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09-06
「別に送ってくれなくったっていいのに。ウチ、すぐそこだし」
オレが朝の道を歩きながらそう言うと、秀英は寒さに身を縮こまらせながら「いや…」と白い息を吐きながら言った。
「いや、別に……。そういえば塔矢には連絡したのか?」
「あ」
「〜〜〜! 全く、お前はいっつもそうだな!」
「フフ。今頃お前のことを必死になって探し回ってるかもな」
秀英はまったくもう!と苛々しながら怒ると、その横を歩く永夏がいつものような余裕たっぷりの言い回しをしてオレを脅かす。
秀英と家を出て暫くすると永夏も後を追いかけて来たのだ。
「しょうがないから最後まで面倒を見てやる」とか言って。
「ケータイ家に置いて来ちゃったんだ。
まーいいや。塔矢どうせ怒ってるだろうしさ。怒られついでに一緒に謝るよ」
オレがそう言うと、秀英はやれやれと溜息をついた。
その溜息が白くなってオレの前に現れる。
いつもは見えない秀英の溜息も、こうして形にしてみると随分デッカイんだな。
オレのせいかもしれないけど。
何故だかオレは楽しくなってアハハハと朝の街中で大きな声で笑った。
すると秀英は「笑い事じゃないだろ!」とオレを窘めながら、少し顔を顰めてオレに塔矢のことを聞いてきた。
「……怒ったら恐そうだな、塔矢って」
「そりゃあもう!! すっげー恐いぜ!!
んもう、般若みたいな感じでさ!」
「ハンニャ?」
オレが適切に例えた塔矢の怒り顔……つまり般若を、秀英も永夏も知らないようで首を傾げる。
あーもう! 何でわからないかな。こんなにピッタリ来る例えもなかなかないのに。
オレは般若のお面を頭の中で思い描きながら、必死になって説明をする。
「あー…んーと、日本のお面なんだけど…鬼の顔しててすっげー恐いの」
「……鬼か。なんとなく想像出来るな」
「でしょでしょ。あーそうだ、秀英も一緒に塔矢に謝ってよ」
「な、なんで僕が!! 嫌だよ!」
「そんな事言うなよ〜」
オレが秀英に甘えるようにまとわりつくと、秀英は顔を赤らめて「何言ってるんだよ!」とプリプリと怒り出した。
相変わらず真面目で素直な秀英に、オレはますます楽しくなってアハハハと笑った。
それを横で見ていた永夏が、オレの肩をグイと抱き込むように引っ張って、オレの耳元で囁くように言った。
「塔矢が許してくれなかったらいつでも戻ってこいよ、ヒカル。
オレが慰めてやる」
「よ、永夏!」
永夏のいつもの軽口に、秀英はツッコミのごとくまた怒り出すと永夏も楽しそうに笑った。
すると、そんな永夏につられるようにして秀英も次第に笑い出す。
そしてオレも笑い出す。
オレ達3人は、朝の道をゲラゲラと笑ったり身体をぶつけ合ったりして、じゃれ合いながら本当に楽しそうに歩いた。
端から見ればちょっと……イヤ、かなり変な集団に見えたかもしれないけど、まあいいや。
楽しいから、いいんだ。
こんな心から楽しい気持ちは久しぶりだから。だからいいんだ。
そうして歩いていると、オレはふと頭の中に疑問が浮かんだ。
今日は塔矢の誕生日の次の日だから──12月15日。
「そういえば二人とも、いつまで日本にいるの?」
「あー…いつまで…か」
「もうオレの目的は果たしてしまったも同然だがな」
永夏は前を見つめながらシレッとした感じでそう言うと、秀英がジロリと永夏を睨んだ。
「永夏。元はといえば、永夏があんな無理して日本に来るっていうから
棋院にもバレちゃったんだよ」
「ああ、そうだったか?」
「最初はプライベートのはずだったんだけどね。
……結局日本棋院にも行かなくちゃいけなくなっちゃったし。
僕は元から年末くらいまでいる予定だけど、永夏もあと2,3日は日本にいるよ」
「面倒だな」
「永夏!」
永夏が本当に面倒くさそうにフウと大きく白い溜息をつくと、秀英はまた永夏を怒り出した。
この二人って、きっと昔からこんな感じなんだろうな。
いっつも永夏が何かトンデモナイことをしでかして、それを秀英が怒って後始末したりしてるんだ。
……なんだか、オレと塔矢の関係にソックリだな。
そんなことを考えていたら、またオレは楽しくなってくる。
そうだ、塔矢にも会わせたいな。
そして打たせてあげたい。
永夏と秀英と。
二人ともすごく強いから、塔矢も喜ぶに違いない。
……永夏はちょっと嫌がるかもしれないけど、囲碁となればきっと話は別だ。
オレ達は皆、大好きな囲碁を打つことで繋がっているんだから。
「なあ、じゃあまた打てるよな」
オレが声を弾ませながらそう言うと、二人は笑いながらやはり声を弾ませて答えてくれた。
「ああ、また打とう」
「うん!」
ああ、また囲碁が打てるよ。
塔矢。
ねえ、塔矢。
オレさ、「ずっと一緒にはいられない」って言ったじゃん。
それは本当なんだけどさ。
しょうがないよね。始まりがあれば終わりがあるんだよ。
囲碁だっていつか終局するように。
でもね、オレ達はまだ終局してないよ。
オレやっと気が付いたんだよ。
オレ達はまだ終わってない。
まだまだ打てるよ。
