
夜の闇に白い煙が溶けていく。

「……お前がアキラくんに対してしていることは、それと同じ事だ」

煙草の先を指でトントン、と叩く。灰が舞っていく。

「傍にいたい。でも気持ちはいらない。
 碁は打ちたい。でもお前自身はいらない。
 近づいてもいい。でも心の中まで入ってくるな」

緒方さんが抑揚のない声で呟く。



「そんな残酷な話があるか」




星がキラキラと輝いている。
あれは…何座かな。綺麗だ。
空がすごく近くに見える。まるで手を伸ばしたら星に触れることが出来そうだ。





なのに、触れることは出来ない。





残酷だ。


















「……オレも」



緒方先生がチラリとオレの方を見る。












「オレもそうだったよ」

「……何?」

「オレも、緒方さんや塔矢と一緒だよ。
 オレも、触れることが出来なかった」




今ここにはいない、アイツの笑顔を思い出す。
すると、今まで水の底を這うようにしていたオレの中の冷えきってしまった感情が、熱をもって蘇ってくる。





「オレも……

 オレは、オレはずっとずっとそうだったよ!!
 触れたくても触れられなかった!
 触れてもらえなかった!
 オレはずっと触れたかった!! でもそれは叶わなかった!!

 今もだよ。
 アイツは、アイツは消えちゃったから」



「進藤」



緒方さんが突然興奮して声を荒げるオレを押さえようと、静かに強い口調で声をかける。
でもオレは一度溢れ出てしまった思いを押さえることなど出来なかった。
アイツの顔を思い出した途端、堰を切ったように流れ出す。


声が、いつの間にかに涙で崩れていくのがわかる。










「でも……オレは、オレは楽しかったよ?
 アイツと一緒にいれただけで楽しかったよ。
 アイツはいつだってオレの心の中でオレのことを抱きしめてくれたよ。
 オレはそれだけで十分だった。たとえ触れることができなくたって」

「………」

「囲碁を、囲碁を打っている時が一番アイツと溶け合うことが出来た時だった。
 だからオレは、囲碁を打ちたかった。
 触れることが出来なくても、囲碁を。
 囲碁さえ打っていれば、いつだってオレ達は一つになれたんだ」

「………」

「だから、塔矢だって」

「………」

「塔矢とだって、囲碁さえ打っていれば。
 そうすれば、オレ達は、いつまでもいつまでも一緒に」

「………」

「心の中で、触れ合うことだってできると思ったのに」

「………」







「でも、それは違ったんだ。
 塔矢に触れられて、初めてわかったんだ。
 本当に触れ合うっていうのは、どういうことか」










声だけではおさまらなかったのか、溢れてしまったオレの感情はついに目から流れ出てきてしまった。
後から、後から。
止める事が出来ない。



アイツのことを考えると。





アイツの。






………………………違う。






アイツの笑顔や怒り顔や泣き顔や、アイツの表情がオレの頭の中でたくさん流れていく中に、アイツじゃない顔が混ざってくる。
次第に、それはアイツよりも多い回数でオレの頭の中に流れるようになり、最後にはそいつだけになってしまう。




………塔矢。





この溢れてしまっている感情は、アイツに対するものじゃない。

塔矢が。

塔矢に対する感情なんだ。









どうしよう。

止める事が出来ないよ。






「……どうしよう」

「何が」

「今までは……一緒にいて、囲碁さえ打てていれば、それで良かったんだ。
 誰でもそうだった。
 あかりも。和谷も。それから…、……も。
 そして、アイツも。
 
 でも塔矢は。

 塔矢と一緒にいるとオレは一番幸せだった。
 塔矢と碁を打っている時が一番幸せだった。

 塔矢の心にも触れることが出来るし、
 何よりも、そうしていれば、いつかオレは『あの世界』に行くことが出来るから。
 でも」

「でも?」

「塔矢が。

 塔矢が、オレのことを好きって言って。
 塔矢が、オレのことを欲しいって言って。
 塔矢が、オレの心にも身体にも、オレの深い深いところにたくさん触れてきて。

 それからオレはおかしいんだ。
 塔矢のことを考えるだけで。
 塔矢といるだけで。
 一緒にいるだけじゃ嫌だって思っちゃうんだ。
 足りないって思っちゃうんだよ。
 何で?

 そんなの嫌なのに。
 ダメなのに。
 絶対にダメなのに。

 でも止めることが出来ないよ。
 どうしよう。どうしよう」





身体が震える。どうしよう。
緒方さんがオレの両腕を掴んで、なんとか震えているオレを止めようとする。

でも震えは止まらない。







どうしよう。











どうしよう。