08-2





「ふー……っ」



部屋から出て、思いっきり伸びをする。
オレはあまり肩凝りとかある方ではないけど、それでも長時間碁盤の前に座っているとさすがに固くなる。
首元でポキポキと骨のなる音が聞こえた。

あー…今何時だろ。腹へったな……

「……って、うわっ!!!」
「ただいま」


オレは、居間のソファーに一人で座っていた塔矢に驚いて、思わず大声を上げてしまった。
そんな驚いているオレを無視するように塔矢はオレの横を通り過ぎると、台所にお湯を沸かしに行った。
オレは台所にいる塔矢を横目で見つつ、ソファーに腰を下ろす。

「お前、帰って来てたんなら声くらいかけろよ」
「……邪魔しちゃ悪いと思って」
「……あ」


そうか。




オレが、「打って」たから。








その後何も言い返せなくなったオレは、傍にいたアキラ(猫)を膝の上にのせて、なんとなく気まずくなったその場を凌ごうとした。
アキラ(猫)は、ゆっくりと撫でると気持ちよさそうな声を上げた。

シンと静まりかえった中、塔矢がお茶の入った湯飲みを二つもってソファーに戻ってくる。
塔矢は相変わらず姿勢良くソファーに座ると静かにお茶を啜った。

良かった。そんなに機嫌が悪いというワケじゃないみたいだ。
オレはそう判断すると、アキラ(猫)の頭を撫でながら塔矢に話しかけた。


「オレ、今日はお前帰って来ないのかと思ってた」
「何で?」
「だって、おばさんが電話かけてきて、それに呼ばれてお前が実家へ帰るのって珍しいと思ってさ。
 ……もしかして、塔矢先生に何かあったとか?」


オレは少し不安になって塔矢に尋ねた。
確か塔矢先生は先週から日本に帰ってきているはずだったし。



「いや、父は元気だよ。今日は矢部先生の所に行っていたみたいだし」
「そっか。じゃあ、おばさんに何か?」
「……別に、大した用じゃなかった」
「…ふうん」

塔矢は少し俯いて、低い声で呟いた。
塔矢本人は、自分のことを冷静沈着だなんて思っているのかもしれないけど、コイツは案外感情が表に出やすい。
おそらく本人が思っているよりも、ずっと情熱的で激情家だ。
怒っているのも、喜んでいるのも、悲しんでいるのも。
機嫌がいいのも、悪いのも。
オレは見ればすぐにわかる。

お前って、自分が思っているよりもスッゲー顔に出やすいんだぜ。

それって知ってるのかな。塔矢。






……今日の塔矢は、機嫌は悪くないけど、すごく疲れている。
たぶん実家で何かあったのだろう。
お母さんんとケンカでもしたのかもしれない。
それとも、塔矢門下の人とモメたとか。
また何か棋院絡みで面倒ごとを頼まれているとか。
『名人』だもんな。オレも一応一つタイトルを持っているから、解るよ。
色々あるよな、実際。

でも、ココはオレが突っ込んで質問するよりも、塔矢が話してくれるまで待った方が良さそうだな。

オレはそう決めて、話題を変えようと試みた。



「そういえば、明日、覚えてるよな」
「何が?」
「だから、朝10時に東京駅」


東京駅?
キョトンとした顔で、塔矢は首を傾げた。

「あーっ!! お前忘れてるだろーっ!!」
「だから何が」
「社迎えに行くの!! アイツ、明日仕事で東京来るって!
 会うの春以来だし、一緒に迎えに行ってやろうって言ったじゃん!
 オレもお前も明日オフだしさ!
 で、アイツもその後3日間くらい休みだから、ウチに泊まって遊ぼうって!」
「………あ」


