08-03






「社!」


新幹線から降りてきた社に、オレは大声で名前を呼んだ。
アイツ、背が高いから人混みの中でもすぐ見つかるんだよな。
名前を呼ばれてキョロキョロとしていた社だが、オレが「こっち、こっち」と言いながら手を振ると、漸くオレに気付いて走ってきた。

「悪いな、ちょっと遅れたわ」
「ううん。久しぶりだね」
「おう」

社は白い息を吐きながら笑った。オレも社に久しぶりに会ったのが嬉しくて、隣に並んで歩きながら笑った。

今日は12月14日、快晴。
晴れてはいるものの、「今年の冬一番の寒さ」と天気予報のお姉さんが震えながら伝えていた。
確かにいつもよりかなり冷え込んでおり、刺すような寒さだ。
でもオレはいつも冬になる度に思うのだけど、寒ければ寒い程景色が透き通っていて、遠くまで見えるような気がする。
キンと冷え切った緊張感の中、遠くまでピントが合って見える景色。
それが東京の都会の景色でも、オレは綺麗だなと思う。
だからオレは夏生まれだけど、昔から冬は嫌いじゃなかった。

遠い昔、アイツにそう言ったら「私も好きですよ」と言って笑ったっけ。




「ホンマすまんな」



オレがそんな物思いに耽りながら電車の窓の外を眺めていた時に、社が言った。

「何が?」
「いや、お前今日休みやったんやろ?
 それなのにわざわざ迎えに来てもろて」
「ううん。だって、オレも今日このまま出かけるから。そのついでだよ」
「……その、アレか?」
「うん。でもすぐ終わるから。
 だからオレもその後棋院に行くよ」
「いや、別にええって。家に帰っとけって。地図書いてもらえればわかるから」
「んなこと言って、道に迷ったらどーすんだよ」
「心配いらへん。オレはお前とは違うしな」

昔は塔矢ん家行くにも迷ってたよなあ地図あったのに、と言って社は笑った。
それにムッとしたオレがふくれていると、「スマンスマン」なんて言いながら人の頭をよしよしと撫でてきた。
まったく。同い年のくせに、人のこと子供扱いしてさ。

でも、オレは社のそんなところは嫌いじゃなかった。
むしろ、一緒にいると塔矢や和谷とはまた違った意味でホッとした。

何でだろう。何でだろうなあ。



──他の誰も知らないオレの秘密を、コイツが少しだけ知っているせいかもしれない。






オレの秘密を。








+++++++



社が日本棋院での仕事をしている間、オレは別の場所での用事を済ませて棋院に戻ってきていた。
棋院の1階のロビーで待ち合わせってことだったけど、まだ時計は午後3時過ぎだった。
確か、4時頃には仕事が終わるって言ってたっけ。
時間を持て余したオレは、一般対局室でも覗いてこようかと思い、2階の階段に向かおうとした時に売店のオバサンと大声で何やら話している人を見かけた。
オバサンはその人の話を興味深く聞いていて、時折大声で笑っている。
横に幅のある、体格のいい身体。
特徴的な丸い光る頭。
そして、よく通る大きな声。

オレがその後ろ姿を見ながら通り過ぎようとした時、その人の話を聞いていたオバサンが目敏くオレの姿を見つけて「あら進藤先生!」と大声で名前を呼んだ。
すると、その人はオバサンの声につられるようにして、その恰幅のいい身体をクルリと反転させた。

「おや、珍しい! 進藤くんじゃない」
「……一柳先生」

元棋聖の一柳先生だった。
一柳先生は、今の碁界の中では桑原先生などと並ぶ大御所クラスの先生で、緒方さんに棋聖を奪われるまで、随分と長いことその座を保持していた。
たまたま今はタイトルを持っていないが、すでに来期の天元戦ではリーグ入りを決めている。
オレも塔矢も、そして緒方さんも、今はたまたまタイトルを保持しているが、いつ誰に奪われてもおかしくはないのだ。
倉田さんや緒方さんや芹澤先生といった人達が三大巨頭と呼ばれるようになり、オレや塔矢がさらにその下の若手の台頭と呼ばれるようになってきてから、碁界は混沌とした群雄割拠の時代となった。
この前、たまたま会った桑原先生が「今の碁界はオモシロイのぉ」とか言ってたっけ。

だから。
かつては塔矢も勝利をしたことのある一柳先生が、再びオレ達の前にいつ立ちはだかってもおかしくはないのだ。

「進藤くんってば!」
「あ、はい」
「なんだい、ボーっとしちゃって。オレの話、聞いてた?」
「あ、えーと。ごめんなさい」

んもう、進藤くんはコレだから困っちゃうよねえ、なんて言いながら一柳先生は大声で笑った。
一柳先生に掴まってしまったオレは、1階の休憩室に場所を移して、一柳先生の世間話に付き合わされていた。
一柳先生は大御所クラスの先生であるにも関わらず、誰にでも気安く声をかける、気さくな人だった。


