プルルル、プルルル、プルルル
カチッ
「もしもし、進藤か!? オレやけど…」
『こちらはNTTドコモです。お客様がお掛けになった電話は、
現在電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため、かかりません』
──何度も聞いた、機械の冷たい声。
オレは通話ボタンを押してケータイを切ると、苛々とした気分に任せてケータイを部屋の隅へと向かって放り投げた。
畳の上を滑っていったケータイは壁に当たってガチャンと不快な音を立てて電池が外れ、青い畳の上にその無惨な姿を晒した。
「クソッ」と呟いたオレの目の前にはこの家の主の息子、塔矢アキラが腕を組んで座っており、そしてその横には「やめろよ社。進藤からお前のケータイに連絡が来たらどーすんだ」と言いながら麦茶を飲み干す倉田さんが座っていた。
第2回北斗杯まで、あと1日。
そして進藤が姿を消してから3日の日が過ぎていた。
オレの元へ連絡が入ったのは昨日のことだった。
いつもの通り、学校の帰りに関西棋院へ行って何局か打って。
そろそろ帰るかと思って外に出たら、いつの間にか雨が降っていて。
確か折り畳み傘が鞄の底にあったはず…と探っていたら、ブルブルと震えながら光っているケータイの存在に気が付いた。
誰だろうと思ってケータイを開いてみると、そこには1年のうちに2,3回しか表示されることのないヤツの名前。
それはつまり、オレの恋敵の名前。
なんだろう、珍しい。
結局塔矢のスケジュールの都合がなかなかつかなくて、今年は前日の1日しか行うことが出来なくなってしまったけど──「北斗杯直前合宿」のことだろうか。
なんとなく、思わず些か低い声色になって「もしもし」と出ると、電話の向こう側はオレよりもさらに低い声で第一声「進藤を居所を知らないか」と告げた。
進藤がいなくなったのだ。
それも、突然。
今から3日前の手合いまでは普通に棋院へ来ていて、別段変わった様子もなかったという。
ところがその翌日から突如一切の連絡が取れなくなり、姿を消してしまったというのだ。
幸い(というか、初めからそのつもりだったのか)進藤が姿を消してからの3日間は仕事らしい仕事は入っておらず、あるとすればもう間もなく行われる北斗杯のための準備…といったところだった。
北斗杯に関するインタビューを取る約束をしていた出版部の古瀬村さんのところに進藤が姿を見せることなく、ケータイも繋がらず実家にも連絡が取れず。そうした経緯で今回のことが発覚したらしい。
進藤は実家通いなのだから、実家に連絡さえすればすぐに見つかるだろう、と思っていた。
だが進藤の母親は進藤から「北斗杯の合宿に行ってくるから」と告げられただけでその詳細は知らず、棋院が「連絡が取れない」と伝えると酷く狼狽したという。
幸いまだ警察沙汰にはなっていないが、このまま今日も連絡が取れないようであれば、進藤の母親は「捜索願を出す」と言っているらしい。
進藤、お前ホンマにどこに行ったんや。
誰にも何も言わずに。
「進藤がいなくなった」と連絡を受けたオレは、その足で東京へとすっ飛んできた。
連絡をくれた塔矢の家に行くと、苛つきと心配のせいなのか少し窶れた顔をした塔矢と、怒っている倉田さんの姿があった。
それからオレは、オレの思いつく限りの「進藤が行きそうなところ」を挙げてみた。
だがそれはすでに塔矢や倉田さんが当たった後であり、それ以外でオレは「進藤の行きそうなところ」を思いつくことが出来なかった。
オレは進藤のことを好きだなどと言いながら、結局その程度のことしか進藤のことを知らなかったのだ。
そんな自分が情けなくて憎くて、どうにもやりきれない気持ちに襲われた。
もしかしたらオレは進藤のことを何も知らないんじゃないのか?
進藤の想いを受け入れなかった塔矢の方が、進藤のことをよく知っていて。
進藤に好きだと告げたオレの方が、進藤のことを何も知らなくて。
進藤の想いを知りながらオレはただ好きだと、勝手に自分の想いだけを押し付けて。
もしもそれが原因で進藤が消えてしまったのだとしたら、オレはどうする?
