4.9





進藤は、再び鍋をグルグルと掻き回し始めた。
鍋は、白い湯気をあげてグツグツと揺れている。

「早く鍋食っちゃおうぜ。鶏肉固くなっちゃうよ」

進藤は、そう言いながら社の小鉢を手に取って鶏肉をよそった。












進藤。


キミは。

















「お見合いは断ったよ」














進藤は、僕の静かな声に顔を上げた。
小鉢によそおうとしていた鶏肉が、ボチャンと音を立てて鍋の中に落ちた。
社も同じように僕を見上げる。

僕の声は、今度は震えていなかった。

解ったからだ。
何故、突然進藤があんなことを言い出したのか。
そうか。
どこからか僕がお見合いをすることを聞いて、それで何か勘違いをしたのか。


それなら話は簡単だ。
進藤の誤解を解くだけじゃないか。

僕は僕を見上げる進藤の瞳を見つめながら続けた。



「本当に偶然でね、中学の時の囲碁部の先輩だったんだよ。お見合いの相手。
 向こうも義理だったし、僕も後援会長の手前、断れなかったんだ。
 …キミに隠してたのは悪かった。謝るよ。
 でも言う程のことじゃないと思ってたんだ。
 だって」
「なんで」
「……え?」
「なんで断ったの?」



今度は、進藤の声がガタガタと震えていた。
僕を見つめていた大きな瞳は、グラグラと揺れている。
鍋の湯気も相まって、まるで泣いているかのように。


進藤。







どうして?












キミはただ、誤解していただけじゃないのか?


















だってキミは──











「…なんでって、だって僕が好きなのは」
「オレが? オレがいるから断ったの? オレのせい?」
「進藤」
「何してんの、お前。オレとお前なんて。
 よく考えろよ。オレたちは」






「進藤!!!」







僕はこれ以上進藤の震える声を聞くのがたまらず、再びまた大声で怒鳴っていた。
進藤は再び大きくビクリと震えた。

簡単な話だと思った。
ただ、誤解を解けばいつもの進藤に戻るって。
キミはただ、僕がキミに内緒でお見合いをしていたことに勘違いをして傷ついていたんじゃないのか?

何故、何故まだそんなことを言うんだ。


だって。

「キミが言ったんじゃないか。
 『ずっと一緒に打ち続けていこう』って。
 僕は嬉しかったんだよ。本当に嬉しかった。
 キミとこのままずっと一緒にいられることが本当に嬉しかったんだ。
 なのに何で急にそんなこと言うんだ。
 ……何があった?」



僕が静かな声でそう尋ねると、進藤は再び俯いてしまった。

その時。
今まで僕たちの様子を黙って見ていた社が、眉間に皺を寄せながらボリボリと頭を掻きむしり、「あ〜っもう!」と呟いた。
そして、座ったまま僕のことを見上げた。


「塔矢、あのな」
「社」
「お前は黙っとれ」

進藤が震える声で社を制そうとしたが、社はそれを一喝するとそのまま僕に向かって続けた。

「今日オレ仕事で進藤と一緒に棋院に行ったんや。
 そん時にな、こっちの色んな人たちと話したんやけど…。
 お前名人獲ったやろ。関西でもちょっと騒ぎになっとったけど、こっちの棋院は凄かったな。
 ホンマ、どこで誰に聞いても塔矢名人、塔矢名人。
 そらもう、ごっつい期待や。囲碁界の未来をしょって立つ男!みたいな感じやったで。
 ほんでな、コイツ、その間一柳先生に会うたらしいんや。偶然な。
 で、お前が今日新聞社の社長令嬢とお見合いしとるらしい、って聞いたんや。
 いつまでも塔矢と暮らしとる場合やない、みたいなこと言われたらしくてな」
「……」
「社、ちが」
「ほんで、後はもうコイツの早とちりっつーか。暴走っつーか」


