07-02











「なんでオレがこっちなんだ?」



















これは、進藤の台詞。
















あれは、今から1ヶ月程前か。
彼とちょっとした行き違い(話すと長くなるので僕の中の位置づけとしてはなるべくこの一言で済まそうと心がけている)から緒方さんやら和谷くんやら白川先生までをも巻き込む大ゲンカに発展してしまったことがあった。
今にしてみれば、あれは僕が初めからきちんと自分の気持ちを明確に理解して、彼に僕の想いを伝えていればあんなことは起こらなかったのではないかと思う。
何せ、スタート時点ですでにおかしかったんだ。
僕が酔っぱらって帰って来て、彼を、………彼を。
それによって僕は彼を傷つけ悩ませ、僕もそんな彼に翻弄されて、グチャグチャに絡まったお互いの感情の縺れを正すのは本当に大変だった。(後日「一番大変だったのはオレだ」と緒方さんに怒られたのだが)

最初は僕との気持ちの行き違いやら彼の戦績の不調やら生活の変化などのせいか、彼はなかなか僕の気持ちを受け取ろうとはせず、そして自分の本心を見せようともしてくれなかった。
でも僕が正直に彼に「好きだ」と伝えてからは、彼は僕の気持ちを素直に受け入れてくれた。





では、彼の本心は?


それは、正直な話今もわからない。






彼は僕を「好きだ」と言ってくれた。僕の手を取ってくれた。気持ちを受け取ってくれた。
それに偽りはないのだろう。

──でも本当は。
きっとそんなことでは──「好きだ」なんて一言では片づけられない程の大きな感情が、彼の中ではまだ整理しきれずにあるのだと思う。




その深い深い水の底のような彼の大きな感情の源流こそが、彼がずっと己の中に内包してきている「いつかお前には話すかもしれない」ことに繋がっているのだろうと、僕は思っている。





いつか僕には話す、と彼は言ったのだ。
だったら僕は、その時が来るのを待つ。生憎だが、待つのは慣れてるんだ。




今は言えない。でもいつかはきっと──。

そんな気持ちを抱えながらも、彼が僕の側にいてくれる。
僕はそれだけで十分幸せだったのだ。







幸せ。

もうためらう事なんてない。
酔いと怒りと本能に任せてしまったあの時とは違うんだ。

今こそ幸せな僕たちは、一つに────。























「なんでオレがこっちなんだ?」

























……ここで、件の進藤の台詞に話を戻す。




長年の想いを通じ合えた僕たちは、(僕たちの間では)晴れて堂々と恋人同士になれたといえる。
やっと、やっと、7年もの月日をかけてこの日が訪れたのだ。

7年の間、囲碁はたくさん打ってきた。(ついさっきも緒方さんちからの帰り道に棋譜で口論になり、帰ってすぐにイキナリ打った)
話もたくさんした。
ご飯も食べた。
風呂にも入った。









恋人同士のやることといったらあと一つしかないじゃないか。













なんとなく棋譜の話をしながらなんとなく僕の部屋のベッドまで行ってなんとなく話を続けながらなんとなくまた好きだなんだの口論めいた話になりつつなんとなくキスをしてなんとなく押し倒すところまで行きまさに進藤の服に今こそ手をかけん!とした時に飛び出てきた台詞がコレである。


「なんでオレがこっちなんだ?」

「──……は?」
「いや、何でオレが下なんだ?」
「……」
「するんだろ、セックス」
「……セ…」
「何でオレが下なんだ?」


何を今さら言ってるんだ何を!!









……とは思いつつも、あまりにも純粋な生まれたてのヒヨコのようなキョトンとした目で、あまりにも原始的な彼の問いかけを無視することは到底僕には出来なかった。
仕方なく一度は我ながらごく自然に上手いこと押し倒せた進藤を渋々起きあがらせベッドの上に座らせて、自分はその真正面にまるでこれからタイトル戦でも一局打つのではないかというくらの形相と気迫を兼ね備えつつ姿勢を正し正座をした。
相変わらず、進藤はやや小首を傾げながらヒヨコのような目で僕を見つめていた。


奇妙な沈黙がベッドの上で流れる。

非常にマズイ状態だと僕の脳とその他身体的な部分が告げる。
何とかこの奇妙な状態を打破せねばなるまい。



「……進」
「塔矢は」


ほぼ同時に声を上げる。あ、とお互い相手を譲るかのように再び黙ってしまう。


「どうぞ、お先に」
「そっちこそ」
「いや、キミからでいいよ」
「……そうか?」

進藤は少し黙った後、再び口を開く。











「塔矢は、オレのこと抱きたいの?」



何を今さら言ってるんだ何を!!












……とは思いつつも、いきなりそう怒鳴る訳には行かない。ここは慎重な駆け引きが重要な局面(の筈)だ。

「……そ……」
「正直に言ってくれていいよ」

思いもがけない進藤の言葉に、思わず僕は伏せていた顔を上げて進藤を見つめる。
相変わらずヒヨコのような目で彼は僕を見ていた。
抱きたいの?とか言うな今さら! ヒヨコのくせに!