だから一緒に打とう。
オレがお前との一局で『あの世界』へ行くその日まで──
ブブーと大きな音を立てて、トラックが道路を通過していく。
みんなで打つことを考えていたら嬉しくなって、ウキウキと浮かれながら歩いていたら、いつの間にかあの秀英と出会った十字路まで戻ってきていた。
今は──コンビニの中にある時計を外から見ると──朝の7時40分。
まだラッシュではないけど、この辺は商店が多いせいか朝は搬入のトラックやら車やらがかなりたくさん通る。
だから朝は信号の「お待ちください」のボタンを押してもなかなか変わらないんだ。
ああ、この信号を渡ればオレと塔矢の家はすぐそこなのに。
この信号を渡れば、オレはまた塔矢と囲碁が打てるのに。
オレは苛々と信号が変わるのを待つ。
横で秀英が「なかなか変わらないな」と反対側の信号を見ながら呟いた。
すると。
「あ」
道路の反対側を見ていた秀英が大きな声を上げた。
視線は変わらずに向こう側を見続けている。
オレもその視線に導かれるようにして目をやると──
「塔矢」
今度は永夏が大きな声を上げる。
──そう、塔矢と社が反対側の信号の元へと息を切らしながら走って来たのだ。
オレ達3人が呆然と向こう側を見ていると、まるでその視線に気付いたかのように社はふと顔をあげてオレ達を見た。
暫くは社も何が起きたのかわからなかったのだろう、オレ達を見つけて呆然としていたが、オレが大きく手をふると、我に返って慌てて凄い速さで大きく手をふり返した。
そして、隣で少し屈むようにして息を切らしていた塔矢に叩くようにして声をかけ、反対側の道路にいるオレ達を指さした。
社の指さす方向へと、塔矢は顔を上げる。
──そして、オレと目が合う。
ああ、塔矢。
──進藤。
シンと静粛が広がる。
あれ程五月蠅かった車の音が消え失せる。
音どころか──車そのものの姿が消える。
車だけじゃない、街を行き交う人──社、永夏、秀英も。
みんなみんな消える。
オレと塔矢を残して。
塔矢。
進藤。
何だろう。
オレは声に出して塔矢の名前を呼んでいる訳ではないし、塔矢もオレの名前を呼んだ訳ではない。
でもオレは塔矢の声が聞こえる。
オレの名前を呼ぶ、その声が──。
そしてそれは、恐らく塔矢も同じで。
きっとオレの声が聞こえているはずだ。
そうだ、これは。
塔矢と二人で盤を挟んでいる時と同じなんだ。
対局している時と同じ。
まるでこの世に二人しかいない、二人だけで碁盤の宇宙に来てしまったみたいな感覚。
そう。
ここはオレ達だけの世界。
そしてここは──『あの世界』に限りなく近い場所。
ねえ、塔矢。
オレはオレが終局してしまうその日まで、お前とこの世界で打ち続けるよ。
でもね。
終局したら──オレは『あの世界』へと行く。
ここから『あの世界』へと行く。
そしてオレは、『目的』を果たすんだ。
オレは今、そのために生きているんだから。
ねえ、塔矢。
聞いてくれる?
本当のことを言うよ。
オレの『目的』。
それはお前に──
ブォーッと一際大きな音を立てて、大きなトラックが黄色になった信号を猛スピードで通過していった。
その大きなトラックのせいで、オレは一瞬塔矢の姿を見失う。
そしてそのトラックが通過した後、青になった信号から「通りゃんせ」の音楽が流れ始めた。
信号を待っていた人々が次々に塔矢のいる反対側の道へと渡っていく。
なのにオレは渡れない。
トラックはとっくに通過していったのに、オレはまだ塔矢の姿を見ることが出来ない。
塔矢?
どこ?
どこに行っちゃったの?
何故だろう。
オレはさっきまで塔矢のことを見つめていたはずなのに。
今は景色がグニャリと歪んで反転して、何故かオレはよく晴れた青空を見上げている。
綺麗な綺麗な青い空──電柱にとまっていた鳥たちが羽ばたいてゆく。
何故?
塔矢はどこ?
遠くで声が聞こえる。
「進藤!!!」
社の声だ。
なあに?
「誰か!!」
これも社の声だ。
誰かって誰だよ。
「おい!!進藤!!進藤!!」
何だよ秀英。
そんな耳元でデッカイ声出すなって。
「ヒカル!!」
永夏か。
何だよ、永夏までそんな焦った声出してさ。
「しっかりしろ!!」
「誰か救急車を!!」
救急車だって。大げさだなあ。
ちょっと倒れたぐらいで。
──倒れたぐらいで……
…………
「進藤!!」
ハイハイ、なあに?
聞こえてるよ。
そんな大声でオレの名前を呼ばなくたって──
呼ばなくたって──
……塔矢は?
塔矢の声が聞こえない。
聞こえないよ──
塔矢……
塔矢……
塔矢……
さっきまで見えていた青い空が、どんどんと白くなっていく。
何かに消されていくように、どんどんと白くなっていく。
──あの遠い遠い昔の──白い白い世界へと戻っていく。
意識が遠のく。
ここは真っ白な、『あの世界』。
オレの名を呼ぶ、あの人がいる。
ねえ、お願い。
その声で、もう一度オレの名前を呼んで。
塔矢、もう一度。
もう一度、オレの名前を呼んで。
to be continued
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