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09-03
「………」
「どうなんだ、ヒカル」
永夏は酷く真剣な顔をしてオレのことをジッと見つめた。
永夏の──あの優しい声が、オレに尋ねる。
オレが北斗杯のエキシビジョンで永夏に「違った」と言った意味。
あれは。あの意味は。
「オレなりに考えてみたんだ。お前に『違った』と言われた意味──」
「……え」
「お前の『目的』は『神の一手』を極めて『あの世界』──というのはわからんが、
おそらくもう一段上の…とでも言うべきか、とにかくこことは違う、別の世界に行こうとしている」
「────」
「そして、お前の探している『アイツ』というヤツが、その世界にいる」
「──……」
「その世界に行くためには、『神の一手』を打たねばならない。
そのためには強いヤツと打って打って打ち続けて──その『強いヤツ』を、お前はオレにしようとしていた」
「………」
「『あの世界に連れて行ってくれる人』──それがオレだと。
だが、この前のエキシビジョンで、オレはお前に敗れた」
「………」
「お前のあの一手は素晴らしいものだったが──お前自身は納得のいくものではなかったのだろう。
お前は『神の一手』を極められなかった。オレと打っても」
「………」
「だから、『違った』と」
「………」
「どうだ、オレの推理は。半年もかけて考えたんだ。合っているか」
永夏そこまで言い切ると、再び真剣な瞳でオレを見つめた。
ジッと見つめる永夏の瞳に、オレは金縛りをかけられたかのように動けなくなる。
──そっか。
永夏はもう、そこまで辿り着いたんだね。
オレ、アイツのお陰で嘘は上手い方だけど、お前には嘘はつけない気がするよ。
変だよね。
塔矢には嘘、つけるのに。
塔矢には──
だって、塔矢には、オレは──
「──まあ、いい」
オレがそんなことを考えながら思いを巡らしていると、永夏は諦めたかのように大きく息をついた。
そして、オレが座っているベッドの脇に置いてある椅子の背もたれに深く背を預けた。
オレは、そんな永夏の様子をジッと見つめていた。
すると永夏はそんなオレの視線に気が付いたのか、フッと笑った。
「お前はいつもそうやって肝心な事を言わないからな。
言いたくないのか、言えないのか。──まあ、いいさ。
お前がオレの言うことを否定しないってことは、かなり正解に近いんだ、って勝手に思っておくよ」
「………」
「ある人たちに教わったんでね。
『人には言いたくたって言えないことだってあるんだ』
『そこを無作為に詮索するのは相手を余計に傷つけるだけだ』ってね」
オレが目を丸くして永夏を見ていると、永夏は再び、今度は勝ち誇ったようにしてフフンと笑った。
「どうだ、惚れ直したか」
「………」
勝ち誇ったような顔をしながら真剣にそんなことを言う永夏が何だかオレは可笑しくなって、プッと吹き出してしまった。
すると永夏はそんなオレの様子にムッと来たのか、「何が可笑しいんだ!」と言って怒ってきた。
それでも笑いの止まらないオレに永夏はますますムッとして、組んだ足をブラブラとさせながらオレに向かって言った。
「まったく、肝心なことは何も言わないくせにゲラゲラ笑いやがって」
「アハハハ、ごめんごめん」
「………」
「……永夏……ごめんね」
永夏。
本当のことを言ってあげられなくて、ごめん。
オレが笑いを止めて俯きながらそう言うと、永夏はポンポンとオレの頭を撫でるようにして叩いた。
永夏に頭を叩かれた瞬間に、その弾みで目元からジワリと水が滲み出てくる。
ああ、また泣きそうだ。
最近オレ、泣いてばかりだな。泣きたくなんてないのに。
