07-4.1






「うわー、何だよこの写真〜!」
「うーんとコレは……ああ、確か幼稚園の入園式の後にウチに遊びに来てねえ」
「じゃあ、4歳くらい? すっげーカワイイ!」
「だろ? ご近所でも評判だったんだよ」
「そうなの?」
「うん。『塔矢先生の子供さんは小さな小町さんだね』なんていってさ」
「小町って何?」
「うーんと、…まあ簡単に言うと『町で評判の美人さん』って意味さ」
「アハハハハハハ!! 4歳で『評判の美人さん』!!」




矢部先生が出してきた古いアルバムには、塔矢の小さい頃の写真がたくさん入っていた。
先生は囲碁・釣りに加えて写真も趣味らしく、よく遊びに来ていた『小町ちゃん』の写真を撮っていたらしい。
先生は短い顎髭をさすりながら、写真の中の塔矢を楽しそうに語ってくれた。
『小町ちゃん』の写真はどれも無邪気で本当に可愛らしく、オレは1枚1枚先生の語る思い出話に夢中になっていた。

オレの知らない頃の塔矢。
どんな子供時代を過ごしていたのだろう。




「ねえ、この頃の塔矢って、もう囲碁やってたの?」
「もちろん。この頃から僕はよくお相手をさせてもらっていたよ」
「え、4歳で?」
「だって、彼は2歳から囲碁をやってるからね」
「2歳!?」


2歳。
2歳って。まだオムツも取れてるか取れていないかの赤ん坊じゃないか。
オレは驚いて思わず大きな声を上げてしまい、写真の中の小さな塔矢を凝視した。


「2歳……って。だって、まだ言葉とかわかんないんじゃ…」
「まあ、それはね。難しいことまではわからないだろうけど。
 でも碁石を持って盤の上に置くことくらい出来るだろう?」
「でも」
「赤ちゃんが積み木やぬいぐるみで遊ぶ。それが彼の場合は碁石だった、というだけさ」



先生はそう言うと、ズズっと音を立ててお茶を飲んだ。
「少し冷えてるね」といいながらお湯を入れに急須を持って台所へ行ってしまった。

2歳の頃から、碁石を持って。
積み木やぬいぐるみで遊ぶこともなく。
ただただ、ひたすらに、一途にこの十九路の碁盤の上に石を並べてきた塔矢。









……そりゃあ怒るよな。

塔矢と初めて会ったばかりの頃をオレはなんとなく思い出していた。
囲碁を何もわかっていなかったオレは、塔矢の前でとんでもない暴言をたくさん吐いてしまったのだ。
塔矢はそれに対してなんだかムズカシイ言葉をたくさん並べて激怒したっけ。

だって、アイツの世界は囲碁が全てだったんだから。



囲碁を否定するということは、アイツ自身を否定することと同じ意味だったんだ。















オレがそんなことを考えているうちに、矢部先生は急須を持って再びこたつに戻ってくる。
オレと自分の湯飲みにお茶を足すと、ドッコイショと言って腰を下ろした。


再び、先生がズズっとお茶をすする音だけが響く。



オレが先生の様子を窺いながら、口を開こうかどうしようか悩んでいた時に、先生が湯飲みを手にしながら話し出した。



「アキラくんはねえ、本当に小さい頃から毎日毎日囲碁を打っていてね」
「はい」
「まあ、父親が行洋くんだからね。仕方のないことだとは思ったけど」
「……」
「あの子は本当に小さい頃から優しくて、賢い子だったから」
「……」
「お父さんの『期待』が無意識のうちに分かっていたんだろうね」
「……」
「だから『外で友達と遊びたい』とも言わなかったし、『あのオモチャ買って』なんて駄々も親に言ったことがないんだよ」

先生はそこで一旦言葉を切って、再びお茶をズズっと飲んだ。
オレは、アルバムの中の塔矢に目を落とす。

小さい塔矢は確かに笑顔でそこにいた。


「彼はね、確かに囲碁は好きなんだよ。
 でもねえ、本当は……。いや、こんなことを言ってもどうにもならないことなんだけど」
「……なに?」
「彼があの家で生まれて、囲碁を全てとして育ってしまって。
 もしかして、そのことによって彼の『可能性』を奪ってしまったんではないかってね」
「……可能性」
「もしかして、囲碁以外のことに素晴らしい才能があったのかもしれない。
 もしかして、本当は小さい頃、もっと同年代の友達と遊びたかったのかもしれない。
 もしかして、もっともっと他に、やりたいことがあったのかもしれない。
 他に興味を持つことがあったのかもしれない」
「……」
「でも、その可能性を周囲が奪ってしまったんだねえ。
 彼に、囲碁以外のことや、他人に興味を持つきっかけを、我々が奪ってしまったのかもしれないね」
「……」

先生は、ふと窓の外に目をやった。庭にある小さな細い木から、葉がチラチラと散っていく。


「この間、久しぶりに行洋くんが来てね」
「塔矢先生が?」
「うん。今帰国してるだろう。それで、その話をしてたんだよ」
「……」
「台湾の子供たちとたくさん打ったそうでね。小さい頃のアキラくんのことを思い出したみたいで。
 『アキラには悪いことをしたな』って」
















『……悪いこと?』
『はい』
『何故そう思うんだい』
『台湾に行って…向こうの子供たちとたくさん打ちましてね。
 同じくらいの歳の頃のアキラのことをふと思い出しました』
『うん』
『私は…あの子には碁を教えた。あの子が素晴らしい才能を持っていると思ったから』
『うん』
『でも、それ以外は…どうだったかと、考えたんです』
『それ以外』
『囲碁を教えることはした。では、それ以外にあの子に父親らしいことをしてやれていたのだろうか、と』
『アキラくんはいい子じゃないか。礼儀正しいし、何よりも優しい』
『でも、あの子はどうも囲碁以外のことには関心が薄い所があるような気がするのです』
『ほう』
『例えば、囲碁以外で好きなものはあるのか』
『……』
『モノに対してだけじゃない。あの子は、他の人の、感情の機微にも関心が薄いのかもしれません』
『……』
『それは、おそらく他人に……自分の目指すべき囲碁とは繋がっていない他人には、興味がもてないからなのでしょう』
『……』
『世界は、囲碁だけではない。囲碁以外にも学ぶべきことはたくさんあるんだ。
 私はそれをきちんと教えてやれなかった。
 囲碁は孤独な闘いです。あの子はこのままではたった一人で、これからも囲碁の孤独な世界で闘っていかなくてはならない』
『……』
『そして、何よりもアキラをそういう風にしてしまったのは、私自身なのだ、と』
『行洋くん』







『私のエゴなんです。アキラは』