「好き」という想いの先には、何があるのだろう。






明るい光?
心地よい愛情?
優しい気持ち?






それとも、深い深い闇?

























進藤。


あの時のお前に見えていたものは、何だったのだろう。











Seasons


─Summer─ act.02















北斗杯。

「北斗通信社」という日本の企業が主催となって行う、18歳以下の若手を中心とした日中韓の国際棋戦のことだ。
試合形式は団体戦。大将・副将・三将の3人のうち、2人が勝てばチームの勝利ということになる。
本来ならば去年のみ開催の特別大会として行われるはずだったのだが、去年の第1回が思いの外反響が大きかったらしく、今年も第2回として行われることになった。
「調子ええな」とオレが愚痴を零すと、倉田さんが「まあ、オトナだからな」と(寿司を食いながら)言った。

オトナ、ね。
オトナの事情っつーのは詳しくはわからないけれど、とにかく再び北斗杯が行われることになったのだ。



我らが日本代表の選手は去年と同じ、塔矢アキラ、進藤ヒカル──そしてオレ。
去年は残念ながら韓国・中国ともに2敗し(というか、オレと進藤が2連敗して塔矢一人が孤軍奮闘よろしく2勝したのだ)最下位という結果に終わってしまったけれど、今年こそは優勝を狙いたかった。
進藤も、大会の直前まで一人どこかに籠もって特訓していたぐらいだしな。

──……そう、一人で。

大会の3日前になって進藤が突然連絡が取れなくなってしまい行方をくらましてしまったのだ。
もう少しで進藤の不参加が決定してしまうところで、進藤は雨の中フラリと戻ってきた。
全身をずぶ濡れにして──まるで雨の中から生まれて来たみたいだった。
本当かどうかはわからないが、3日間特訓をしたという進藤の碁は確かに強くなっていた。
だが、研ぎ澄まされたはずのその碁は酷く脆くて不安定な感じがして──どこか、怖かった。

進藤、お前どこで何をしてたんだよ。
そうまでして自分を追いつめて碁を打って、その先には何があるんだよ。

そう思っていたその夜──オレは進藤の独白を聞く。












『囲碁が強くなければ塔矢にとってオレは、いらなくなってしまうから』

『そうじゃないとオレ、またひとりになっちゃうよ』











進藤の願いはシンプルだ。
囲碁をもっともっと強くなって、思いを寄せている塔矢と一緒にいたいということ。
たった、それだけのことだった。




でもオレは思う。
進藤はそこまでムキになって無理をして囲碁を打たなくても、充分塔矢とは一緒にいられるんじゃないか?
塔矢は進藤に恋愛感情は抱いていないにしても、ライバルだとは思っているはずだ。
それも、かけがいのない。

そもそも、そう考えると進藤のソレは「恋愛感情」といえるのだろうか?
例えば、進藤は塔矢とキスをしたり抱き合ったりしたい……とか、望んでいるのだろうか。
「好き」という想いの先にある行為を、塔矢としたいと願っているのだろうか。

……よく、わからない。




「好き」という想いの先にあるもの──それは、人それぞれだと思う。

身体を繋げたいと願うヤツもいれば、心が繋がりたいと願うヤツもいるだろう。
では進藤はどうなのだろう。
やっぱり塔矢と繋がりたいと思っているのかな。

……そう考えてみたけれど、何だかそれはしっくりとは来なかった。
オレが今まで聞いてきた限りの進藤の塔矢への想いとそれは、何だか当てはまらないような気がしたのだ。

進藤はもっともっと別のことを考えている気がする。
ただ「塔矢が好き」「塔矢と一緒にいたい」というだけでなく、もっともっとその先を考えているような気がするのだ。
だからこそ、あんなにも焦って囲碁を打っているんじゃないのかな。





なあ、どうなんだよ、進藤。
オレはもっともっとお前のことを知りたいよ。






オレがそう思うのは、お前のことが好きで好きで堪らないせいなのか。
それとも今回の「行方不明事件」の一件で、お前のことを何も知らない不甲斐ない自分に呆れたせいなのか。


それとも今回のこの北斗杯での──お前の碁を見たせいなのか。

なあ、進藤。














「おい社」
「あ、ハイ」




倉田さんの呼び声でオレは我に返り、ふと俯いていた顔を上げる。
するといつの間にか目の前に立っていた倉田さんがニッと笑いながら「表彰式! 早く行こうぜ!」と言ってオレの肩を叩いた。