ったく、しょうがないやっちゃ。
そう言いながら社は進藤の頭を軽く小突いた。
社は、そうして少し笑いながら言った。


「ったく、無理矢理テンション上げよってなあ。
 ホンマ、お前性格ちょっと暗いんとちゃうか?
 それに付き合わされるオレの身にもなってみぃ」
「……」
「あのな、塔矢。
 お前がお見合いしてるって聞いた時のコイツの落ち込みようっつったら、凄かったんやで。
 ホンマ、お前に見せてやりたいくらい……」

「違う、違うよ」



社が僕に向かって笑いながら話していると、突然俯いていた進藤から低い声が響いた。
思わず社と僕は、鍋の湯気の向こうの進藤を同時に見て、固まってしまった。

進藤は大きな瞳から大粒の涙をボロボロと零していたのだ。

今度は湯気のせいなどではなく、本当に瞳を揺らしながら。


「お……」
「進…」

僕と社はなんと声を発したらいいのかわからず、ただ大粒の涙を零す進藤を見つめていた。
進藤は涙で崩れていく声を振り絞りながら、話し出す。



「ちがうんだよ。
 オレ、オレお前のこと好きだよ。塔矢。それは変わってない。
 でもオレ、わかったんだよ。
 いつまでもそんなこと言ってられないって。
 ……オレ、ホントはわかってたんだよ。ずっと。お前と一緒に暮らす前から。
 オレとお前は、ずっと一緒にはいられないってわかってたんだよ。
 なのに、オレ……。
 オレ、自分のことばっかり考えて…。お前のこと、ちっとも考えてなかったんだって…。
 それがスゴイショックで…」







ずっと一緒にはいられない……?







暮らす前からわかっていた……?







自分のことばかりを考えて……?












…………?












僕は進藤が何を言っているのか意味がよく解らず、呆然と涙を零す進藤を見つめていた。
社も同じなのか、進藤の言葉を聞いて固まっていた。

僕は社の背後を移動し、進藤のすぐ隣に腰を下ろした。
進藤はまだ震えながらボロボロと涙を拭いもせずに零していた。

僕は進藤の細い肩を掴んで、無理矢理僕の方へと身体を向かせる。
そして、泣きじゃくる進藤に、出来るだけ優しい口調で静かに尋ねた。




「……何故?
 何故僕たちはずっと一緒にいられない?
 結婚とか、囲碁界とか、親のこととか、……男同士であるとか。
 そんなこと、僕にとっては小さな問題なんだよ。
 キミがずっと僕の傍にいてくれることの方が、ずっと大事なことなんだ」




「………」






「進藤…?」










「……だから!!」









進藤は、俯かせていた顔を上げて僕の腕を力強く払い除け、立ち上がって大声で怒鳴った。





「進」








「だから!! それがもう無理なんだよ!!」












進藤は彼の前に腰を下ろしていた僕を突き飛ばすと、そのまま走って居間の出口へと向かう。




そして。

































































































「塔矢。………ごめんね」

























































































大粒の涙を零しながら、綺麗な笑顔で。














そう言い残すと、進藤は走って居間を飛び出していった。
暫くしてバタン、とドアが閉まる音が部屋に響いた。





僕はその音を聞いて漸く金縛りが解けたように我に返った。
頭の中はすでにグチャグチャで、何がなんだか訳がわからなくなっていた。
進藤が突然何故あんなことを言い出したのか。

「僕が黙ってお見合いをした」=「腹を立てた・不安に思った」
これは理解できる。

「お見合いを断った」=「それでも一緒にいられない。それは暮らす前からわかっていたこと」
何故そうなる。


全く意味がわからない。





それはともかく、進藤を追わなければ。
そして進藤の考えていること、不安に思っていることを即座に聞き出して解決しなければ。

そう思って僕は立ち上がると、「塔矢」という固い声に呼び止められた。









振り返ると社が固い表情のまま、立ち上がって僕のことを見つめていた。
まるで、不思議なものを見つめるかのような目で。


そうか、社もきっと進藤が何故突然あんなことを言い出したのか解らないに違いない。
大阪から来て疲れているところ悪いが、一緒に進藤を捜してもらって……




「塔矢」









それで一緒に誤解を解いてもらって……











「お前」













それで……













































































「お前、ホンマにまだ何も知らんのか?」