「……それ…は、もちろん…
 その、……僕だって……その、男な訳だし……その」
「オレだって男だよ」


……ヒヨコの思わぬ反撃に、僕の今まで築いてきた道筋が一気に断たれた。
そんな一手が隠されていたなんて、僕は気づきもしなかったのだ。

僕は思わず息を飲み、目を見開いて目の前のヒヨコを見つめた。
声が喉の奥に張り付いてしまったかのように出てこない。

「…………」
「……なんだ、その『初めて知りました』みたいな顔は」
「…………」
「何年オレと付き合ってんだ、お前」

ていうか、そういう問題かよ。
小さな声でそう呟きながら、ヒヨコは呆れたように深い溜息をついた。

「お前が男で、抱きたいとか思うのはよくわかるよ。
 だってオレだって男だもん。
 オレだって抱きたいとか思って当然だろう」

ヒヨコの再びトドメを刺すかのような強烈な一手に、僕の石はもう生きる道は残っていなかった。もうこの局面はグチャグチャだ。僕の頭の中のように。
でも。
でも。
僕だって棋士だ。このまま打たれっぱなしで終われるものか。どこかに──どこかに生きる道がかならず残っているはずなんだ。
どこかに──。


「……じゃあ……その、キミは……僕のことを…抱きたい…のか?」
「えっ?」


僕の問い掛けに進藤の方こそ『初めて気がつきました』というような意外そうな顔をして、黙り込んでしまった。
僕の起死回生の一手が効いたのか、進藤は腕を組みうーんうーんと唸りながら、長考に入り始めた。
いい加減に気づけ進藤!
キミはもうすでに1回僕に抱かれているだろうが!

そうしてしばらく悩んだ末に出した進藤の答えは。





「………あんま……抱きたい……とは思わないかも…」





勝った!!!!





「じゃあ!!」
「でっ……でも!!」

うっかり正座していた腰を上げて進藤の方へいざ追い被さらんとした時に、再び「待った」が掛けられる。
これ以上何を出すんだ進藤。
彼は僕に気圧されたのか、若干上体を引きつつもいつもの彼の癖である下から見上げるような上目遣いで中腰状態の僕を見つめた。

「オッ……オレだって男なんだからな!
 このまま成り行きでオレが下なんて冗談じゃないぞ!
 こっ……こーゆーのはハッキリと決めておいた方がいいんだ!」
「成り行きって……だってキミ別に抱きたいとは思わないって今…」
「と・に・か・く!!
 こーゆーことは、平等に勝負で決めよう! 男らしく!」
「………しょ…」
「………」
「……な……何で」
「………」
「………囲碁で……か?」
「……い…囲碁だと…多分なんか一生勝負つかない…よな?」
「ふざけるな!!」
「わっ……わかったよ!!
 じゃっ……じゃあ、将棋!! 将棋で勝負だ!!」

「………」
「………」











将棋か。

言っておくけどな、進藤。
僕は将棋は決して得意ではないがその辺のアマ相手なら負けたことはないぞ。




















覚悟しろ。


































そうして、そのお互いの男をかけた勝負の結果は──10戦8勝2試合無効(進藤が盤をひっくりかえしたため)で僕の圧勝で終わったのだ。






+++++














……目が覚めた。
夢……を見ていたのか。

あの茨の道を歩んだ日々をどうやら思い出していたのか。
うっすらと目尻に涙が残っているような気がして拭う。




進藤のあの鼻摘みキス攻撃の後、意識を飛ばしそうになりつつも第2Rになだれ込み、そのまま眠りこけてしまっていたらしい。
ふと隣を見やると、進藤はサイドライトの下で何か本を読んでいた。


「……何……見てるの?」
「あ、悪ぃ、起こしちゃった?」
「……いや」
「CMの脚本。そーいや来週から撮影なのに、見てなかったなーって」



進藤は僕とのあの大ゲンカの後、数々の仕事をボイコットしてしまったこともあり、また本人の意向もあって芸能関係の仕事は全面的にストップとなった。
その後進藤はすぐに復調し、以前ような美しい棋譜と勝率を取り戻した。
しばらく週刊誌に何やかんやと書かれてはいたが、それも直に止み、元の落ち着いた生活に戻っていった。
棋院の事務局は少し複雑そうな顔をいていたが、僕や和谷くんは進藤が復調し、以前のような明るさを取り戻したことの方がよっぽど嬉しかった。

それからしばらく僕らの周りは静かではあったのだが──

先週になって、突然進藤が脚本を持って帰って来たのだ。
どうしたのかと尋ねると、何でも以前カード会社のCMを撮った監督がひどく進藤のことを気に入っていて、あのCMの続編を是非また撮らせて欲しいと頼んで来たらしかった。
一旦は進藤も断ったらしいのだが、あまりに熱心に頼み込まれて、最後には土下座もせん勢いだったらしく、見るに見かねて引き受けてしまったらしい。
一瞬渋い顔をした僕に、進藤は慌てて「オレは今仕事の薄い時だから! 大丈夫だって!」と弁解した。




それにしても、オレの何がいーんだろうな。




そう言いながら、進藤はサイドライトの下で、ハラリと音を立てて脚本を捲った。

「……解ってないな」
「何が」
「キミの、自分の魅力」

僕が横になったまま眠たい目で視線だけ彼に向けてそう言うと、彼は一瞬だけ目を見開いて僕を見つめ、ハッ、と小さく溜息のように鼻で笑った。

「そんなもん、わかんなくていいよ」
「何故」
「自分になんてキョーミねえし」
「……またそういうことを」
「そんなことよりさ」

進藤はそう言いながら脚本を閉じて、勢いよくベッドの向こうに放り投げた。
脚本は、放物線を描きながら空を舞い、バサリと音を立てて床の上に落ちる。











「お前こそ、もー少しキョーミ持ったほうがいいと思うぜ」
「……は?」



「他人に」



















「そうしないと、多分その囲碁教室を辞めた男の子の気持ちっての、一生わかんないぜ」