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9-1.8_2
「第1回の北斗杯で、オレは永夏と初めて打った。
永夏に秀策をバカにされたと思って、最初はただ怒りだけでぶつかっていった」
「でも途中でいつのまにかそんな怒りは失せていた。
永夏の力強い一手。研ぎ澄まされた一手。静かな一手。燃えるような一手。
──美しい一手。
永夏との一局は、今までオレが打ったことのなかったオレの新しい一手を……
オレの新しい力を引き出してくれたんだ。
こんなこと、塔矢でもなかった。
永夏が初めてだったんだ」
「その時、永夏に聞かれた。『なんのために碁を打つんだ』って。
オレが碁を打つのは──遠い過去と未来を繋げるために……
アイツとオレが──オレ達が再び出会うためにオレは碁を打ち続けているんだって。
オレはその時そう答えた」
「それからもオレは碁を打ち続けた。
オレが碁を打ち続けていけば、アイツに会える。
そしてアイツの碁を未来へと残していける。そう思ったから」
「そんな時……『ある事』が起こった。
……ごめん、その『ある事』の内容は今は話せないけど。
とにかく、その『ある事』によって、そんなに悠長なコトはいってられないってことがわかった。
時間がない」
「あまり時間がないのに、神の一手をオレは極めなければならない。
そうしなければ、アイツに会えない。『あの世界』に行けない。オレの目的が果たせない。
だったら、ただ打つだけじゃダメだ。
少しでも強いヤツと打つ必要があった。出来るだけ多く」
「日本では、塔矢と打ちまくった。アイツがオレの身近で一番強かったから。
でも、北斗杯で永夏と打った時のような気持ちにはなれなかった。
塔矢じゃないのかも、って思った」
「それから1年が経って、第2回の北斗杯になった。
オレの相手は、お前だったよな、秀英。
お前もすごく強いから。もしかしたらお前かも、って思った」
「でも、違った」
「その日の夜、たまたま永夏と話す機会があった。
永夏がオレに色々話しかけてきたんだ。言葉、わかんねえのに。
その時、オレは初めて碁を打っていない時の永夏をジックリと見た。
……声を聞いた」
「その時永夏がオレの名前を呼んだんだ。『ヒカル』って」
「ビックリした。名前を呼ばれて初めて気が付いたんだ。
『進藤』じゃわからなかったのに『ヒカル』って呼ばれて初めて気が付いた。
……永夏の声、アイツとソックリなんだ。同じ声なんだ。
低くもなくて、高くもなくて、柔らかくて、そしてすごく優しい声で」
「『ヒカル』って」
「その瞬間、オレの中にアイツといた日々が蘇った。
遠い昔のキラキラとしたあの素晴らしい日。アイツと共にいた日々。
アイツはいつも、オレの名を呼んでいたんだ。
『ヒカル』って」
「そんな思いのまま、もう一度永夏と打った。
またオレは永夏に負けた。永夏は強かった。まるでアイツみたいだと思った。
負けたのは悔しかったけど、嬉しかった。永夏だと思った。
オレを『あの世界』に連れて行ってくれるのは」
「永夏なら、オレの目的を果たせる。
そう思ってオレは永夏に近づくことにした」
「……その永夏と打ったその日に、オレは永夏と関係を持った。
……軽蔑されても仕方ねえけど、事実だ。
でも、永夏は悪くないんだ」
「永夏は戸惑ってた。そりゃそうだよな、同じ男なんだし。オレだって驚いた。
でも、きっと永夏なりにオレのことを解ろうとして……
その結果が、身体の関係を持つことだったのかもしれない。
言葉が通じないから分からないけれど、永夏は本当にオレの中の
『アイツ』の存在に気が付いていたのかもしれない。
だから永夏はオレの中のアイツ影を探すために、オレの身体の中を必死に探ったのだろう」
「でも、そんなところを探っても、アイツはいないよ」
「オレはそう永夏に伝えたかったけれど、オレは韓国語がわからなかった。
だから永夏の好きなようにさせた。ごめんね、と心の中で謝りながら。
許されることじゃない、って解っていても。」
「そしてオレがこうして突然韓国に来ても……
オレはオレの目的のために来たのに、永夏もお前も、オレをあたたかく迎えてくれた。
永夏はアイツと同じ優しい声でオレの名を呼び、オレと囲碁を打ってくれた。
オレの身体を探る時の永夏は酷く愛しさに満ちていて、オレに好意を持ってくれているのは、
言葉が通じなくてもわかった」
「オレは、オレは目的のために」
「オレは」
「でも、永夏はオレが好き──」
「オレは──オレは永夏を好きになっている時間がない。
目的を果たさなければならないから。
でも」
「でも、オレは永夏のことを……」
「好きなのか?」
僕の硬い声に、進藤は静かだった表情をふと緩めて、いつもの表情に少しだけ戻ると僕の顔を再び見つめた。
その大きなグレーの瞳は、不安そうに揺れていた。
そして。
「……わからない」
一言だけ、そう呟いて再び俯いてしまった。
僕はフーっと大きく息をついた。
突然の進藤の告白に、頭の中を整理しきれないでいた。
ゴチャゴチャと色々な情報や気持ちが錯綜しているのに、心のどこかはシンと静まりかえっていた。
そして、そのシンと静まりかえっていた場所から、僕のグチャグチャになった意思とは別に、進藤へと再び言葉が投げかけられた。
「人を好きになるということはその人の自由だから……。
永夏がお前を好きでも、お前がそうではなくても。
そうではないのに、関係を持っていたとしても。
僕にはお前を責める理由も権利もない」
「………」
「ないのだけど。
永夏は僕の大事な友達だ。いくらお前でも、ただその『目的』とやらのためだけに
永夏に近づいて、永夏を傷つけるのは許さない」
「………」
「そして。
僕はお前が──。……お前は、僕の大切な人だ。
お前がその『目的』のために、傷つくのは許さない」
「………」
「許さない、絶対に」
進藤の揺れていたグレーの瞳から、一粒涙がこぼれ落ちるのが見えた。
でも、僕は言葉を止めることが出来なかった。
「お前のその『目的』のすべては、僕にはよくわからない。
でも、人を好きになることは、囲碁を打つことは、傷つけあうことじゃないはずだ。
お願いだから、永夏もお前も傷つかないでくれ」
「……」
「進藤、お願いだ」
進藤は、静かにハラハラと涙を零し続けていた。
永夏の棋譜の並べられた碁盤が、進藤の涙で濡れていった。
でも僕は、ただただ進藤と永夏が傷つかないことを進藤に懇願するばかりで、涙を止めてあげることは出来なかった。
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