そこまで考えた時、全身の血の気がサアッと音を立てて引いてゆくのがわかった。
頭がクラクラとする。
進藤、進藤。
オレのせいなのかな。
進藤、答えてくれよ。
進藤。
今でもオレは、あの時のことを酷く後悔している。
もしもオレがあの時、お前にこの想いを伝えなかったら。
今とは違う未来があったのだろうか。
なあ、進藤。
顔を上げて外を見つめる。
5月の初め、春の終わり。
オレ達の前から進藤を隠す冷たい雨が、降り続けていた。
Seasons
─Summer─ act.01
「しょーがない、諦めるか」
雨の音と時計の針の音だけが響いていた塔矢家の居間に、倉田さんの声が響き渡る。
倉田さんは立ち上がってケータイを取り出すと、「ええと、越智の番号は…」と言いながらアドレスを眺めているようだった。
諦めるって、まさか。
「倉…っ」
「待ってください!!」
オレの声よりも一瞬早く響いたのは──オレの隣に座る、塔矢の声だった。
その大きな声に釣られて思わず横を見る。すると塔矢は拳を力強く握り、必死の形相で倉田さんを見上げていた。
「おい、塔…」
「諦めるって、進藤をですか? 大丈夫です、進藤は絶対に帰ってきます!」
震える声でそう叫ぶ塔矢の声を驚いた顔で聞いていた倉田さんは、フウと小さく息をついて冷静な目をオレ達に向ける。
いつもの柔和で子供のような目とは違う──冷静な棋士の目だった。
「どこにそんな保証あんの? 進藤が帰ってくるって」
「それ、は」
「それにもしも帰ってきても完全な準備不足だ。明日から始まるんだぜ?
進藤って元々不安定なところあるし、精神的にだってどうなってるかわからないしな」
「く…倉田さんは…! アイツのこと、心配とちがうんですか!?」
倉田さんのあまりに冷静な物言いに、思わずオレはムキになってそう言い返してしまった。
この人はオレ達選手のことをなんだと思っているのだろう。ただの戦う駒だとしか思っていないのだろうか。
そんなことを思いながら睨むオレの顔を見て倉田さんは大きな溜息をつくと、「ホンットお前らってガキだよな〜」と呆れたように言った。
「心配に決まってんじゃん。お前らは日本棋院や関西棋院の大事な棋士で、オレのライバルなんだし」
「………」
「だから無理はさせたくないんだよ。進藤の性格を考えろよ。それぐらいわかれ」
「──……」
「すみま…せん」
思いもがけない倉田さんの言葉の内容に、興奮していたオレと塔矢はその場に力が抜けるようにして座り込んでしまった。
進藤は大事な棋士で、将来もあって。見ているこちらが驚くくらいに強い精神力を見せる反面、些細なことで崩れてしまう程の脆い部分もあって。もちろん、オレ達にとっても進藤にとっても北斗杯だけが全てではなくて。
倉田さんはそれが全てわかった上で、今回は進藤を諦める、と言ったのだ。
進藤を見捨てたのではなく、進藤を思うが故だった。
結局。
物事を上っ面でしか判断出来ないオレ達は倉田さんの言う通り所詮ガキでしかなくて。
そんなオレが進藤に「好きだ」と言って、その手を取って歩きたいと願ったのは、やはり間違っていたのだろうか────
なあ、進藤。
と、その時。
ピンポーン。
まさに倉田さんが越智へ電話をかけようとしたその時、塔矢家に訪問者を告げるチャイムが響いた。
居間にいて、誰が訪ねて来たのかなんてわかるはずがないのに。
なのにオレと塔矢はその音を聞いた瞬間身体中に電流が流れたような感覚に陥って同時に立ち上がり、そのまま我先にと玄関まで走っていった。
何故だか確信があった。
その理由は、わからないけれど。塔矢も同じだろう。
この玄関先に立っているのは、きっと。
「「進藤!!」」
思わず塔矢とハモりながら開けた玄関の先には、オレ達の予想通りの人物──進藤ヒカルが、頭の先から足の先までずぶ濡れの姿で立ち尽くしていた。
「……よう」
