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09-1.3
あれは──そう、今から2年前のこと。
2004年、春。
僕は日本に訪れていた。
第2回の北斗杯が再び日本で開催され、僕はまた代表に選ばれたのだ。
もちろん、永夏も。
この北斗杯は18歳以下の若手による団体戦で、日本・韓国・中国の三国間で行われる。
北斗通信社という日本の会社が主催しているのだが、1回限りの予定だったのが去年の対局がかなり好評だったらしく、第2回が行われることになったのだ。
僕たち若手はまだ、こういった機会でもない限り日本や中国の選手と打てる機会はそうそうない。
そういった意味では良い刺激になるし、勉強にもなるので僕は再び北斗杯に参加できることが嬉しかった。
そして、何よりも。
この大会に出れば、アイツに会うことが出来るからだ。
僕に日本語を勉強させた、アイツ。
「ホンット、和谷とそっくりだよな〜お前」
『ワヤ? イスミさんも言ってた、オレのこと見てワヤって』
「和谷のちっちゃい頃みたいだな。カワイイな〜お前」
『ヤ! ヤメロヨ! 頭撫でるな! 子供扱いして!』
「アハハハ、怒ってる〜。カッワイイな〜ミニ和谷!」
『ヤメロー!』
進藤が中国代表の楽平という選手と何かを話して、頭を撫でたりして遊んでいる姿が見えた。
どうやら進藤が楽平のことを気に入ってからかっているようだった。
そこから少し離れた場所に、その進藤の姿をジッと見つめているヤツがいる。
──塔矢アキラ。日本チームの主将。
彼は中国の楊海さんらと話しながらも、進藤から片時も目を離していなかった。
相変わらず進藤に対しては過保護なんだな、塔矢。
去年の北斗杯が終わった後、僕と進藤は叔父の碁会所で打つ約束をしていたのだが、そこに何故か塔矢アキラもついてきたんだっけ。
そんなことを考えながら、僕は再び視線を進藤に戻した。
進藤は、明るい声で笑いながら楽平と楽しそうにじゃれ合っていた。
──笑って、る。
先程の試合中の様子がまるで嘘のように、進藤は本当に明るい笑顔で笑っていた。
第2回北斗杯、1日目。
今日ののプログラムはすべて終了していた。
今日行われた対局は、日本×中国と日本×韓国。
つまり日本は初日で両国との試合を終えており、まだ緊張感を残している韓国・中国勢と違って、団長の倉田さんなどはロビーのソファーにふんぞり返って座り安先生と雑談を楽しんでいた。
三将の社は受付のお姉さん(おそらく北斗通信社の人だろう)と何やら楽しそうに話しており、塔矢は中国の団長の楊海さんと北京語で会話をしていた。
そして進藤は──笑ってる。
先程とは、まるで別人のように。
今日の試合の結果は──日本×中国が2−1で日本の勝利、日本×韓国が1−2で韓国の勝利だった。
日本×中国で勝利したのは、大将である塔矢と三将の社。
大将である塔矢は、去年同様の安定した力強い碁であっという間に中押しで勝利を収めた。
三将の社は、取ったり取られたり、逆転したりされたりの激しい熱戦となったが、終わってみれば社の二目半の勝利だった。
そして副将の進藤は──。
進藤の碁は、いつもの進藤らしくないどこか不安定な力のない碁だった。
進藤は塔矢のような力碁とは違って、相手をかわしながら先を読み切る力と、一瞬一瞬の閃きに長けた碁を打つ。
だが、今日の中国戦ではいつも僕たちを魅せる一手は一度も打たれることもなく、どこか不安に揺れているような、石がふわふわと彷徨ってしまっているような力のない碁だった。
先に行われたその日本×中国戦を見て、安先生は「どうやら進藤は不調のようだな」
と言って喜んだ。
去年の永夏×進藤の対局のこともあって、安先生は塔矢よりも進藤を強く警戒していたのだ。
ただ、今年の組み合わせでは、永夏は大将で進藤は副将──。永夏と進藤が対局することはないのだけれど。
決して僕にとって進藤の不調は喜ばしいことではなかったけれど、実際僕の目にも進藤の調子は良いとはいえないように見えた。
僕の隣で対局中のモニターを見ていた永夏は、進藤のふがいない碁に「見る価値もない」と腹を立てて途中で席を立ってしまった程だった。
──進藤。どうしたのだろうか。
今年の副将は僕なのに。
もう一度進藤との再戦を願っていた永夏には申し訳ないけど、今年の進藤の相手は僕だった。
漸く公式試合で進藤と打てることを、僕はすごく楽しみにしていたのに。
僕はまだ1度もお前に勝ってない。
今度こそ必ず進藤に勝つと心に誓って韓国から遙々来たのだ。
お前とは、常にベストの状態で戦いたいんだ。
そしてそんなお前に勝利した時、僕はお前に改めて名乗るんだ。
「これが洪秀英だ」と。
そう誓って、来たのに。
進藤の対局が終了する。
六目半──進藤の負けだった。
モニターに、どこか顔色の悪い、暗い表情で俯いた進藤の顔が映った。
どうしたんだよ、進藤。
僕は進藤に対する心配と不安と、期待と緊張と──。
様々な気持ちが交錯する中で、進藤との対局を迎えることになったのだ。
「秀英」
「あ、ハイ」
安先生の呼びかけに、先程の進藤との対局に思考を飛ばしていた僕は慌てて返事をする。
ロビーのソファーに座っていた僕は、いつの間にか僕の目の前に立っていた安先生を見上げた。
安先生の顔は、どこか困ったような表情をしている。
「どうかしましたか」
「永夏を知らないか?」
「永夏?」
「さっきから姿が見当たらないんだ。……日本戦の後、一悶着あっただろう?
それで心配になって声をかけようと思ったんだが、どこにもいないんだ」
「部屋に戻ったのでは?」
「もちろん見に行ったさ。だがいなかった。部屋に戻った形跡もないんだ」
そう言って、安先生は酷く心配そうな表情をして、再びロビーをキョロキョロと見渡した。
僕は先程からロビーにいるが、確かに言われてみれば永夏の姿をしばらく見ていなかった。
「……〜〜まったく、日本戦の後はいつもこうだな」
「フフ、そうですね」
「笑い事じゃないぞ、秀英!
去年と違って、まだオレ達は明日に中国戦を控えているんだ。
大将である永夏のコンディションがこんな最悪の状態では、勝てる対局も勝てなくなってしまう」
「……わかりました。僕も探します」
「ああ、頼むぞ」
安先生はそう言うと、チームマネージャーの金さんに声をかけ、二人でロビーの奥へと向かっていった。
……まったく永夏は。
僕もソファーから腰を上げ、とりあえずホテル内を探してみることにした。
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