オレが必死に涙を堪えていると、永夏はふと壁にかけられた時計を見ながら「そういえば」と言葉を続けた。
オレはなんとか涙を抑えて、極力明るい声で「何?」と言って顔を上げる。
「……もう3時だな。お前が秀英の家に来たのは、夜の1時過ぎ。
偶然外で会ったにしても、随分な時間だな。夜遊びでもしてたのか?」
「……ごめん」
「別に責めている訳じゃない。
ただどう考えても、夜遊びをしていた、というような出で立ちでもないしな。
何か訳があるんじゃないのか、って聞いてるんだ」
オレは永夏の言葉を聞いて、思わず自分の目の前にある毛布を強く握りしめた。
何か訳が──
訳がって程のことじゃない。
ただ、オレが塔矢とケンカして。
塔矢を怒らせて。
そして、塔矢に嫌われただけだ。
たったそれだけのことなんだ。
だから、永夏に明るく説明出来るはずだ。
オレはニッと笑うと顔を上げて永夏を見つめ、言葉を続けた。
「今ね、オレ、塔矢と暮らしているんだ」
「…………塔矢アキラ……と?」
「うん。それでね、──まあいつものことなんだけど。
オレがまたアイツを怒らせちゃってさ。それで、オレ思わず家を飛び出て来ちゃったんだ」
「…………」
「ホントにさ、いつものことで。
塔矢、きっとオレのこと嫌いなんだよ。オレを見ると苛々しちゃうんじゃないかな。
ホラ、あいつ真面目で几帳面だし……って、永夏はそんなこと知らないか。
ハハハ」
「…………」
「ハハハハハ」
オレが頭を掻きながら乾いた声で笑うと、永夏はそんなオレの様子を酷く真剣な顔つきでジッと見つめていた。
そして暫くすると、永夏は左手をスッとオレの頬に伸ばしてきた。
そして、オレの濡れた頬をそっと拭うようにして撫でた。
濡れた……?
「ハ……」
「本当にそう思っているのか?
塔矢アキラはお前のことを嫌っていると」
「………」
「そしてお前はそれで本当にいいと思っているのか? 泣くほど辛いくせに」
「………」
「自分の気持ちを誤魔化すのはやめろ。自分を傷つけるな」
永夏の、少し怒りを含んだ、でも決して怒ってはいない優しい声を聞くと、もう永夏の声を聞いても思い出すまいと思っていたアイツの顔が浮かんできた。
その瞬間に、オレの目元は壊れた水道管のようにブワッと水が吹き出してきた。
ああ、せっかくさっきはなんとか涙を堪えたのに。結局泣いちゃったよ。
……情けないな。
オレがそうしてみっともなく涙をボタボタと流している間、永夏は何も言わずにジッとオレの傍にいてくれた。
そして、オレがなんとか泣きやんだのを見計らって、フーッと大きく息をつきながら話し始めた。
「……まさか一緒に暮らしているとはな…」
「う、ん。今年の……6月くらいから」
「確かにオレは塔矢のことを詳しくは知らないが……あんなに分かりやすいヤツもそういないからな。
塔矢がお前を好きだったのは知っていたし」
「………」
「それに、今の様子から察するにお前も」
「え?」
「お前も、好きなのか。塔矢が」
永夏はさながら対局中のように、真剣な表情と声でオレにそう聞いた。
オレは永夏のそんな真剣な態度に気圧されて、金縛りにあったしまったかのように動くことが出来ない。
永夏はそんなオレを見つめながら、もう一度真剣な声で聞いた。
「好きなのか? 塔矢のことを」
「………」
「好きなんだな」
真剣な永夏の声に、オレは返事をすることが出来なかった。
永夏の迫力に気圧されているのか、それとも何か他の感情が邪魔しているのか──声が喉に張り付いてしまい、出すことが出来なかった。
声を出すことが出来ない間、オレは必死に永夏の言葉を頭の中で繰り返す。
──塔矢のことが、好き。
オレは、塔矢のことが、好き。
オレは──
相変わらず声を出すことが出来ないオレは、フルフルと頭を横に振ることで永夏に返事をした。