塔矢は漸く頭の中で過去の色々な事項が繋がったのか、しまったという顔をした。

そう、明日は社が東京に来るのだ。

社に会うのは、あの5月の北斗杯の後、オレがアイツの家に押し掛けて以来のことだった。
時折メールで連絡を取ったり近況を知らせたりはしていたものの、会うのはまさに半年ぶり以上。
基本的に運営が異なる日本棋院と関西棋院では、大きな棋戦以外で関西棋院所属の棋士と打つことはほとんどない。
だから、社とは未だに公式戦では当たったことはなかった。
一度だけオレと社は地方のイベントの仕事で一緒になったことはあったけど、それ以外で顔を合わすことはなかった。



付き合いは長い割に、東京と大阪という距離もあって、あまり顔を合わすことはないのだけれど。
その5月に関西に行った時に、社とはちょっとだけ色々とあって。




アイツは、オレの中で少しだけ特別な位置にいる。
















そしてそれを、塔矢は知らない。

















「……すまない。忘れてた」
「ホンット、囲碁以外には薄情だなお前の脳みそは」
「……キミに言われたくないよ。
 でもごめん。東京駅には行けなくなった」
「はあ? 何で」


オレが聞き返すと、塔矢は一瞬目を泳がせた後にお茶を一口飲んで、再び何事もないように話し出した。


「急な仕事が入ったんだ。でも、夕方には終わるから。
 すぐに帰るよ。一緒に食事でも行こう」
「……」










嘘だな。





多分今日実家で何かがあって、その事に関係していることだろう。
ホント、お前ってわかりやすいよ、塔矢。




でも、今日はお前に免じて許してやるよ。

だって、明日は。









ふと、塔矢の背後にある壁時計が目に入った。
12時10分。










「あーっっっっ!!」
「な、何だ!?」
「12時過ぎてるー!!!」
「???」




何だよもう! 12時キッカリのタイミングで出して驚かそうと思ったのに!
オレはアキラ(猫)を塔矢の方に放り投げて慌ててソファーを飛び降りると、台所へと走っていった。
塔矢は一体何事かと目を白黒させている。

そして。


塔矢に見えないようにオレは冷蔵庫からあるモノを出すと、台所の側にある部屋の電気のスイッチを押した。
電気が落とされた部屋は、突然真っ暗な闇に包まれる。

「な、何!?」
「ミャー」

塔矢とアキラ(猫)が驚いて同時に声を上げた。
オレは急いでそのあるモノに火をつけて、転ばないようにゆっくりと塔矢のいるソファーへと向かった。

「………あ」


オレがゆっくり運んできたそのあるモノを見て、塔矢は小さく声を上げた。
オレは落とさないように、ゆくりとテーブルの上にそのあるモノを置く。

こっそりと塔矢の顔を覗き見ると、そのあるモノを見つめたまま塔矢の顔は驚きで固まっていた。


「…進、これ」
「たんじょーびケーキ。もう14日だろ? お前、今日誕生日だろ」
「…あ」
「それも忘れてたのかよー。ホンット薄情だなー。
 ホントは12時キッカリに電気消してさ、ビックリさせようかと思ってたんだけど。
 色々話しているうちに、過ぎちゃったよ」


まだ若干固まったまま蝋燭の炎の揺れるケーキを凝視している塔矢を、オレは「早く火ィ消せって!」と急かした。
オレにそう言われると、塔矢は我に返ったように慌ててフーッと息を吹きかけて19本の火を消した。

「やったーっ!! おめでとー!!」
「………」

オレは呆然としている塔矢を見ながら盛大に拍手をした。
ちょっと時間は遅れちゃったけど、これだけ驚いている塔矢を見られたんだ。作戦は概ね成功と言っていいだろう。

「なあ、ケーキ食おうぜ」
「え、ああ、うん」

オレは包丁を取ってくると、ケーキから蝋燭を抜いて刃を差し入れた。
オレ、こういうのあんまり器用じゃないんだけど。
でも今日はオレが切ってやろう。なんてたって、コイツ誕生日なんだし。
ケーキなんて食うの、久しぶりだな。
あかりから教えて貰った、青山のナントカって店の結構有名なケーキなんだぞ。
ショートケーキが美味しくて有名だって。やっぱり誕生日ケーキっていったらショートケーキだろうし。