「な〜んだ、お前まだ落ち込んでんの?」
「や、そういうワケじゃ」
「じゃあ、少しは落ち込め!」
「すんません…」

オレがそう言ってフウと深く溜息をつくと、倉田さんはゲラゲラと笑って「気にすんなよ!」と言った。

「去年オレが言ったろ? お前はじっくり伸びるタイプだって」
「はぁ…」
「なぁに、来年には勝てるようになるさ!」

まあその頃には周りはもっと強くなってるかもしれないけどね〜、とその後に言わなくてもいい一言を付け加えて再びゲラゲラと笑う。……全くこの人は、オトナなんだかコドモなんだか。
そんなことを思いながらオレが再び深く息を吐くと、倉田さんは先程よりも僅かに声のトーンを落として言った。

「そんな溜息つくなよ。オレだってショックだったんだからさ」
「………」





「進藤の碁は」






++++++






その後、第2回北斗杯の表彰式が淡々と行われた。

優勝したのは──去年と同じ韓国。高永夏率いる韓国は去年と同じ2連勝で、圧倒的な強さを見せた。
2位は、オレ達日本チームだった。1勝1敗──韓国には負けてしまったが、中国にはなんとか勝つことが出来たのだ。
3位が中国。日本と韓国が前回とほぼ同じメンバーで臨んだのに対し、前大会とガラリとメンバーを変えてきた中国は、奇しくもそれが敗因となってしまったようだった。

オレ達日本チームの個人的な戦績はというと、塔矢が中国に1勝、韓国に1敗。初の対戦となる高永夏VS塔矢アキラは、誰が見ても今大会屈指の好カードだった。
力碁VS力碁のぶつかり合いは最後まで一瞬の隙も見逃さない白熱したものとなった。
ほとんど差のないまま終局まで打ち合い──終わって数えてみれば、高永夏が1目半勝っていたのだった。

そしてオレはというと…韓国に1敗、中国にも1敗……。結局、去年と同じく2連敗を喫してしまった。
全く情けない。この1年でオレなりに努力もしたし強くなったつもりでいたけど、それはまだまだ届かなかった。
「お前はここにいる連中と違って、学校と両立してんだからしょうがないよ」と倉田さんは言ってくれたけど、それは言い訳にはならない。だって、碁と学校を両立させるという条件で、オレはプロになったのだから。
反省点は一杯あった。それを次の1年間でどう生かすかで、オレの碁は変わる気がする。


そして──進藤は。
進藤は韓国に1勝、中国にも1勝。一人2連勝を遂げて日本を連続最下位から救ったのだった。



表彰式の最中、オレはふと顔を上げて周りを見渡す。
中国もそして優勝した韓国の選手でさえも、どこか皆呆然としたような表情を浮かべて座っている。表彰式など上の空のようだった。
去年に続き最優秀選手賞を受賞したはずの高永夏でさえもどこか呆然とし──そしてムスッとした表情で進藤のことを睨み付けていた。
その中で唯一、頬を紅潮させ興奮醒めやらぬといった表情をしていたのが、進藤の対戦相手だった洪秀英だった。
……まあ、無理もないけどな。

そんなことを思いながら、オレはオレの横に座るチームメイト達の顔を見る。
一番端に座り、代表として賞状や盾を貰う塔矢は、相変わらずのポーカーフェイスを保ったままだった。
時折進藤の様子を窺っているような気配はあったけれど──それでも表情を崩すことはなかった。
そしてオレの隣に座る、恐らくこの表彰式の現状を作り上げてしまった原因たる進藤。
最後に打った洪秀英との対局に、全身全霊を叩き付けたのだろう。疲れきった表情でボンヤリと前を見つめ、その視線の先には何が映っているのか、オレにはわからなかった。


なあ、進藤。
お前が碁を打つ先には、お前の抱えるその想いの先には、一体何があるのだろう。

それは、オレがお前をもっと知ることが出来れば、いつかオレにもわかる日が来るのだろうか。





なあ、














「進藤」






背後から響く、年齢にそぐわぬ酷く落ち着いた低い声。
だがその声は、いつもより僅かに感情の色が混じっていて。

表彰式も終わり帰ろうとしたオレ達を呼び止めたその声の方へ、進藤はゆっくりと振り向く。
するとそこに立っていたのは2大会連続MVPを獲ったその人──


「高永夏…?」


韓国の若きトップ棋士、高永夏だった。




++++++




高永夏と進藤といえば、第1回の時の騒動を思い出す。
言葉と状況による勘違いと高永夏のコドモっぽい挑発から、進藤は高永夏が本因坊秀策を馬鹿にしていると勘違いをして激昂して食って掛かり、無理矢理大将となって高永夏と対局をしたのだった。
結果は高永夏の半目勝ちだったが、周囲の予想を大きく裏切って進藤は高永夏に善戦をした。
その次の日──オレは大阪へ帰ってしまったから後から聞いた話なのだけど。
どうやら進藤とは旧知の仲らしい洪秀英が、進藤とプライベートで対局することになり、その対局の時に洪秀英が必死になって進藤の誤解を解き、ついてきた高永夏となんとか仲直りをさせた──らしかった。

