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09-1.2
永夏は綺麗だった。
男の僕が見ても、その顔や姿は、思わず見とれてしまう程に綺麗だった。
もちろんそう感じているのは僕だけじゃない。
永夏とソウルの繁華街などを歩いていると、必ずすれ違う人には振り向かれたし、全く声を掛けられずに済んだことはなかった。
その声を掛けてくる人々も実に様々で、純粋に囲碁ファンの人もいれば、芸能事務所やモデル事務所のスカウトマン、女性からのいわゆる逆ナンパだったり、普通に男性からも時折声を掛けられたり。
でも永夏自身は、自分の容姿だとか、自分も含めて他人の美醜だとかにはまるで興味がないようだった。
「『カッコイイ』とか『綺麗』だとか言われてもまるでピンと来ないんだ。他人の容姿を気にして、何の得があるのだろう」
いつだったか、永夏がそう呟いていたのを僕は聞いたことがある。
決して謙遜でも自惚れでもなく、永夏は本当に興味がなかったのだ。
それを証明するかのように、永夏の付き合う女性は実に様々だった。
永夏自身は興味がなくとも、あの顔を備えた男を世の女性たちが放っておくはずがない。
様々な女性達から告白される永夏は、次から次へと付き合う女性を変えていった。
その女性達も実に様々で。
モデルかと思ってしまう程の美人もいれば、「ヨ、永夏、大丈夫?」と思わず聞いてしまいたくなるような女性もいたりした。
永夏が誰かと付き合って、長く続いたところを僕は見たことがない。
最長記録で、半年がいいところだった。
様々な女性と付き合う割に、その過程はどの女性もほぼ一緒だった。
女性から告白される。
↓
付き合う。
↓
毎日電話をしたり、仕事のない日はデートをしたりする。
↓
そのうち、永夏がその女性に対して酷く素っ気なくなる。
↓
女性がキレる。面倒くさがりの永夏は放置する。
↓
「あなたは最初から私の事なんて好きじゃなかったのよ!」
「ああ、そうだな」
↓
フラれる。
あまりに続くこのワンパターンと、どうしてどの女性とも本気で恋愛をしようとしないのか、僕は永夏に尋ねたことがあった。
このままでは、永夏自身にも、永夏を好きになる女性にも良くないと思ったからだ。
すると、永夏から返ってきた答えはこうだ。
「だって、興味が湧かないんだ。仕方ないだろう」
「興味が湧かないって…。じゃあ何で付き合ったりするんだよ。好きじゃないくせに」
「付き合ううちに興味が湧くかもしれないじゃないか」
「でも今まで湧いたことないじゃないか!」
「それは、その女達が悪いんだ。オレの興味を引くような女じゃないくせにオレに近づいたりするから」
……逆ギレかよ。
いつもこのパターンだ。
最初は永夏のためを思って何度か注意したが、それもバカらしくなって止めた。
そして、いつか永夏の興味を引くような素敵な人が現れますように、と祈るしか僕には出来なかった。
永夏は、外見だけでなくその行動でもいつも目立つ存在だった。
当然のことながら、囲碁では韓国の若手の中では随一の腕を誇っていた。
近年韓国の碁界のトップの平均年齢はどんどん若くなっていっているが、その筆頭が永夏だった。
幼い頃から囲碁の才能に溢れていた永夏は当然そのままプロの碁打ちとなり、あっという間にタイトル保持者へと階段を駆け上っていった。
2006年の現時点で永夏が保持しているタイトルは棋聖。
韓国で最も権威と歴史のある覇王戦では、トーナメントの最後の方まで残っていたのだが惜しいところで敗れてしまったのだ。
それでも、この年齢ですでに棋聖。
永夏は紛れもなく現在の若手NO.1であり、今後韓国の囲碁界を背負っていくであろうことは、誰もが知るところであった。
でも、永夏がすごいのはそれだけじゃないんだ。
永夏は今、ソウル大学の特待生として大学に籍を置いている。
ソウル大学とは、世界でも有数の学歴競争社会である韓国の頂点に立つ大学だ。
永夏は去年、順風満帆の棋士生活の最中、突然「大学を受けてみようかな」などと言い出し、高校を卒業すると同時に試験を受けて本当に合格してしまった。
………あり得ない。
普通の人間であれば絶対にあり得ないことだけど、永夏なら合ってもおかしくないかもしれない…。
そう思える程に、永夏は優秀だった。
そんな永夏の周囲の人間は、あまりに優秀すぎる永夏のことを妬んだりやっかんだりすることもあった。
いつも一緒にいる僕に「アイツといて楽しいのか?」「疲れない?」などと聞いてくる連中もいた。
でもそれは、皆が永夏のことをきちんと理解していないからだ。
僕は知ってる。
優秀な永夏は、他のどの棋士よりもずっとずっと何倍もの努力をして、今の地位を築いているのだということを。
毎日、どんなに忙しくて遅く帰宅したとしても囲碁の勉強を怠らないし、他の棋士が休んでいる間も棋院に来て棋譜の勉強をしている。
その中でも永夏は特に昔から日本の本因坊秀策の棋譜を大変好んでいて、毎日棋譜を並べては覚え、秀策の一手を越えるような一手を研究しているのだ。
ソウル大学へ行くと決めたのだって。
ソウル大学には韓国でも少数しかない蔵書がたくさんある。他では手に入りにくい日本の本も一杯あって、永夏はそこで「秀策のことをもっと研究したい」と言っていた。
そしてその受験勉強も、仕事や囲碁の勉強の傍らすごい努力をしていたんだ。
永夏は、誰よりも努力家で勉強家で。そして囲碁を愛してる。
僕は、そんな永夏が大好きだった。
僕は永夏に引けをとらないように、そして何より僕と一緒にいて永夏が楽しくなるように。
僕はそのための努力は怠らなかった。
なによりもまず囲碁をとにかく一生懸命勉強した。
もちろん一番は自分のためであるけれど、「永夏といつまでも対等に打っていたい」
という気持ちもあったからこそ、僕は頑張ることが出来た。
その甲斐もあって、僕は永夏と共に北斗杯の代表にもなり、若手の中では飛び抜けた存在となることが出来た。
それ以外でも。
僕はソウル大学へ行ける程優秀ではなかったけれど、韓国の中でも優秀な方に入る高校をトップの成績で卒業した。
日本語も覚えたし、今は英語とフランス語を勉強している。
中国の楊海さんが言っていたけど、言語は母国語以外を一つ覚えて勉強のコツさえ掴んでしまえば、いくらでも覚えることが出来るのだそうだ。
その他にも、高校を卒業して軍隊へ行くのに身体が細いままでは訓練がキツいと思い、スポーツジムに行って毎日運動をして筋肉をつけた。
背の高い永夏に負けないようにと、子供の頃嫌いだった牛乳も毎日飲んで、永夏より少し低いけど178cmまで身長を伸ばすことが出来た。
それもこれも、永夏といつまでも一番の友達でいられるように。
そう思って僕は努力してきたのだ。そして永夏は実際に僕といることを楽しんでくれた。
幼い頃の、あの僕たちが出会った対局のように、毎日毎日ワクワクするような楽しい碁を打つことが出来たのだ。
僕の大好きな永夏がそうして幸せに笑っていてくれるなら。
僕の永夏に追いつこうと頑張ってきたこの努力も無駄ではないな、と思っていた。
そう、永夏が幸せに。
幸せに笑っていてくれるのなら、永夏が何をしたって僕は受け止められる。
僕は、永夏の一番の友達なのだから。
そう。僕は受け止められる。
たとえ永夏が誰を愛したとしても。
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