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「第1回の北斗杯で、オレは永夏と初めて打った。
 永夏に秀策をバカにされたと思って、最初はただ怒りだけでぶつかっていった」

「でも途中でいつのまにかそんな怒りは失せていた。
 永夏の力強い一手。研ぎ澄まされた一手。静かな一手。燃えるような一手。
 ──美しい一手。
 永夏との一局は、今までオレが打ったことのなかったオレの新しい一手を……
 オレの新しい力を引き出してくれたんだ。
 こんなこと、塔矢でもなかった。
 永夏が初めてだったんだ」

「その時、永夏に聞かれた。『なんのために碁を打つんだ』って。
 オレが碁を打つのは──遠い過去と未来を繋げるために……
 アイツとオレが──オレ達が再び出会うためにオレは碁を打ち続けているんだって。
 オレはその時そう答えた」

「それからもオレは碁を打ち続けた。
 オレが碁を打ち続けていけば、アイツに会える。
 そしてアイツの碁を未来へと残していける。そう思ったから」

「そんな時……『ある事』が起こった。
 ……ごめん、その『ある事』の内容は今は話せないけど。
 とにかく、その『ある事』によって、そんなに悠長なコトはいってられないってことがわかった。
 時間がない」

「あまり時間がないのに、神の一手をオレは極めなければならない。
 そうしなければ、アイツに会えない。『あの世界』に行けない。オレの目的が果たせない。
 だったら、ただ打つだけじゃダメだ。
 少しでも強いヤツと打つ必要があった。出来るだけ多く」

「日本では、塔矢と打ちまくった。アイツがオレの身近で一番強かったから。
 でも、北斗杯で永夏と打った時のような気持ちにはなれなかった。
 塔矢じゃないのかも、って思った」

「それから1年が経って、第2回の北斗杯になった。
 オレの相手は、お前だったよな、秀英。
 お前もすごく強いから。もしかしたらお前かも、って思った」

「でも、違った」

「その日の夜、たまたま永夏と話す機会があった。
 永夏がオレに色々話しかけてきたんだ。言葉、わかんねえのに。
 その時、オレは初めて碁を打っていない時の永夏をジックリと見た。
 ……声を聞いた」

「その時永夏がオレの名前を呼んだんだ。『ヒカル』って」

「ビックリした。名前を呼ばれて初めて気が付いたんだ。
 『進藤』じゃわからなかったのに『ヒカル』って呼ばれて初めて気が付いた。
 ……永夏の声、アイツとソックリなんだ。同じ声なんだ。
 低くもなくて、高くもなくて、柔らかくて、そしてすごく優しい声で」

「『ヒカル』って」

「その瞬間、オレの中にアイツといた日々が蘇った。
 遠い昔のキラキラとしたあの素晴らしい日。アイツと共にいた日々。
 アイツはいつも、オレの名を呼んでいたんだ。
 『ヒカル』って」

「そんな思いのまま、もう一度永夏と打った。
 またオレは永夏に負けた。永夏は強かった。まるでアイツみたいだと思った。
 負けたのは悔しかったけど、嬉しかった。永夏だと思った。
 オレを『あの世界』に連れて行ってくれるのは」

「永夏なら、オレの目的を果たせる。
 そう思ってオレは永夏に近づくことにした」

「……その永夏と打ったその日に、オレは永夏と関係を持った。
 ……軽蔑されても仕方ねえけど、事実だ。
 でも、永夏は悪くないんだ」

「永夏は戸惑ってた。そりゃそうだよな、同じ男なんだし。オレだって驚いた。
 でも、きっと永夏なりにオレのことを解ろうとして……
 その結果が、身体の関係を持つことだったのかもしれない。
 言葉が通じないから分からないけれど、永夏は本当にオレの中の
 『アイツ』の存在に気が付いていたのかもしれない。
 だから永夏はオレの中のアイツ影を探すために、オレの身体の中を必死に探ったのだろう」

「でも、そんなところを探っても、アイツはいないよ」

「オレはそう永夏に伝えたかったけれど、オレは韓国語がわからなかった。
 だから永夏の好きなようにさせた。ごめんね、と心の中で謝りながら。
 許されることじゃない、って解っていても。」

「そしてオレがこうして突然韓国に来ても……
 オレはオレの目的のために来たのに、永夏もお前も、オレをあたたかく迎えてくれた。
 永夏はアイツと同じ優しい声でオレの名を呼び、オレと囲碁を打ってくれた。
 オレの身体を探る時の永夏は酷く愛しさに満ちていて、オレに好意を持ってくれているのは、
 言葉が通じなくてもわかった」

「オレは、オレは目的のために」

「オレは」

「でも、永夏はオレが好き──」

「オレは──オレは永夏を好きになっている時間がない。
 目的を果たさなければならないから。
 でも」

「でも、オレは永夏のことを……」




















「好きなのか?」




僕の硬い声に、進藤は静かだった表情をふと緩めて、いつもの表情に少しだけ戻ると僕の顔を再び見つめた。
その大きなグレーの瞳は、不安そうに揺れていた。
そして。


「……わからない」



一言だけ、そう呟いて再び俯いてしまった。

僕はフーっと大きく息をついた。
突然の進藤の告白に、頭の中を整理しきれないでいた。
ゴチャゴチャと色々な情報や気持ちが錯綜しているのに、心のどこかはシンと静まりかえっていた。
そして、そのシンと静まりかえっていた場所から、僕のグチャグチャになった意思とは別に、進藤へと再び言葉が投げかけられた。


「人を好きになるということはその人の自由だから……。
 永夏がお前を好きでも、お前がそうではなくても。
 そうではないのに、関係を持っていたとしても。
 僕にはお前を責める理由も権利もない」
「………」
「ないのだけど。
 永夏は僕の大事な友達だ。いくらお前でも、ただその『目的』とやらのためだけに
 永夏に近づいて、永夏を傷つけるのは許さない」
「………」
「そして。
 僕はお前が──。……お前は、僕の大切な人だ。
 お前がその『目的』のために、傷つくのは許さない」
「………」
「許さない、絶対に」

進藤の揺れていたグレーの瞳から、一粒涙がこぼれ落ちるのが見えた。
でも、僕は言葉を止めることが出来なかった。



「お前のその『目的』のすべては、僕にはよくわからない。
 でも、人を好きになることは、囲碁を打つことは、傷つけあうことじゃないはずだ。
 お願いだから、永夏もお前も傷つかないでくれ」

「……」

「進藤、お願いだ」




進藤は、静かにハラハラと涙を零し続けていた。
永夏の棋譜の並べられた碁盤が、進藤の涙で濡れていった。

でも僕は、ただただ進藤と永夏が傷つかないことを進藤に懇願するばかりで、涙を止めてあげることは出来なかった。