とはいえ、それでも高永夏と進藤はそれ程うち解けている風にも見えなかった。
進藤はどうやら高永夏が苦手なのか、前夜祭の立食パーティーの時も逃げ回ってあまり話をしようとはしなかった。
高永夏自体も、進藤に興味はあるものの前回のような面倒事は起こしたくなかったのだろう。
そんなワケで、この二人が第2回北斗杯の最中に口をきくことはほとんどなかった。

それが──突然、帰る時になって、高永夏が進藤に声をかけてきたのだ。
突然目の前に現れた長身の男に進藤は目を瞬かせている。だが高永夏は全く意に介さずに、口を開いた。


「お前のあの秀英との対局はなんだ? 特に最後の一手……オレはあんな一手は見たことがない」


……って、モチロン韓国語だし。オレも進藤もわかるワケないし。
進藤が顔中に?マークを浮かべて首を傾げていると、見かねた塔矢が進藤の背後に来て小さな声で通訳をした。


「洪秀英とのあの対局はなんだ、と言っている」
「え…なんだって?」
「最後のあんな一手は……見たことがない、と」


あんな一手──そう、あれはオレも見たことがない。





あんな……光り輝くような一手は。






今から溯ること数時間前──最終日に行われた日本VS韓国戦。
大将戦が高永夏VS塔矢アキラ、副将戦が洪秀英VS進藤ヒカル、そして三将戦が金(キム)という去年とは違う新しいメンバーと、そしてオレの対局だった。
結果は、塔矢とオレが敗退し、進藤が1勝をあげたのだ。

その進藤と洪秀英の対局──三局の中で最も最後まで長引いた碁だった。
先番は進藤。黒石を持った進藤の第一手はいつもの通り、右上スミ小目。進藤がよく打つ第一手だ。
続いて洪秀英が星に付け──局面は進んでいく。

静かな碁だった。隣の盤面で高永夏と塔矢が力対力の激しい碁を繰り広げている横で、進藤と洪秀英の碁はまるで水面の上で打たれているかのような、本当に静かな碁だった。
終盤に近いところまで、ずっと白の洪秀英が優勢だった。その差は僅かに1目から2目程のものだったが、それでも洪秀英の優勢がずっと続いていたのだ。
そうしている間に塔矢やオレの対局は一足先に終わり、自然と最後に残った洪秀英と進藤の対局を見ることになった。
最後の最後まで続いた洪秀英の優勢に、誰もが秀英の、そして韓国の完全なる勝利を確信していた時だった。


黒、247手目。


進藤がその一手を放った瞬間、進藤の指先を中心として碁盤全体が──いや、その対局を見ていたオレ達、そして会場全体が大きな光に包まれたような気がした。
それは酷く眩しくて輝かしくて──今までに見たことのないような光で。
そのあまりの眩しさに目が眩んでいて、漸く見えるようになった時には──すでに盤上の勝負は決していた。

進藤の半目勝ちだった。

信じられなかった。
どこをどう探しても、どう考えてももう生きる道など残されているようには思えなかった。
会場の誰もが、高永夏や塔矢アキラでさえそう思っていたはずだ。
なのに進藤の放った輝く一手は光を導き生きる道を探し出し、そして勝利をもたらしたのだ。

こんなことがあるのだろうか。
これはまるで。












「神の一手……」













誰かが、そう呟く声が聞こえた。


オレはその時、進藤のちょうど真横に近い場所に立っていた。
だから、少し目線を送れば進藤の表情がよく見える位置にいた。

恐る恐る、あの光り輝く──神のような一手を打った進藤の顔を見た。
きっと、自分でも驚いたような顔か、もしくは喜びに充ち満ちた顔をしているに違いない。
そう思ってオレは進藤の表情を覗き見たのだ。




だが進藤は、今にも泣き出しそうだった。




嬉しくて泣くのか、悲しくて泣くのか。わからない。
ただ、泣きそうな顔だった。

それが何故なのかは、進藤をよく知らないオレにはわからなかった。
そんな自分が進藤を好きな男としても、そして一人の棋士としても酷く情けなくて愚かに思えて、胸の奥がチクチクと痛んだ。










──そんな進藤と洪秀英の対局。

その進藤が放った一手について、高永夏は尋ねているのだ。
だが「ええと…」と言ったまま進藤は黙りこくってしまい、一向に答える気配はなかった。
そんな進藤にシビレを切らした高永夏は「もういい!」と大きな声で叫んで、突然進藤の右手を掴んで引き寄せる。
突然のその行動に驚いた進藤が蹌踉めきながら「わっ、なに?」と言った。


