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07-4.5
「ああ、進藤くん進藤くん進藤くん!」
オレが出版部の入り口に顔を出した途端に、一番奥の席にいる天野さんが大声でオレの名前を呼んだ。
それと同時に一斉に部屋にいた出版部員全員が、スゴイ勢いでオレの方を振り返る。
その振り返る風圧だか迫力だかに思わずオレは押されて、2、3歩ヨロヨロと後退してしまった。
オレのことを凝視する出版部員の人たちのあまりの形相に、オレは頭の中で走馬燈よろしく様々なことを思い返す。
今度、オレは何やっちゃったかな。最近はあまりハメ外すようなことはしてないはずだし先週の締め切りだってキチンと守ったよな誤字脱字で随分天野さんにお小言言われたけど対局?対局のことかなでも先週は確か全勝してるしとくに変な棋譜もなかったしああもしかしてCMのことかなやっぱりアレ受けたのまずかったかなでも事務局の前でオレより年上の人を土下座させるワケにはいかないしオレ結構あの監督さんオモシロくて好きだったし何か今回は共演の役者さんがいるらしくて芸能人に会えるラッキー!みたいな感じで結構その場のノリで安請け合いしちゃったのがやっぱり天野さん的にはあんまり面白くなかったのかなどうしよう、他に何か思い当たること思い当たること…………………………………
「進藤くん!」
「ハイ!?」
オレが走馬燈を巡らせているうちに、いつの間にか天野さんが何やら大量の紙の束を持ってオレの目の前にたっていた。
オレが我に返って返事をすると、ちょっといいかなといいながらオレの手を引いて出版部の奥にある会議室へと入っていった。
オレを椅子に座らせると、天野さんは紙の束を机の上に置き、また外に出ていってしまう。
何だろうか。今日は確かただ原稿を受け取るだけだったはず。
何かあったのかな。
何か……
「おまたせ」
天野さんはコーヒーを手に戻ってきた。
オレの前にコーヒーを置くと、乱雑に置いてあった紙の束を整理し始める。
オレの目の前で広げられるそれは、どうやらFAX用紙で。
そして何かの棋譜のようだった。
「これ……」
「えーと右から順番に、かな。…何の棋譜かわかるかい?」
オレは言われた通り右から順番に棋譜を手にし、石の流れを目で追っていく。
どちらも酷く力強い、力と力のぶつかり合いのような凄まじい碁。
これは。
「……今日の名人戦第6局?」
「そう。…まあ分かると思うけど、黒が」
「芹澤先生」
オレが即座に返すと、天野さんは声に出しては返事をせず、ただ軽く頷いた。
……ということは当然白が。
「…………」
「どうだい?」
緊迫した静かな空気が狭い会議室の中に流れる。
ただパーティションで区切ってあるだけのこの部屋には、外の音がよく入ってくる。
ひっきりなしに続く、電話の鳴る音。FAXを受信する音。パソコンのキーボードがカタカタとなる音。部員達の話し声。かすかに「塔矢が……」なんて声が聞こえる。
最後の一枚のFAXに手が伸びる。
終局。
結果は。
「……塔矢、ダメだったのか」
「うん」
天野さんはオレが棋譜を見終わったことを確認すると、部屋の緊張が解けたことに安心したのかフーっと大きな溜息をついて深く椅子にもたれた。
「煙草いいかい?」と言ってオレが頷くのを確認すると、胸ポケットから煙草を取り出して口に銜えた。
「……昨日の第1日目は悪くなかったんだけどね。持ち時間も塔矢くんの方が多く残していたし」
「……ココが」
「うん?」
オレが大量にあるFAXの中の一枚を取り出して、黒の一手を指し示す。
「この一手がすべてだったね。……スゴイ、いい一手だ」
「確かにね。さすがは三大巨頭、芹澤名人だよ。
そう易々と、いくら塔矢くんでもタイトルを渡しちゃくれない」
天野さんはオレが取り出したFAXを見ながら、フーッと白い煙を吐いた。
その目は、どこか楽しんでいるような感じさえする。
「なんか天野さん、塔矢負けて嬉しそうだね」
「ま、まさか! そんなことはないよ」
「そうかな」
「僕は一記者だからね。誰が好きとか嫌いとか、誰の応援だとか。そういうのはないよ」
「そうなんだ。塔矢のファンだと思ってたけど」
オレが茶化すようにそう言うと、天野さんはゲホゲホと煙草の煙を吐きながら盛大にむせた。
「……確かにね、塔矢くんの打つ碁は好きだよ。真っ直ぐで力強くて。
そして何より今回は『あの』名人戦に挑戦してるんだ。楽しいに決まってるさ」
「……そんなに好きなのに負けて嬉しいの?」
「だから、嬉しいとかそんなことはないよ。ただね、純粋にこんなすごい対局が、