……ケーキか。





……いいこと思いついた。








「なあ」
「え?」
「お前も一緒に切る?」
「は?」
「ホラ、『ケーキ入刀』ってヤツ」




結婚式であるだろ。
オレが笑いながらそう言うと、最初は意味がわからなくて呆然としていた塔矢だが、瞬く間にみるみると顔を赤くした。


「な、ななな…っ」
「ホラ、やろうぜ」
「………っ」

なに耳まで真っ赤にしてんだよ。
ホント、お前ってわかりやすいヤツだよな。

オレはいつまでもモジモジしている塔矢の手を無理矢理とると、アイツに包丁を握らせて、その上からアイツの手を包み込むようにオレの手を重ねた。


「ケーキ入刀〜〜。二人の初の共同作業でーす」


オレは笑いながら結婚式の司会者のマネをした。
身体が密着しているせいか、塔矢のサラサラとした髪の毛がオレの頬にあたり、少しくすぐったかった。





塔矢の手、あっつい。
お前、手まで真っ赤になってんの?










そのまま二人で綺麗にケーキを六等分すると、オレは包丁を置いて、ケーキを取り分ける皿を取ってこようとソファーを離れようとした。



その時。











































部屋の景色が反転する。目の前の視界が、いつの間にか塔矢の顔でイッパイになっている。
気が付くとオレは、ソファーの上に見事に押し倒されていた。


「……まだケーキ食ってないんですけど」
「後ででいい」
「アレ、ナントカって有名店のケーキなんですけど」
「わかった」
「オレ食うの楽しみにしてたんですけど」
「わかったから」
「……お前、ソファーでヤるの結構好きだろ」
「もう黙って」


塔矢の声が切羽詰まった感じのモノに変わり、塔矢の顔が近づいてくる。
オレは思わず、近づく塔矢の顔を右手で遮った。

その右手には、先程ケーキを切った時についた、白い生クリームがついていた。




「……味見する?」






オレが意地悪くそう尋ねると、塔矢は一瞬驚いたように目を見開いた後、フ、と少しだけ笑って目を細め、オレの指についた白い生クリームを舐め取った。
塔矢の柔らかい赤い舌がオレの指を這い、生クリームを綺麗にその舌に溶かしてゆく。
すべて綺麗に舐め取ると、塔矢は自分の唇を少しだけ舐めた。


「……甘い」
「そ?」
「キミも味見するかい?」


今度は塔矢が酷く意地悪な顔をして、尋ねてくる。
オレが肯定も否定もする前に、塔矢の唇がオレの唇の上に降りてきた。


「………んっ…」


いつもより深い、長いキス。
クチュリ、と濡れた水音が耳に響いた。
暫くして塔矢の唇が離されると、今度はオレが自分の唇を舐めた。

いつもとは違う、キスの味。



「……ホントだ、甘い」
「だろ?」
「でも、オレ結構好きかも」




さっすがあかり。オレがそう言って笑うと、塔矢も優しい顔で笑った。
暫くそうして二人で笑い合った後、塔矢の顔が再び降りてくる。
また、唇が重なる。

深い、深い、キス。

























ホントお前って、顔にも出やすいけど、行動にも出やすいっつーか。
そんなに喜んでもらえて嬉しいよ。





ホントにお前は、昔からわかりやすくて。
自分が思っているよりもずっと情熱的で、激情家で。









ねえ、塔矢。
お前はさ、たぶんオレのこと単純明快でわかりやすいヤツ、だなんて思ってるんだろうけど。






オレはお前よりもずっとずっとズル賢くて、色々隠すのが上手いんだよ。

お前が気が付いていないだけで。









オレは嘘吐きだから。




























オレの嘘がバレたら。
お前はオレを許してくれる?


































塔矢に抱かれている横目で、オレはテーブルに置いたままのケーキを見た。
ああ、このままにしておいたら乾いちゃうな。

そんなことを頭の片隅で考えていた。