冷たい雨に濡れて震える進藤の姿が、雨で煙る周りの景色から、浮き立つように見えた。
++++++
「まさか雨に降られると思ってなくてさー。あ、ごめんな玄関濡らしちゃって。
タオルとか借りていい?」
煙る雨の中から突如姿を現した進藤はいつもと変わらぬ暢気な口調でそう言うと、多くの水を含んでしまった服の裾をギュウと絞った。
オレ達が心配して想像していた進藤の姿とはあまりのギャップに、オレと塔矢は呆然と立ち尽くして口を開くことが出来なかった。
するとオレ達の背後から、「あっ! 進藤じゃん!」という倉田さんの大きな声が響いた。
「あ、倉田さん…エヘヘ…遅くなってごめんなさい」
「ごめんじゃないぞ! お前な…」
「ふっ…」
「へ?」
「あ」
倉田さんが進藤に向かって怒鳴ろうとするよりも前に、先頭に立っていた塔矢がいつもの決め台詞の冒頭を呟いた後にブルブルと震え始める。
この後に続く言葉が容易に想像出来るオレと進藤は耳を塞ぐようにして身構えるが、それを知らない倉田さんだけがキョトンとして首を傾げている。
オレが倉田さんに説明をしようとするよりも前に、震える塔矢が先に大爆発を起こし、この広い塔矢家の隅から隅まで響き渡る程の音量でお決まりの台詞が叫ばれたのだった。
「ふざけるなーっっ!!!!」
塔矢の怒鳴り声は例え耳を塞いだとしてもそれを容易に突き抜けてオレ達の鼓膜をビリビリと震わせる。
ましてや何も知らずに身構えていなかった倉田さんなど、その塔矢の「フザケルナ砲」の直撃をくらってしまい、目を回して倒れそうになっていた。
オレがそんな倉田さんに「大丈夫ですか!?」と言っている間に、塔矢は進藤の傍へと行って胸ぐらを掴み、再び「ふざけるな!」と叫んだ。
「キミは一体僕等や周りにどれだけ心配をかけて…っ! わかってるのか!」
「……わかってるよ。連絡しなくて、ごめんなさい」
「いや、わかってなんかいない! いつもキミはそうだ!
肝心なことは何も言わずにいつも僕等の…僕の前から勝手にいなくなって…! 大体キミは」
「塔矢、塔矢! ストップ!」
今にも進藤を殴ろうとする塔矢をオレは押さえつけると、進藤から引き剥がす。
そして興奮のあまり肩で息をする塔矢をなんとか落ち着けようとオレは口を開いた。
「わかった、塔矢わかったから!
とりあえずココで話していてもしゃーないやろ!」
「でもっ…」
「ええから進藤、お前も上がれ。オレの服貸してやるから、風呂入って着替えろ」
「………」
「怒るのは、それからでもいいやろ」
オレがそう言うと、塔矢は漸く落ち着いて我に返ったのか──もう一度進藤を睨み付けると何も言わずに部屋の奥へと歩いて行ってしまった。
進藤が申し訳なさそうに玄関に立ち尽くしているのを見て、オレは帰ってきた進藤に漸く声を掛けることが出来る。
「進藤、早よ上がれ。風邪引くで」
「……ごめんなさい」
「ワケは後で聞くから。謝るのはそれからでええ」
「……うん」
そう言って進藤は俯きながら部屋へと上がり、そのまま風呂場へ直行させた。
オレはタオルや服を用意してからフウと大きく息をつく。
風呂場からは進藤の使うシャワーの音が聞こえて、漸く進藤が戻ってきたことを実感することが出来た。
ああ、良かった。
戻ってきてくれた。
……塔矢の言った通りに。
再び居間へと戻る。するとそこには一人座る塔矢の背が見える。
僅かに頭を俯かせて少し背中を丸めて座るその姿は、進藤が戻ってくる前の緊張した姿とは違っていて──表情こそ見えないものの、その背中からは「安堵」の空気が滲み出ていた。
先程の塔矢の言葉が頭の中で蘇る。
『大丈夫です、進藤は絶対に帰ってきます!』
『いつも僕等の…僕の前から勝手にいなくなって…!』
なあ、塔矢。
お前のソレは、同じ北斗杯のメンバーとしての心配なのか?
それとも、お前の大事なライバルへの心配なのか?
それとも、もっともっと特別な感情があるんじゃないのか?