……というか、単に「おしゃべり」なのか。



とにかく誰かとおしゃべりをするのが大好きな先生で、その相手は桑原先生だろうが塔矢先生だろうが、緒方さんだろうがオレや塔矢だろうが、新人の棋士だろうが一般対局室に来ていたお客さんだろうが、売店や掃除のオバサンだろうが。
とにかく自分の話を聞いてくれる人なら誰だっていいのだ。
だからオレは、一柳先生が一人でいるところをほとんど見たことがない。
いつも誰かしらと何かを周りに聞こえるくらいの大声で話しているのだ。
それは、碁の話であったり、棋士の話であったり。それ以外にも、最近世間で話題のニュースであったり芸能ネタであったり。
棋士同志のスキャンダル、みたいなネタも時々あったりする。
冴木さんがしげ子ちゃん(森下先生の娘さんで、今は確か高校生だ)と付き合っていることを暴露されたり(森下先生は一柳先生からその話を聞いて初めてその事実を知り、それはもう大変だったらしい。冴木さんはその後もちろん森下先生に呼び出されてこれまた大変な目にあったらしく「きっと赤鬼って実写化したらあんななんだろうな」などと窶れた顔で言っていた)、女流棋士の奈瀬が医学生(元院生だった飯島さんなんだけど)と付き合っていることを暴露されたり。
とにかく一柳先生のこの「おしゃべり」はすごくって。
影で「歩く碁界の芸能デスク」などと呼ばれるくらいだ。
棋士たちは一柳先生の前ではとにかく用心していたのだ。



棋士同志のスキャンダル、か。


オレと塔矢が一緒に暮らしていることは、とっくに公にはなっているけれど。

もし、本当のオレと塔矢の関係がバレたりしたら。








そして、オレがやってきたことがバレたりしたら──。










オレは、どうなってしまうのかな。










「……でね、進藤くん」
「ああ、はい」
「またボーッとしてただろ。疲れてるのかい?
 ああ、アレ? また芸能記者みたいのに追っかけられたりしてんのかい?
 あのCMいいよねー、娘がキミのファンでさ!
 相手役の…えーと、加賀なんとかって俳優サンのことも好きになっちゃって!
 んもー大変なんだよ〜。
 キミもまだ若いんだからさー、こんなことで根をあげてちゃダメだって」
「はあ」
「仕事なんかバリバリこなしちゃってさ! 彼女だっているだろ? 一人や二人」
「……一人や二人って」
「いないの? 彼女」
「……彼女、はいませんけど」

えー! いないのかい! と一柳先生はこれまた大きな声で驚くと、丸い目をますます丸くした。
……女性にこーゆー質問をすると、よく「セクハラだ!」なんて言われるけど、男には「セクハラ」にならないのかな。
オレは知らず深い溜息をつく。
それを見た一柳先生は何を勘違いしたのか、とてつもないことを言った。

「ダメだよ! 彼女くらい作らないとさ! いい碁が打てないよ!」
「……はあ」
「ホラ、キミと同期の和谷くんだって今度結婚だろ?
 森下くんがなんやかんやと言ってたし。ああ、彼んとこも大変だよねえ。
 冴木くんが娘さんに手ぇ出しちゃうからさあ。
 でもねえ、和谷くんも冴木くんもさあ、イイ碁打つようになったじゃない!
 やっぱり仕事の活力には恋は必要だよ!
 わかる? 進藤くん」
「……はあ」
「塔矢くんもさ、ホラ、今日お見合いだっていうじゃない。
 毎朝新聞の社長令嬢だって! 年上らしいんだけどねえ、美人って噂なんだよ。
 キミもいつまでも塔矢くんと一緒に暮らしてる場合じゃないよ。
 早くそーゆー相手見つけなきゃ!
 キミくらいカッコ良ければいくらでも選べるって!」

ウチの娘なんかどうだい? と言って一柳先生はまたガハハと大声で笑った。






























































お見合い?



























































誰が?



























































誰と?



























































その時、一柳先生のケータイが流行りの着メロに合わせてブルルと震えた。
あーごめんね進藤くんまたね! などと言いながら、一柳先生はケータイに出ながら足早に休憩室を去った。






一人休憩室に取り残されたオレは、冬の日差しが差すテーブル呆然と眺めていた。




すっかり冷めたコーヒーが、妙に鬱陶しく思えてならなかった。