永夏が驚いたように目を見開いてオレを見るのと同時に、オレは金縛りが解けたかのように声が出た。
だがその声はみっともなく掠れて、震えていた。
「好きじゃない」
「──……」
「好きじゃないよ、塔矢のこと」
「好きじゃない」
オレは確認するかのようにそう呟くと、永夏のことをジッと見つめた。
永夏は暫く驚いたようにオレを見つめていたが、フーッと息をつくと先程と同じように対局中のような真剣な表情で、今度は何も言わずに黙ったままオレのことを見つめた。
深夜の沈黙が流れる──。
時計の針の刻む音だけが部屋に響いた。
そんな沈黙に耐えきれなくなったオレは、なるべく明るい声を出しながら永夏に喋りかけた。
「オレは、塔矢を好きになっちゃいけないから」
「………」
「オレはもう、誰も好きになっちゃいけないから」
「………」
「だから、オレは塔矢を好きじゃない」
「………」
「好きじゃない」
オレの言葉を聞いても、永夏は何も言わなかった。
何も言わずに、ただジッとその綺麗な瞳で真剣にオレのことを見つめていた。
オレは永夏のこの綺麗な瞳にジッと見つめられるのが苦手だ。
嘘で塗り固められているオレの本当の姿を、見透かされてしまいそうだったから。
こんなに薄汚れて、何も持っていないオレの姿を。
もう、本当に何も──本当のことを話す時間さえ残されていない、オレの姿を。
永夏は黙ったまま暫くの間オレのことをジッと見つめていた。
いたたまれないオレは、毛布の下で足をモゾモゾと動かしたりしていた。
だが、永夏は微動だにせずオレのことを見つめ続けていた。
そして、どれくらいの時間が経ったのか──
突然永夏が、大きくフーッと息をついた。
その音にオレはビクリと思わず身体が震え、恐る恐る永夏を見上げた。
すると永夏は、少し疲れた顔をして自分の眉間をグリグリと指で押していた。
その指の隙間から、永夏の目がオレを射抜くように見つめる。
「……やっぱりわからないな」
「え…」
「お前が今一体どういう状況でどんな気持ちで……何故そんなことを言うのか。
お前の言葉や態度から色々考えてみたんだが──やっぱりわからなかった。
『人の気持ちを100%理解するなんて不可能だ』って聞いたけど…ホントだな」
永夏はそう言って自嘲的に笑うと、組んでいた足を解き、背もたれに身体を預けていた姿勢から突然前屈みになり、オレにより顔を近づけて再び言葉を続けた。
「だがそんなオレでも一つだけ言えることがある」
「……え?」
「今、お前は塔矢アキラを愛しているということだ」
「──……」
「そして、オレはお前を愛している。諦めるつもりはない──それだけだ」
永夏は力強くそう言い切ると、立ち上がり上からオレを見下ろしながら言った。
「一局打たないか、ヒカル」
「……え」
「オレが今お前に関して分かることは、今言ったことだけなんだ。
それを確かめさせてくれ。
……どうせ言葉で聞いたって、お前は喋りはしないだろう。
だったらオレがお前の気持ちを確かめることの出来る方法は、一つしかない」
「囲碁だ。オレ達の間には囲碁しかないんだよ、ヒカル」
「………」
「たとえそれが、辛いことであったとしても」
永夏は優しい声で、そしてどこか遠くを見据えながらそう言うと、オレに視線を戻して手を差し伸べた。
永夏の右手。
石を持つ、石を置く、綺麗な綺麗な右手。
オレをここまで連れてきてくれた──素晴らしい棋譜を作り出す右手。
『あの世界』までは届かなかったけど──
オレは答えなくてはいけない。
なあ、そうだろう?
なあ────
オレは、永夏の差し出す右手を取って立ち上がった。
永夏に答えるために。
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