まだ、お前自身すら気付いていないような感情が。
とてもじゃないが、そんなことを聞く勇気は、オレにはなかった。
++++++
「……で、囲碁に集中したくて、周囲をシャットアウトしてた、と」
「……うん」
風呂から出た進藤を尋問すべく、座らせた進藤の正面に倉田さん、塔矢、そしてオレの順に並んで座った。
座って小さくなる進藤が些か可哀想な気もするけれど、そうは言っていられない。
この消えていた3日の間、進藤がどこで何をして、何を考えていたのか知りたかったからだ。
俯きながら小さな声でしどろもどろ話す進藤が言うには、今年こそ北斗杯で良い成績を残すために、一人で集中して囲碁を打ちたかったのだという。
そのため周囲から一切の連絡を絶ち、安いビジネスホテルに泊まっていた…らしい。
その進藤の話がどこまで真実なのかはわからなかった。
そもそも北斗杯に集中するためにこの「直前合宿」があるのだし、何も一人で籠もることもないだろう。
だが、今オレ達が出来ることは、進藤の言葉を信じることしかない。
俯く進藤を見てオレは「ま…とにかく無事で良かったんとちゃう?」とフォローになっているような、なっていないようなことを言った。
そしてチラリと進藤の様子を窺う。
この前の花見に会った時よりも少し窶れたような感じがする。オレの服をダボつかせて着る進藤が、酷く頼りなさげに見えた。
塔矢は何も言わずにただ黙って進藤を見つめている。
広がる沈黙に堪えきれなくなったオレがもう一度「進藤」と声を掛けようとした瞬間──僅かに早く、倉田さんの「よし、わかった!」という声が響いた。
倉田さんの大きな明るい声に、思わずオレ達は顔を上げて倉田さんを見つめる。
「よし、この話はもうここでオシマイ! ココから北斗杯の話をしよう」
「………」
「進藤、お前イケるか? キツイなら無理するな」
倉田さんの言葉に進藤はビクリと震えると、慌てるようにして首を大きく横に振る。
そして「大丈夫、いけます」とハッキリとした声で答えた。
「よし。じゃあ棋院にはオレがうまいこと言っておくから。お前はご両親に連絡しろ」
「……はい」
「お前、いくらまだ16歳だっていっても、お金もらって働いてるプロなんだぞ。
囲碁に集中するのはケッコウだけど、もう少し責任を持って行動しろ」
「……すみませんでした…」
「塔矢も社もそれでいいよな? ハイ、じゃあココからは北斗杯に集中!」
倉田さんはそう言って、オレ達を景気づけようとパン!と力強く手を叩く。
だが、オレも塔矢も、そして進藤もすぐには気持ちを切り替えることなど出来ず、暗く沈んだ空気が部屋中に漂っていた。
倉田さんはそんなオレ達を見て汗を一筋タラリと垂らすと、「ちょ、ちょっとオレ棋院に電話してくるわ」と言って部屋を出ていってしまった。
あちゃー、こりゃ今年もダメかな。
進藤のバカ!
そんな表情が、部屋を出ていく倉田さんからは滲み出ていた。
部屋に取り残されたオレ達3人は黙ったまま座っていたけれど、暫くして塔矢が立ち上がり、足つきの碁盤を用意し始める。そして静かな声で「打とうか」と言った。
その声に進藤は再びピクリと震えて、俯かせていた顔を上げる。
「とりあえず打とう。打たなければ僕等は始まらない」
「……そう……やな」
「進藤、前に座れ。囲碁に集中していたのだろう?
この3日間でどれくらい変わったのか、見せてもらおうか」
その塔矢の言葉に、暗く沈んでいた進藤の瞳に僅かに光が戻り始める。
そして「うん」と言って力強く頷くと、塔矢の前に座って石を手に取るのだった。
それからオレ達は夕食を取ることも忘れて(倉田さんは一人で寿司3人前を食べていた)囲碁を打ち続けて。
消えていた3日間、囲碁を打ち続けていたという進藤の碁は、確かに僅かに変わっていた。
まるで研ぎ澄まされた刀のように鋭く、そして力強い碁だった。
──だけどそれと同時に、どこか危ういような感じもした。
何が、と言われると上手く説明は出来ないのだけれど──雰囲気が、とでもいうのだろうか。
「諸刃の剣」というのは、こういうことをいうんじゃないのかな。
そんなことを、進藤と打ちながら頭の片隅でボンヤリと思った。
石を持ち続ける進藤の白い右手。
その手首には、以前と変わらずに黄色のリストバンドがつけられたままだった。
++++++
そうして囲碁を打ち続けて夜も更けて──
倉田さんとは現地集合ということで自宅へ帰って行き、進藤は明日の朝早くに、荷物を取りに自宅へ帰ることになった。
塔矢はいつものように「おやすみ」と言って早々と自分の部屋へと引き上げてしまい、オレと進藤は同じ部屋に布団を並べて敷いて眠ることとなった。
去年は意識なんてしていなかった。
去年は初めての北斗杯でそれどころではなかったし、そもそもコイツが好きだなんてことに気付いていなかったから。
でも今年は違う。
オレは明らかに進藤が好きで、その想いもすでにぶっちゃけ済みで進藤も知っていて。
去年とはまるで状況が違うのだ。
夜。
二人っきり。
布団を並べて一緒に──……
眠れるワケあるかぁっっ!!!