塔矢くんの名人戦がもう1回見れるんだ、と思ったら嬉しくなっただけさ」
まあ、当人にとっちゃエライ迷惑だろうけどね。
そう言って天野さんは煙草を灰皿に押しつぶすと、コーヒーに口をつけた。
「まあ、そんなことはいいとしてさ。
進藤くんから見て、この塔矢くんの一局どう思う? その意見が聞きたかったんだ」
「……それって、取材として聞いてるの? それとも天野さんが個人的に聞いてるの?」
「個人的。一塔矢ファンとしての個人的な質問さ」
そう言って天野さんは手にしていたボールペンをくるくると回す。
何かを聞き出したい時にする、天野さんの癖だ。
相変わらず上手いな。前に、マネしようとして練習したんだけど、上手くいかなくて止めたんだっけ。
「……べつに、いい碁だったと思うよ。塔矢らしいし、力強さもあるし」
「ほう」
「ただ、この一手を打たれてからが──。
時間もなくて焦っていたのかもしれないけど、この後が少し塔矢らしくない気がする」
「塔矢くんらしくない?」
「まだ諦めるには早いっていうか。
生き残る道を探して探して必死になっているウチに迷い込んじゃった、みたいな感じがする」
「ほほう」
「落ち着いて探せばあったのに。どうしたんだろう」
「……何か、考え事でもしてたのかな」
「え?」
天野さんの返答に、オレは思わず棋譜から顔をあげて聞き返す。
天野さんは変わらずボールペンを回しながら続けた。
「いや、ホラ、進藤くんが『塔矢くんらしくない』って言うから。
いつもは冷静沈着な彼が珍しく取り乱す、ってことは何か気の散るようなことでもあったのかな、って」
「……」
「それかいざ『名人』の王手だと思ったら、思わず緊張してしまったか」
「緊張?」
「何てたって、お父さんの持っていたタイトルだからね。何としても獲ろうとして焦っちゃったんじゃないかなあ」
お父さん。塔矢のお父さん。塔矢先生。
『私のエゴなんです。アキラは』
さっき、矢部先生から聞いた塔矢先生の言葉が頭の中に蘇る。
いつまでたっても、塔矢先生を引き合いに出される塔矢。
そしてそんな塔矢を、父親として後悔している塔矢先生。
どうして上手くいかないのかな。
塔矢先生は、そして塔矢も、お互いのことをすごく大切にして、そしてすごく尊敬しているのに。
「なんかこの白の一手とかさ」
天野さんがそう言いながら、一枚のFAXをオレの前に差し出す。
「なんだか他の石との流れを見失ってしまってる感じがするんだよね。
……なんていうのかな、孤立無援っていうか」
「孤立無援?」
「孤独ってことさ」
『僕は、キミにはアキラくんにの傍に居て欲しいんだ』
今度は矢部先生の言葉が頭に蘇る。
棋譜の中の白石に目を落とす。
孤独な白石。
塔矢。
お前、今、どうしているの?
声が聞きたい。
「ね、天野さん」
「うん?」
「塔矢って今何してるのかな? 電話とかしちゃダメ?」
「ああ、今頃の時間はまだ検討中だと思うよ。その後も取材とか色々、深夜まであるだろうし。
明日、家に帰って来るんだろう? その時まで待ってあげた方がいいんじゃないかな」
「………オレ、明日から3日間いないんですよ」
「あれ、何か対局入ってたっけ?」
天野さんはそう言って手元の分厚いスケジュール帳をバラバラと捲る。
その拍子に、手帳の間に挟んであったのか、名詞やらメモやらがバラバラと床に落ちていった。
おっとっと、天野さんは床にかがんで拾い出す。一緒にオレも床にかがんで、手伝いながら答える。
「CM撮影です。四国の方で」
「CM……あー、あのカード会社の!」
「そ」
そう言ってオレは落ちたカードを天野さんに渡す。
偶然その一番上が、オレがCMをしているカード会社のカードだった。
「そうかあ、じゃあ塔矢くんとは入れ違いだね。
……でもまあ、帰ってすぐよりは、少し塔矢くんも頭を冷やせていいかもしれないよ」
「……」
「それに、まだ次の第7局までは一週間近くあるワケだし」
天野さんはそう言うと、じゃあ今日の秀策全集の原稿持ってくるからと言いながら会議室を出ていった。
タイミング悪いな。
肝心な時に傍にいれないでやんの。
ごめんね、塔矢先生。
ごめんね、矢部先生。
ごめんね、塔矢。
『僕は、キミにはアキラくんにの傍に居て欲しいんだ』
でも、オレは。
誰か──オレの代わりに。
オレの代わりに、塔矢を暖めてくれるものがあったらいいのに。
塔矢を暖めてくれる人がいたらいいのに。
でも。
もしも塔矢が他の人に抱きしめられていたら。
抱きしめていたら。
そしたらオレは、どうするのかな。
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