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09-4
パチリ。パチリ。パチリ。
オレと永夏の盤面が進んでいく。
永夏の一手一手が意思を持って刻まれ、オレの中に流れ込んでいく。
永夏のオレへの気持ち──
オレを好きだと言ってくれた永夏の気持ち。
それはまるでアイツといたあのキラキラと輝いていた日々のように、優しくて温かい綺麗な空気に包まれているかのようだった。
永夏のあの優しい声が、オレを「好きだ」と言ってくれる。
それはとてもとても居心地が良くて、気持ちのいいものだった。
永夏はオレを好き──
じゃあ、オレの気持ちは?
答えなくちゃならない。
言葉で言っても、上手く伝わらないかもしれない。
それならば囲碁で。
石で。
アイツの愛したこの黒と白の世界で。
今のオレの気持ちを、永夏に伝えたい。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
100手目を数える頃、今までシンとしていた部屋に永夏の声が響いた。
「……北斗杯の後、韓国に帰ってからお前の言葉の意味をずっと考えていた」
オレは永夏の言葉につられて、思わず顔を上げる。
永夏は盤面を見つめ、手を進めながら言葉を続けた。
「お前はオレに『違った』と言った。
それは何が、何に対して『違った』と言ったのか……
想像はつくものの、それが真意なのか──オレにはわからなかった」
「………」
「それから、今まですべて断片的に聞いてきた、
お前の『目的』『あの世界』『神の一手』──そして『アイツ』。
これらの言葉を続けるとこうなる。
『神の一手』を極めて『あの世界』へ行き、『アイツ』に会って『目的』を果たす」
「──……」
「さっきも言っただろ? ここまで考えが纏まるのに半年もかかったんだ。
だが、これが本当に正しいのかどうかわからなかった。──そして今もわからない」
永夏の言葉を聞いて思わず手を止めてしまうオレの姿を見て、永夏は笑って「無理には聞かないって言ったろ?」と優しく言った。
そしてその優しい声で、再び言葉を続ける。
「ここまでお前の本当の気持ちを包み隠しているものは何だろう?
オレはもっとお前のことが知りたい。どうすれば知ることが出来るのだろう。
そんなことを考えて──やっぱり行き当たるのは秀策だった」
「………秀……策」
オレの掠れた声を聞くと、永夏は顔を上げてオレを見つめ、優しい笑顔でフッと笑った。
「秀策をもっと知れば、お前のことも分かるようになるかもしれない。
そう思って、オレは再び秀策の勉強を始めた。
そのために大学まで入ったからな」
「………」
「勉強すればする程──秀策の棋譜は奥が深かった。
秀策の棋譜はすべて美しく、まるで無限の宇宙のようだった。
100年以上も前にこのような棋譜を生み出せる人間がいたのかと思うと──
オレの胸は躍った」
「──……」
「打ってみたい、コイツと。オレは心の底からそう思った」
打ってみたい、コイツと。
打ってみたい、コイツと。
打ってみたい、コイツと。
打ってみたい、お前と。
お前と、打ちたい──
打ってみたい、コイツと。
そんな永夏の弾むような楽しそうな声を聞いて、オレは盤面を見つめていた顔を上げる。
持っていた石が、ポタリと音を立てて碁笥の中に落ちた。
だって、だって今の言葉は。
今の言葉は、オレとアイツの『すべて』だったから──
固まっているオレに、永夏は再び言葉を続けた。
「打ってみたい、秀策と──そんなことを思っている時には、いつもお前の棋譜を思い出した。
お前の棋譜も酷く美しい。秀策のような力強さにはまだ欠けるが、
一手一手が酷く研ぎ澄まされていて、透明な美しい水のようだ。
酷く静かで美しく、何もかも映し出しながらも自らは形を持たない──
秀策に酷く似ていて、そしてまるで違う。
オレはお前の棋譜も本当に好きだ。心の底からそう思った」
「……………」
「お前と同じ時代に生まれて、お前と出会えて、お前と打つことが出来て、オレは幸せだと思った」
なあ、聞いてる?
『あの世界』で、お前も聞いてるか?
「オレは、お前と出会ってお前と打ち始めてから気が付いた。
オレは心の底から囲碁を愛している。囲碁が好きなんだ。
お前がそう気付かせてくれたんだ」
「──」
「オレは──お前と出会えて幸せだ」
なあ、聞こえてるよな。
永夏が──永夏がね。
囲碁が好きだって言ってくれてるよ。
お前の愛した囲碁が──お前がオレに教えてくれた囲碁を、好きだって言ってくれているんだよ。
なあ。
「オレはお前が好きだ。愛してる」
「──」
「これからもお前とずっと一緒に囲碁を打ち続けていきたいと思っている」
「──」
「お前が今、たとえ塔矢を愛していたとしても、オレの気持ちは変わらない」
「──」
「ヒカル」
なあ、聞こえてるんだろ。
なら返事をしてくれよ。
「ヒカル」
今ならオレ、お前の声がきっと聞こえるよ。
だから返事をしてくれよ。
「ヒカル──返事をしてくれ」
永夏のオレへの呼びかけと共に、盤面は終局を迎えた。
差は一目半──オレの勝利だった。
永夏は大きく息をつくと、静かに盤面を見つめて「綺麗な棋譜だな」と優しい声で呟いた。
オレは今まで自分の棋譜を綺麗だなんて思ったことはなかったけど──でも本当にコレは綺麗な棋譜だよ。
やっとオレも、お前に見せられるくらいの綺麗な棋譜が打てたのかな。
なあ。
お前に教えてもらった囲碁は、本当に綺麗だよ──
綺麗な綺麗な棋譜が、水に濡れたようにぼやけてゆく。
頬に静かに涙が伝わっていくのを感じていた。
──前にもこんなことがあった気がする。
そうだ、あの時。
伊角さんと打って──初めてお前を見つけた時だ。
あの時お前を見つけることが出来たように──今ならお前の声が聞こえるのかな。
「……永夏、ありがとう………」
オレは黙ったままオレの返事を待っていてくれる永夏に向かって口を開いた。
涙で濡れているはずのその声は、何故かすっきりと通っていて、自分でも驚くくらいにスムーズに言葉を出すことが出来た。
そうか、これは嘘ではないオレの本当の気持ちだから。
オレはずっと、お前に本当の気持ちを言いたかったのかもしれないよ。
「前にね……オレ、ある人から教わったんだ」
「………」
「囲碁は二人いて、その人と向き合って初めて始まるんだって」
「………」
「だから、打ち合える相手と出会えたことを感謝しなさいって」
「………」
「その時は、意味がよくわからなかったけど……今ならわかるよ」
次から次へと、涙が零れていく。
でもアイツから教わった大切な言葉は、淀みなくオレの口から流れていった。
そうか。
人を愛することを知らなかった永夏。
囲碁を好きなんだと初めて気が付いた永夏。
愛する喜びを知った永夏。
もしかしてオレは、この言葉は永夏に伝えるためにアイツから教わったのかもしれないな。
そうだ。
きっとそうだよ、永夏。
良かった、伝えられて。
本当に良かった。
「オレもお前に出会えて良かった。ありがとう」
「永夏、ありがとう」
「でも──ごめんね」
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