「今からオレと打て」
「え、なに?」
「お前と打てばオレは……」


そう高永夏が言いかけた、その時。
高永夏の背後で「永夏っ!!」と大声で怒鳴る声が聞こえた。
呼ばれた永夏が振り向くよりも先に、永夏に腕を掴まれていた進藤がその声の主の名を呼ぶ。


「あ、秀英」
「永夏っ! 進藤に何してるんだよっ!」


ツカツカと早歩きで近づいてきた洪秀英は、無理矢理高永夏と進藤を離れさせて、まるで高永夏から進藤を守るかのような姿勢で進藤の前に立つ。何が起きたのかわからない進藤は大きな目を瞬かせている。


「秀英、どけ。オレは進藤と碁を打つんだ」
「なに言ってるんだよ! もう僕たちは帰るんだよ? 夕方には飛行機が出ちゃうんだから!」
「そんなもの、明日にすればいい」
「なに馬鹿なこと言ってるんだ!
 永夏は今、王位戦のリーグ戦の最中じゃないか! 来週にはもう対局があるのに」


……何やら、高永夏と洪秀英が大声で言い争いをしている。
韓国語がわからないオレには二人が何を話して何をモメているのかさっぱりわからない。
傍目から言い争っている二人とその片方の背に隠れる進藤を見ていると……なんだか、変な構図に見えてくる。まるで、進藤に横恋慕をした高永夏から洪秀英が守っているかのようだ。

……って、アホかオレは。なんつー妄想をしてるんだ。

ハァとオレが溜息をついていると、突如高永夏と言い争いをしていた洪秀英がクルリと進藤の方へと振り返った。
驚いた進藤が目を大きく見開いて洪秀英を見つめる。
すると、洪秀英は突然両手で進藤の両手を掴み、力強く握りしめると大声で叫ぶ。


何を、って

「進藤、僕はお前が好きだ!」
「……へ?」
「本当はお前に勝ってから言いたかったんだけど…もう次は、いつ日本に来られるかわからないから!」
「え……と……?」
「今日はお前とあんな素晴らしい碁を打てて確信した! やっぱり僕はお前が好きだ!」

……会場の中心で愛を叫ぶ。


まさかお前、それを言うために日本語を覚えたんじゃないだろうなというくらいにハキハキとした綺麗な日本語で洪秀英はそう伝えると、とてもスッキリとした顔になって進藤に「返事は今度会った時聞かせて!」と言って手を振り、高永夏を引っ張って会場から去っていってしまった。
その去り際に高永夏が進藤に向かって何やらを叫んでいるようだったが、韓国語のわからない進藤はキョトンとしたままだった。

というか。


「ねえ…」
「な、なんや」
「アイツ…秀英、何て言ってた?」
「お前のことが好きやって」
「………」
「………」
「あの、もういいかな」


暫くの間聞こえていなかった、塔矢の冷静な声に進藤はビクリと震える。
そして恐る恐る塔矢の方を見つめると、塔矢心底呆れたような顔をしてハアッと深い溜息をついていた。


「……塔矢、今の見てた? つーか聞いてた?」
「見てたし聞いてたよ。キミはモテるな」
「違っ!」
「何が?」
「オレが好きなのは! オレが碁を打ちたいのはお前だからな!」


真っ赤になってそう叫ぶ進藤の言葉に、塔矢はもう一度大きく溜息をつくと「帰るよ」と言って先に歩いていってしまった。進藤はムウッと頬を膨らましながらも、何度も「困ったなあ」「でもオレが好きなのは塔矢だし」と言いながら塔矢の後をついていくようにして歩いていった。

おーい進藤。
ココにもお前に告って返事待ちの男がいること、忘れんなや。





その後の帰り道も、進藤は呪文のように「オレが好きなのは塔矢なんだから」と言い続けていた。
いや、あれは──言い続けていたというよりも言い聞かせていたのかもしれない。

自分自身に。

きっとそう自分に言い聞かせることが、進藤にとって一番の安定剤のようなものだったのだろう。






















今にして思えば。






あの時の進藤はとにかく不安定で。
あの「神の一手」のような光り輝く一手も、その時の進藤の碁「諸刃の剣」が繰り出した一手のようなものだったのだろう。

──それもこれも、時が経った今だからこそわかることだった。


あの時のオレはまだまだコドモでどうしようもなく、どうしても進藤の想いの先にあるものを理解することが出来なかった。あの時もしもオレがもっとオトナだったら──本当のお前を見つけることが出来たのだろうか。



アイツよりも先にオレがお前のことを見つけて。
そうしたらオレはもっと、お前を守ることが出来たんじゃないのかな。























なあ、進藤。

返事を聞きたいよ。







進藤。