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08-4.1
「………」
「ア、アキラくん。
あの……今日は来てもらえただけでも本当に有り難いんだけど…
あの、もう少し……笑顔……というか、その」
「………」
笑顔なんかで座ってられるか。
僕は憮然とした顔のまま、今日のこのくだらない用事が早く済むことを祈っていた。
ここは都内某所の高級ホテル。
その中でもおそらく最高級クラスに値する、たかがお見合いにはあまりにも広すぎる部屋で、僕と今回のこの厄介な仕事を持ってきた張本人の柏田後援会会長がポツンと座って相手の到着を待っていた。
僕の父や母は、同席していない。
当初は母が「向こうさんのこともあるし、私だけでも同席した方が良いのかしら」と言っていたが、父は「アキラが決めなさい」と一言だけ告げた。
僕としては当初からお受けする予定の全くないお見合いに、わざわざ父や母に同席してもらう必要はないだろうと判断し、「大丈夫です」と告げた。
母はなんとなく心配そう(おそらくまた僕が無礼な態度を取るのではないかとヒヤヒヤしているのだろう)であったが、父は「そうか」と言って、それ以上は何も言わなかった。
隣で柏田会長が必死に額の汗を拭いている。
僕はそんな様子を横目に見つつ、大きな窓から見える美しい日本庭園に目をやった。
このホテルの日本庭園は、都内でもかなり有名な本当に美しいもので、僕はいつのまにかぼうっとその庭園に見とれていた。
透き通る程の綺麗な池に、鮮やかな色の錦鯉がゆらゆらと泳いでいるのが見えた。
「失礼します」
ホテルマンの声によって、室内のドアが開かれる。
その声で僕は意識を庭からこの部屋へと戻し、柏田会長は慌てて立ち上がった。
僕もとりあえずは、とゆっくり立ち上がる。
すると、ドアの向こうから背の高いやや細身の年配の男性と、鮮やかな美しい着物を着た女性がゆっくりと部屋に入ってきた。
「やあやあ、柏田くん。今日は急な話を悪かったね」
「いやいやいや、そんな。
アキラく……じゃない、塔矢先生もスケジュールを調整してくださってね」
柏田会長がそう言うと、その年配の細身の男性は視線を改めて僕へと向けた。
「ああ、塔矢アキラ先生。
今日は突然のお話で申し訳ありませんでした。
ご活躍、いつも拝見しております。お会い出来て光栄です」
「……こちらこそ、ありがとうございます」
僕とその男性は握手を交わす。
新聞社の社長と聞いていたから、僕はもっと、なんというか恰幅がよくて横柄な態度を取るような人ではないかと勝手に想像していた。
ところがその人はとても物腰が柔らかく、話す声も、握手をする時などの立ち振る舞いも、とても紳士的な人だった。
僕は、その人と握手を交わした後、ふと視線を感じた方に目をやった。
すると、今日の僕のお見合い相手であるその女性が、ジッと僕の方を見つめていた。
僕と目が合うと、にっこりとその女性は微笑んだ。
その女性も父親に似て細身でスラリとしていて、女性にしては背が高く進藤よりも僅かに低いくらいではないだろうか。
短い髪に、少し釣り上がった切れ長の大きな目。
さぞ高級であろう鮮やかなその着物に決して負けていない、美しい女性だった。
僕はその鮮やかな着物を見て、なんとなく先程見ていた池を悠々と泳ぐ錦鯉を思い出していた。
「まあまあ、塔矢先生も、お嬢様もお座りになって。
えーと、まずは簡単なご紹介を私の方からさせていただいて。
それでですね、もう私共年寄りはサッサと退散いたしますから。
あとはお若い方同士で、ね」
柏田会長は汗を拭きつつ、一同を座らせて僕の紹介を始めた。
「えーとですね、こちらは塔矢アキラ先生。
まだお歳は19歳と大変お若いのですが、ご存じの通り今の碁界の新たな担い手としてご活躍なさっています。
先日、ついに名人位をお取りになりまして。その他にも、十段位を持っていらっしゃいます。
まさに、今の碁界のトップを走っていらっしゃる方です。
お父様は皆様ご存じの通り、あの一時代を築き上げられました塔矢行洋先生でいらっしゃいます。
まー…なんというか、アキラ先生に関しては、私の方から改めてご説明申し上げなくても、
皆様十分ご承知でしょうし……ねえ?」
そう言って柏田会長は僕の顔を覗き込む。
そんな事僕に聞かれてもわかるはずなどもなく、曖昧な返事をした後に「塔矢アキラです」と軽く頭を下げた。
顔を上げると、向かいの席に座っていた女性とふと目が合う。
女性は、再びにっこりと微笑んだ。
………?
僕は、再びその女性の笑顔を見てふと遠い既視感のようなものを覚える。
……遠い昔、どこかで会ったことがあるような……。
もう一度女性の目を見ると、女性はまたにっこりと微笑む。
また頭の中の記憶を呼び起こす既視感に襲われる。
やっぱり僕はこの女性とどこかで会ったことがあるのだろうか。
でもどこで? いつ?
まるで思い出せない。
僕は元々あまり人の顔を覚えるのが得意ではない。
進藤にそう言うと、「お前、他人に興味ないからなー」と返されたことがある。
確かにそうかもしれないが、でも僕はこの人と確かに会ったことがあるのだ。
一体どこで──。
「…………という、大変優秀なお嬢様でいらっしゃいます。
アキラ先生、大丈夫ですか?」
「は」
僕が記憶と格闘している間に、彼女の紹介は済んでしまっていた。
しまった、名前を聞きそびれてしまった。
名前を聞けば思い出せたかもしれないのに。
というか、名前もわからなかったら一体どうやって話しかけたら──。
「いやあ、でも今この経歴を拝見して気が付いたんですが、
アキラ先生とお嬢様は出身中学がご一緒でいらっしゃるんですね」
「え」
僕が思わず柏田会長を見ると、柏田さんは僕と彼女の経歴を二つ並べてウンウンと頷いていた。
「まあ、海王中学は名門ですからね。
アキラ先生もお嬢様も大変優秀な方でいらっしゃいますから、当然なのかもしれませんが…」
「あ、あの」
「お歳も2歳しか離れていらっしゃらないし。
ということはアキラ先生が中学1年生の時お嬢様は3年生でいらっしゃったんですね。
もしかすると、どこかですでにお会いしているかもしれませんねえ」
これってもしかして、運命の赤い糸ってヤツかもしれませんねえ、などと柏田会長は言ってワハハと笑った。
……2歳年上……
……海王中学……
……どこかで会って……
………。
「あ」
一気に記憶の回路が繋がった僕は、思わず大きな声を出して再び彼女を見つめた。
すると彼女は、昔と同じ切れ長の目でニコリと微笑んでゆっくりとお辞儀をした。
「日高由梨と申します。よろしく、塔矢先生」
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