進藤が無事に帰ってきてくれたという安堵感で気持ちと身体はグッタリと疲れているはずなのに、頭の中はギンギンに冴え渡っている。
とても進藤の方へ顔を向けて眠ることなど出来ないオレは、進藤に背を向けて横向きに寝ている体勢になっていた。
そのオレの背後で、つまり隣の布団の中で進藤がモソリと動く音が聞こえるだけで、オレの身体の中の毛細血管が1つ、2つ、と切れていっているような感じがする。
ああ、口の中がカラカラや。
唾を飲み込もうにも唾すら出ない程に口の中が乾いている。
おまけに目まで乾燥してきたような気がする。
ああ、涙が出そうだ。
思わず意識が遠くなりかけた──その時。
「社」
背後から響く、小さな細い声。
思わずオレの身体はビクリと大きく震えてしまう。
寝てなかったんかい!
……とツッコミを入れそうになってしまう自分を(理性と共に)抑えつつ、振り向くことなく敢えてぶっきらぼうに「なんや」と返事をした。
ここで思わず振り返って、進藤の大きな潤んだ瞳と目が合ってみぃ!
オレの中の築き上げてきた色々なモノが失われてしまうような気がする。
そんな理由もあって、オレは再び些か不機嫌そうな(フリをした)声で「どうしたん?」と尋ねた。
「……怒ってる?」
「な…なにが」
「黙っていなくなったこと…」
今にも消えてしまいそうな、進藤の小さな声が聞こえる。
怒ってるだって? そんなこと。
「ああ、怒っとるで」
「………」
「心配で頭がおかしくなるかと思うたわ」
「………」
「もうこんな想い、させんといてや」
オレが低い声でそう言うと、暫く黙った後に進藤の「ごめんね」というか細い声が聞こえた。
オレがその声に応えずに黙っていると、進藤は「社…寝ちゃったの?」と小さな声で尋ねてきた。
「寝てないよ」と返事をしようか、どうしようか。
明日は朝早いのだ。このまま寝たフリをして、進藤を寝かせてしまった方がいいのではないだろうか。
そんなことを考えながらオレが迷っている間に、進藤の「あのね…」という小さな声が聞こえてきた。
進藤はオレが寝てしまったと思ったのだろう。
まるで、独り言のように呟き始める。
外は雨──二人きりの暗い部屋、明日は北斗杯の初日で。
オレの背中越しに、進藤の小さな独白が始まる。
「オレ、囲碁を打ちたかったんだ」
「囲碁を打って打って打ちまくって、少しでも強くなって」
「北斗杯でもモチロン勝って」
「それで塔矢に認められたかったんだ」
「オレが囲碁が強ければ、塔矢はオレのことが好きでなくても、オレを必要としてくれる」
「塔矢に、必要とされたいんだ」
「囲碁が強くなければ塔矢にとってオレは、いらなくなってしまうから」
「塔矢の好きな人は緒方さんだから」
「オレは緒方さんよりも強くならなきゃいけないんだよ」
「そうじゃないとオレ、またひとりになっちゃうよ」
「こわいよ」
進藤の熱を持った小さな額が、オレの背にコツンと当たるのを感じる。
そのまま進藤は、寝たふりをしているオレの背で、暫く間声を殺して泣き続けていた。
そんな進藤の小さな声の独白は、オレの心を貫いていくには充分の大きさだった。
少し身体を捻って振り返って、腕を伸ばせば手の届く位置にいる。抱きしめられる位置にいる。
だけど進藤の言葉に貫かれたオレの身体は金縛りにあったように動くことが出来ず、ただただ、その細い泣き声を聞くことしか出来なかった。
他のヤツを想って頬を濡らすお前を
抱きしめることも慰めることも出来ず
ただ背中を貸すことしか出来ず
そんな自分が酷く情けなく
みっともなく
そして、悲しかった。
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